アパートの哲学者

さわりの紹介

「実は先生、僕はユーカリAに住む特権を出来ることなら親友の阿部君に譲って行きたいと思って、先生に御紹介申し上げたんです」
 と関口君が切り出した。
「成程」
「一つ人物試験を願います」
「学校じゃありません。ハッハハハ」
 と笑いながらも、相馬さんは阿部君の顔を凝っと見ていた。
「何分どうぞ」
 と阿部君がお辞儀をした。
「時々遊びにいらっしゃい」
「お邪魔をさせて戴きます」
「阿部さんはお郷里は何処ですか?」
「岡山です」
「遠いですな。御両親は?」
「丈夫で郷里にいます」
「矢っ張りアパートですね、あなた、現在のお住いは」
「はあ。怪しげなアパートで客種が悪いものですから」
「実際阿部君でなかったら一溜りもないような誘惑の多いところです」
 と関口君は阿部君を上げてアパートを下げた。
「六無洞?」
 と間もなく阿部君が首を傾けた。相馬さんの部屋には壁間にも六無洞を額にして掲げてある。正面だったから阿部君の注意を惹いていた。
「この額、巧いでしょう」
 と相馬さんは早速問題にした。
「はあ、先刻から感心していたんです」
「僕の友人で警視総監をした男が書いてくれました」
「何ういう意味ですか?」
「妻もなく、いや、親も無く妻無く子無く版木なし金もなけれど死にたくも無し。六無です。昔の志士の歌が偶然僕の境涯を伝えていますから、この部屋を六無洞と号しました」
「成程、親もなく・・・・」
 と阿部君は相馬さんに教えて貰いながら繰り返して、
「面白いですな。これは」
 と感心した。最高教育を受けたものが林子平を知らない筈は無い。これは策だった。六無洞の説明は相馬さんにさせる方が御機嫌に叶うと関口君が予め注意して置いたのである。
「先生が独身ってことは、僕、始終言っていたろう?」
 と関口君が同じ話題の継続に努めた。
「うむ。しかし六無洞は初耳だった」
「これには皆興味を持ってくれます。この額を写真にして説明を添えてアメリカの友達に送ったら、矢張り独身の男が共鳴して、僕の自筆で額を書いてくれと言って来ました」
「彼方の人にもこういう趣味が分るんですかな?」
 と阿部君は感心専門でいく。
「仲間が多いですよ。彼方は」
「先生はこの上とも独身という主義でいらっしゃいますか?」
「もう固定した独身者でしょうな」
「しかし未だお若いんですから」
「いや、もう悟りを開きました。よりよき半分を持たない代わりに、ア・パートで満足しています」
「ハッハハハ」
「お分かりですか」
「ベター・ハーフの代りにア・パートは、これは穿っています。ハッハハハハハハハ」
「あなたは頭が好い」
 と相馬さんは満足のようだった。説明なしにこの洒落を理解したのは恐らく阿部君丈けだったろう。
 尤も関口君の指導宜しくを得たのだった。

作品について

 『アパートの哲学者』は、原題が『ユーカリA』といい、昭和15年(1940年)4月号から16年1月号まで「ユーモアクラブ」に十回に渡って連載された作品です。佐々木邦は、昭和12年にユーモア作家倶楽部を結成し、機関誌「ユーモアクラブ」を発行してからは、この雑誌が彼の主たる活躍の場となりました。この雑誌が「明朗」と改称し、遂には休刊になるまで、多数の作品を発表しました。ちなみに長編小説は五作品。その五作品ともそれぞれ系統の違ったものです。その中でも、この『アパートの哲学者』は、佐々木邦の作風でありながら、他に類似した作品がないという点で、ユニークな作品です。

 この作品は、ある意味で劇場的作品です。渋谷にあるユーカリA(アパート)という、モダンではあるけれども一風変わったアパートを舞台に、持ち主の叔父にあたるという「アパートの哲学者」こと相馬さんと、そこに止宿する若い人々の交流を描いています。

 このユーカリA(アパート)とは、地価の値上がりで利益の得た持ち主が、社会奉仕の為に建てたもので、部屋代が安いかわりに、人物試験をして合格した若い男女しか入居を許されません。そのため、ここに住んでいる人は佳人才子のみであり、独特の品格を持っています。アパートの哲学者、相馬さんは、長くアメリカに滞在して、3年前に日本に帰ってきた人で、哲学博士(Ph.D)であるが、独身でアパートの一室に住んでいます。

 主人公は、同僚の関口君が転勤で去った後の部屋に入居した阿部君という若いサラリーマンです。彼は、バスの停留所で相馬さんと口論したことで、相馬さんの知己を得、その性格が見とめられてユーカリAに入居しました。ここには、興信所に勤める藤本君、東大経済学部助教授の奥村君、会社員の花輪君、ミス・ユーカリのタイピスト嵯峨さん、渋川さん、雑誌記者の福島さんなどが住み、お互いが自由ではあるが、節度のある交際を行います。

 ここに登場する真の主人公で最も面白いのは、タイトル役の相馬さんです。彼は、林子平の六無斎にあやかって自分の部屋を六無洞と名づけ、和洋折衷の駄洒落を飛ばすけれども、町中では正義漢ぶりを発揮します。世間を超越した生活をしながらも、人間に対する気持は暖かです。そのため、ユーカリAの住人にとって、相馬さんへの親愛感はごく自然です。阿部君は、相馬さんに対して型に嵌った生活に無い魅力を感じますが、この相馬さんの考え方、生活は、この時点での佐々木邦の思想を反映しているものかもしれません。

 昭和15年という、対アメリカ的には反米感情が一般化し始め、国民に対しても統制経済の網が被され始めた時期に、ほとんど戦争の影を見せることのない(詳細に見て行くと、隣組、などの戦時体制の言葉が出てくるのですが)作品、登場人物もリベラルで、男女関係も健全で、かつアメリカを好意的に見る作品を書いて見せたところに、佐々木邦の意志を感じます。

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