フォーレのレクイエムについて

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  ガブリエル・フォーレは1845年フランス南部のパミエで生まれ、1924年79歳の時パリで亡くなったフランス人の作曲家です。1845年というと日本では江戸時代末期、日本の初代総理大臣を務めた伊藤博文の生年が1841年ですから大体日本の明治時代ごろ活躍した作曲家と言えば大きな間違いはありません。
 
  音楽史的に見ていくと、フォーレの師匠だったサン・サーンスが産まれたのが1835年、チャイコフスキーが1840年、ドヴォルザークが1841年生まれですから、時代的には後期ロマン派の枠の中にしっかり入ります。ちなみに近現代音楽の創始者であるドビュッシーが産まれたのは1862年、後期ロマン派の頂点と言ってよいマーラーが産まれたのは1860年です。

  そんな訳で、フォーレは後期ロマン派の作曲家と考えて間違いはないのですが、後期ロマン派としてはかなり特殊な作曲家です。まず、後期ロマン派の一つの特徴である規模の拡大を彼は実質的に拒否しています。


  管弦楽曲も「ペレアスとメリザンド」や「マスクとベルガマスク」など有名な作品はありますが、せいぜい二管編成でかつその数は少ない。作品番号付きの作品だけで120曲以上ある作曲家の活躍した主要なフィールドは、室内楽曲と、ピアノ曲、歌曲でした。ピアノ曲の舟歌、夜想曲には名曲が多いですし、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲には傑作が揃っています。

  そういう作曲家が書いたレクイエムは当然ながら室内楽的でした。モーツァルト、ヴェルディ、フォーレのレクイエムを三大レクイエムと俗に言いますが、この三曲はレクイエムとして全く違った特徴を持っています。

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  「レクイエム」は「死者のためのミサ曲」と呼ばれます。「死者のための」と銘打っている以上「死者のためではない」ミサ曲も当然あるわけで、それがいわゆる「ミサ曲」です。「ミサ曲」はミサの時に演奏される音楽なのですが、では「ミサ」っていったい何なのでしょう。キリスト教の儀式、ということは誰でも知っているでしょうが、正しくは、カソリックの聖体の秘跡と呼ばれる儀式のことです。ギリシャ正教会やプロテスタントではミサは行われません。

  聖体の秘跡とは、平たく言えば、キリストが亡くなる前の最後の晩餐で、パンを取り、「これはわたしの体である」と言い、またぶどう酒について「これはわたしの血」と言ったことを踏まえて、信者がパンとぶどう  酒を頂いて信者がキリストとが一体化する儀式のことです。

  ミサには色々な種類がありまして、大きくは平日のミサ、日曜日のミサ(これを「主日のミサ」と言います)。後はクリスマスのような特別な儀式の時のミサがあります。それぞれで細かい内容は違うのですが、基本的な流れは一緒です。そして、どんなミサでもいう言葉をミサ通常文といい、季節や行事ごとに変わる言葉をミサ固有文と言います。
ミサ通常文のうち、「キリエ」、「グローリア」、「クレド」、「サンクトゥス」、「アニュスデイ」に音楽をつけたものが「ミサ曲」になります(なお、固有文に音楽をつけた、年に一度しか演奏できないミサ曲もたくさんあります)。

  さて、「死者を悼むミサ」では、通常文のうち、神の栄光を讃える「グローリア」と信仰を告白する「クレド」は唱えられないことになっています。その代り、お葬式特有の固有文がいろいろ唱えられるわけです。「レクイエム」は「死者を悼むミサ」特有の固有文に「グローリア」と「クレド」を除いた通常文に作曲した作品と纏めることが出来ます。

その構成は、一般的には入祭唱(固有文)、キリエ(通常文)、セクエンティア(固有文)、オッフェントリウム(固有文)、サンクトゥス(通常文)、アニュスデイ(通常文)、聖体拝領唱(固有文)とつながります。

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  レクイエムは「死者のためのミサ曲」ですから、当然、カトリックの「ミサ」で演奏されます。ですから、主たる演奏会場は教会になります。レクイエムはグレゴリオ聖歌に始まり、現代に至るまでいろいろな作曲家によって作曲されているわけですが、教会で演奏されるのが常識かというと、実はそんなことはありません。

