三等重役

さわり

 南海産業株式会社は、当市の名門であり、第一流の実力を有していた。したがって、南海産業株式会社の社長さんともなれば、当市きっての紳士ということになるのであった。社長さんになったとたんに、無数の名誉職にも就任しなければならないのであるが、それはこの会社の社長さんに運命づけられた光栄ある伝統的な風習といったようなものであった。それからまた、当市の子女たちは、南海産業に就職する事を理想とし、年頃の娘をもつ親たちは、南海産業の職員さんになら、親娘揃っていつでも無条件降伏をしまする、といっている。飲み屋にいっても、南海産業のバッジをつけていると、大変待遇がいいということであった。
 (中略)
 南海産業の社長室は、他の追い込みの重役室にくらべて格段に立派にしてある。調度品は豪華を極めていた。だから、どんなつまらん男でも、ちゃんとした洋服を着て、総革張りの安楽椅子にふんぞり返っていたら、威風堂々、とまでは無理でもちょっとした貫禄がそなわってみえるかもしれない。ましてや現社長の桑原さんは、決してつまらん男では無いのであった。近頃、めっきり脂肪(あぶら)ぎり、頭髪も適当に後退して、数年前の社員時代とは別人の感がある。どうみたってやっぱり一流会社の社長さんであり、当市きっての紳士であった。
 社長室の壁には、歴代社長の肖像写真が十枚ほど掛けてある。見渡せば、どの顔も一癖二癖あって、一流の人物たるの威厳を失っていない。桑原さんは、暇々にはそれらの写真を見上げて、自分も負けないように、ぐっと胸を張り、唇許を噛みしめ、眼光を鋭くする練習をこころみるのであった。しかし、そんな風にいい気持ちになっているうちにふっとその写真の主から糞味噌に怒鳴りつけられた時の、過去の夥しい恐怖感がわっと呼び戻されてギョッと腰を浮かすことがあった。・・・・・・

薀蓄

 三等重役とは、第二次世界大戦終戦後、戦争協力者のレッテルを貼られて追放された会社経営者に代わって、急に経営者になった人たちを指す言葉である。第二次大戦前までは、日本では経営者と社員は隔絶されていて、経営者は会社の所有者と同義であった。ところが、戦後パージにより、経営者としての教育を受けていないサラリーマンが突然経営者となった。経営者として準備がされていない人たちが雨後の筍のように重役になったものだから、戦前の一流重役に対し、三等重役というのである。この言葉を作った人はわからないが、この言葉が流行語になったのは、源氏鶏太の「三等重役」がベストセラーになってからである。

 源氏鶏太の「三等重役」は「サンデー毎日」に1951年から52年にかけて連載された。毎週一話完結のショートストーリーを積み重ねて長編小説に成っている。
 お話は、サラリーマン社会をかなりカリカチャアライズして描いている。舞台は関西の小都市の名門企業南海産業。主人公の社長、桑原さんは、戦争中総務部長であったが、戦後のパージのおかげで社長になった人物。社長としての貫禄に欠けるが、愛すべき好人物。社長に対するのは浦島太郎人事課長。彼は、善良にしてかつ老獪な人物で、善良でかつ単純な社長の補佐役としてうまくはまっている。ストーリーはあるが、ビジネスに関する部分はほとんど無くて、日常のそれ以外のもろもろ、もっと具体的にいえば男女関係の調整が描かれている。
 源氏鶏太の初期の作品は、下積みのサラリーマンの哀愁を描いて優れたものが多いが、その哀歓を社長にまで拡張し、戦後の日本では、社長といえどもサラリーマンに過ぎないことを面白おかしく描いたものが「三等重役」である、とも言える。

 1952年春原正久監督で映画化(東宝)。主人公の桑原社長には河村黎吉。浦島人事課長には森繁久弥が扮した。

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