  少なくとも、モーツァルトの時代まではそれが常識だったと思いますが、ロマン派の頃から「教会で演奏してもいいけど、本当は演奏会用の作品なのよ」という作品が出始めてきます。

  タイトルに「レクイエム」とついていてもラテン語のレクイエム固有文に作曲しない例もいくつも出てきます。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」とかブリテンの「戦争レクイエム」がその例です。また、レクイエム固有文に作曲しても、規模が大き過ぎて通常の教会では演奏できないのではないかと思われるベルリオーズ(初演は教会で演奏されています。ただし、アルジェリア侵略戦争で亡くなった将兵を追悼するフランス陸軍主催の式典で初演)や、最初から演奏会向けに作曲されたドヴォルザークのレクイエム(バーミンガム音楽祭のために作曲された)もその例です。

  三大レクイエムではヴェルディの「レクイエム」は教会向けに作曲されているように見せていながら、実際は演奏会向けと申し上げてよいと思います(初演は教会だけど、二回目の演奏はミラノスカラ座)。
「レクイエム」では何故演奏会向けの曲が出てくるかと言えば、それは内容が劇的だからです。「レクイエム」と言えば、静かに死者を悼むイメージがりますし、フォーレの「レクイエム」全曲が天国的と申し上げてよい美しさで満ち溢れているのですが、これはフォーレが例外です。

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  一般に「レクイエム」は激しい音楽になることが多い。なぜか?それは、セクエンティア(続唱と言います)の内容に由来します。

1.怒りの日(Dies iræ)、
2.奇しきラッパの響き(Tuba mirum)、
3.恐るべき御稜威の王(Rex tremendæ)、
4.思い出したまえ(Recordare)
5.呪われたもの(Confutatis)
6.涙の日(Lacrimosa)

に分かれており、その内容が「神の怒り」に始まって「神の許し」に至るわけですから、その中身がまず劇的なのですね。

  特に「怒りの日」が全曲のクライマックスになることが多い。  それでもグレゴリオ聖歌ではそんなに激しい音楽であるという印象はないのですが、モーツァルトでは既に激しい音楽で、CMなんかにも使われていますし、ヴェルディに至っては、テレビのバラエティ番組「運命の時」のBGMとしておなじみで、激しい「怒りの日」になっています。

  では、主題のフォーレはどうか。答えは「作曲しなかった」です。フォーレは「レクイエム」の一番激しい「セクエンティア」にほとんど曲をつけなかった。「ほとんど」と書いたのは、つけた部分もあるからですが、それは「涙の日」の最後の一節「pie Jesu Domine,」の部分だけです。この部分は美しいソプラノ・ソロで歌われます。

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  フォーレがレクイエムに於いて、セクエンティアにほとんど曲をつけなかったことは当時のカソリック的常識から言って認められないことでした。それでも彼があえてそうしたのは、彼の死生観に由来するものだったそうです。フォーレは後に、自分のレクイエムについて「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」と言っています。フォーレにとってこの静謐な音楽は彼にとって、あるいは彼の「レクイエム」にとって必然だったのかもしれません。

フォーレのレクイエムの構成を見ると、

第1曲 イントロイトゥスとキリエ(Introitus et Kyrie)
第2曲 オッフェルトリウム(Offertorium)
第3曲 サンクトゥス(Sanctus)
第4曲 ピエ・イェズ(Pie Jesu)
第5曲 アニュス・デイ(Agnus Dei)
第6曲 リベラ・メ(Libera me)
第7曲 イン・パラディスム(In paradisum)

  となっており、最後の二曲、「リベラ・メ」と「イン・パラディスム」は、本来のミサには含まれません。特に「イン・パラディスム」は、出棺、埋葬時に歌われる曲で、フォーレ以前に「レクイエム」の一曲として書かれている例があるのでしょうか(レクイエムに含まれない曲としては、グレゴリオ聖歌をはじめ、幾つも作曲されています)? 私は寡聞にして知らないのですが、誰もやらなかったことをやって彼独自の死生観を示したところにこの曲のユニークさがあります。

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  三大レクイエムの一つ、ヴェルディのレクイエムが作曲されたのが1873年、フォーレのレクイエムが作曲されたのは1887年から1888年、とその違いは15年にすぎません。フォーレは、ヴェルディのレクイエムを当然知っていたと思われますが、出来上がった作品は全く違うものになりました。

  ヴェルディは劇的で華やかなレクイエム。フォーレは優美で室内楽的レクイエムです。ヴェルディのレクイエムは、フルオーケストラに4人のソリスト、大規模(100人以上)の合唱団が必要です。アンサンブル・フェリーチェのような30数人規模の合唱団ではとても取り上げられません。一方フォーレは、室内オーケストラにソプラノとバリトンのソリスト、それに合唱団ですから、アンサンブル・フェリーチェが取り上げるのにちょうどよいサイズです。ちなみにモーツァルトのレクイエムは30数人の合唱団で歌うにはちょっと無理ですが、60人ぐらい団員がいれば演奏可能かもしれないと思います。

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 フォーレ・レクイエムの成立過程はかなり複雑です。従来は1885年7月に彼の父親が死亡し、1887年12月には彼の母親が死亡したことから、「両親の思い出のために」作曲された、と言われてきたようです。しかし、その説は嘘とは言えないにせよ、フォーレは自分からその説を(内心はどうあれ)口にしたことはないようです。

 実際の作曲は1887年秋ごろから作曲が開始され、「ピエ・イェズ」が最初に完成したと言われています。「ピエ・イェズ」は、「レクイエム」の一部であっても「涙の日」のごく一部に過ぎませんから、最初から彼が「レクイエム」としてまとめることを意図していたかどうかすら疑わしい。ソプラノ・ソロが歌うことを考えれば、歌曲として作曲した可能性だってあるのです。

 しかし、「ピエ・イェズ」が出来上がると、「イントロイトゥスとキリエ」、「イン・パラディスム」、「アニュス・デイ」、「サンクトゥス」の順に作曲され、1888年初頭にはこの5曲は完成し、1888年1月に、フォーレが1877年以来聖歌隊隊長を務めていたマドレーヌ教会で一市民(建築家ルスファシェ)の葬儀の際にフォーレ自身の指揮で初演されました。その時の楽器編成は、どうも独奏ヴァイオリンとヴィオラ、チェロ二部(チェロとコントラバスだったという説もあるらしい)、オルガン、ハープ、ティンパニという小規模なもので、声楽はソプラノ・ソロと合唱だったそうです。なお、この時、マドレーヌ教会は女子禁制だったので、ソロはボーイ・ソプラノ、女声合唱の部分は少年合唱が担ったそうです。

 そこでこのマドレーヌ寺院版を「第1稿」と言います。

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 さて、この第一稿はフォーレにとっては完成稿ではなく、色々と修正が加えられていきます。最初は金管楽器の追加です。1888年5月ごろには、ホルンとトランペットの追加が行われました。

 「オッフェントリウム」は、1887年頃から作曲され、最初はバリトン独唱による「ホスティアス」の部分のみで、そののち1894年にかけて「オ・ドミネ」の部分が加わり現在の形になっていったと言われています。

 「リベラ・メ」は、1877年にオルガン伴奏つきの独唱曲として作曲されたものに、トロンボーンのパートを追加して1891年に組み込まれました。このような改変は、なされる度にフォーレの関係する演奏家たちによって試演され、可能性が検討されたものと考えられています。

 ちなみに7曲構成になっての初演は、1892年1月28日、国民音楽協会の演奏会と言われています。ただし、前述のようにこの段階で「オッフェントリウム」は、まだ現在の形にはなっていません。現在の形にまとまったのは「オッフェントリウム」が完成した1893年もしくは1894年と考えられています。この版が「1893年版」とも呼ばれる「第2稿」です。

 即ち、第2稿の編成は、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、オルガン、ハープ、ティンパニ(各1)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、独奏ヴァイオリン、ソプラノ独唱、バリトン独唱、合唱という木管楽器とヴァイオリン群が抜けた極めて変わった、室内楽指向の強かったフォーレらしいものになっています。

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 ただ、「第2稿」が成立するまでには前述の様々な試行錯誤があり、いつ決定稿が出来たががよく分かっていません。1893~1894年頃であることは間違いなさそうですが、フォーレ自身の決定稿の自筆譜が残されていないし、作曲直後に出版されていないので、そのあたりがはっきりしないのです。

 フォーレは音楽出版社の「アメル」に出版するように持ちかけたのですが、アメルはオーケストラの編成が変わっているので売れないだろうと見込み、普通のオーケストラで演奏できる形に編曲することを要望しました。そして、それは1901年に出版されたのですが、フォーレは忙しかったということもあるでしょうし、自分が完成したと思っている楽譜に更に手を入れることに抵抗があったということもあるでしょう。

 フォーレは自分でフル・オーケストラ版にすることはなく、弟子のロジェ・デュカスにそれを委ねたようです(なお、声楽部分のピアノ・ヴォーカル・スコアは彼の手によるものであることがはっきりしています)。
この稿が「第3稿」であり、1900年5月初演、7月12日のパリ万国博覧会記念の演奏会(パリのトロカデロ宮殿、ポール・タファネル指揮ラムルー交響楽団、ジグー(オルガン)、トレース(ソプラノ独唱)、ヴァリエ(バリトン独唱))で本格的にお披露目され大成功を収めました。

 オーケストラの編成は、フルート 2 (第4曲のみ)、クラリネット 2 (第4曲のみ)、ファゴット 2 (第1、4、5曲のみ)、ホルン 4 (第1、3、5、6曲のみ)、トランペット 2 (第1、3曲のみ)、トロンボーン 3 (第6曲のみ)、ティンパニ (第6曲のみ)、ハープ 1 (第3、4、7曲のみ)、オルガン、ヴァイオリン (第3、5、6、7曲のみ)、ヴィオラ 二部、チェロ 二部、コントラバスです。

 以上述べてきたように、フォーレのレクイエムは複雑な過程を経て成立してきており、更にアメルからの出版譜はフォーレの自筆ではないことから、フォーレのレクイエムの決定版がどこにあるかは議論の尽きないところです。

 どちらにしても出版はフォーレの存命中に行われているので、フォーレが第3稿を否定していたわけではないことは明白です。そんな訳で、1980年頃まで、フォーレのレクイエムの録音と言えば第3稿で行われるのが普通でした。

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 1980年ころから、フォーレが望んだ形での演奏をすべきではないか、という機運が高まってきました。そのころはちょうど古楽と古楽器ブームで、オーセンティック演奏が広がり始めたころと期を一にする訳ですが、フォーレのレクイエムについてもその流れに乗ったということかもしれません。

 フォーレの望んだ形は第2稿である、というのはほぼ明確な訳ですが、第2稿は出版されていませんし、フォーレ自身も毎回少しずつ変えながら演奏していたわけで、どれが第2稿の決定版なのか、というのはよく分かりませんでした。

 それについて最初の回答を与えたのは、イギリスの作曲家で合唱指揮者のジョン・ラターでした。ラターは1893年版の彼の考える決定版を1984年Oxford University Pressから出版し、彼の手兵である合唱団ケンブリッジ・シンガーズを中心としたグループ、すなわち、

キャロライン・アシュトン (ソプラノ)
スティーヴン・ヴァーコー (バリトン)
サイモン・スタンデイジ (ヴァイオリン)
ジョン・スコット(オルガン)
シティ・オブ・ロンドン・シンフォニア

というメンバーで録音しました。  

  ラター版の特徴は、端的に言えば第3稿の枠組みを生かしながら、楽器構成を変えるとともに、明らかな誤りを修正したところにあります。アンサンブル・フェリーチェは今、全音の楽譜を使って練習していますが、この譜面はもともとアメルの第3稿のピアノ・ヴォーカル・スコアをもとにしています。この楽譜の「Introitus et Kyrie」の81小節目の歌詞は"eleison"となっていますが、これは第3稿の記載を引き継いだものです。しかし、これはミサ典礼文の感覚からすると「Kyrie」でなければおかしいということで、ラターは「Kyrie」と書き換えています。

 ただ、ラターが本当に第2稿を適切に校訂したかと言えばこれまたむつかしいところがあります。第3稿ではファゴットはあまり重用されていないのですが、ラターはファゴットを重視している。第2稿は木管楽器が欠けているのが特徴と言いながら、ファゴットパートをしっかり入れているのがラター版の特徴です(フォーレ自身がファゴットを入れて演奏したこともあるという説もあります)。

 もともと、フォーレのレクイエムは合唱が主役の曲です。オーケストラは合唱の伴奏として書かれたのではないかと思います。従って、ハープみたいなメロディ楽器は入っているものの、低音楽器が下を支える形が基本です。ファゴットは言うまでもなく木管楽器の一番下を受け持ち、バロック時代では通奏低音を受け持っていた楽器ですから、ラターは通奏低音的感覚でファゴットを足したのかもしれません。

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 自国の作曲家の作品の校閲で先を越されたというのは誇り高いフランス人にとって許されることではありませんでした。本当にそういう理由かどうかは知りませんが、フランスのフォーレ研究家のジャン=ミシェル・ネクトゥーがロジェ・ドラージュ(指揮者)と共同で第2稿の校訂版を作成しました(実際には、ネクトゥーは、ラター版が出版されるよりもかなり前から「レクイエム」の校訂作業に携わっていたようです)。この「ネクトゥー/ドラージュ版」と呼ばれる校訂版は、1988年、フォーレのレクイエム発表100年記念演奏会で初演されました。そして、1994年に、フォーレに対して第2稿の出版を拒否したアメルより出版されました。フォーレの第2稿は1894年に完成していると考えられることから、奇しくも100年の眠りを経て出版されたことになります。

  ネクトゥー/ドラージュ版の特徴は、第3稿と比較してかなり大胆な改変を行っていることです。その詳細は、ここには記しませんが、楽器編成は完全に木管排除です。すなわち、ホルン2本、トランペット2本、トロンボーン3本、ハープ、ソロ・ヴァイオリン、ヴィオラ2部、チェロ2部、コントラバス、オルガンです。ラター版はホルン4本、トランペット2本、ファゴット2本、ハープ、ソロ・ヴァイオリン、ヴィオラ2部、チェロ2部、コントラバス、オルガンで、ラター版とネクトゥー/ドラージュ版の楽器編成上の違いはファゴットを使うかトロンボーンを使うかですが、「「リベラ・メ」は、1877年にオルガン伴奏つきの独唱曲として作曲されたものに、トロンボーンのパートを追加して1891年に組み込まれ」ているわけですから、ラターは分が悪い感じです。

 ちなみに、このジャン=ミシェル・ネクトゥーは、第3稿の校訂にも手を貸しています。

  フォーレ「レクイエム」の第3稿は、1901年にフランスの音楽出版社・アメルから出版されているわけですが、フランスの楽譜の常で、非常にミス・プリントが多いそうです。どうしてミスプリが多いとわかるかと言えば、オーケストラのパート譜や合唱のヴォーカルスコアと記載が違うのですね。

 現実の演奏ではそれを一致させなければなりませんから、指揮者が一つ一つ指摘して演奏に臨んでいたのでしょうが、それを楽譜として最初にまとめたのが、ロジャー・フィスケとポール・インウッドです。彼らの校訂版が1978年にオイレンブルクから出版されました。彼らの校訂の方針は、パート譜やヴォーカルスコアとフルスコアとの矛盾を解決することだけだったようです。ですから、例えば、「Introitus et Kyrie」の81小節目の歌詞"eleison"を”Kyrie”にする変更はしておりません。

 それに対してネクトゥーは、大胆に修正を入れており、第2稿での自らの校訂も踏まえた思い切った修正になっています。このネクトゥー校訂版はアメル社より1998年に出版されました。

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 これまで述べてきたような経緯で、フォーレの「レクイエム」は、主要な校訂版が4つあります。即ち、第2稿に関しては、ラター版とネクトゥー/ドラージュ版、第3稿に関しては、ロジェ・デュカスによるアメル旧版とネクトゥーによるアメル新板です。

 この中で、最も小さいオーケストラ編成で演奏できるのは、第2稿のネクトゥー/ドラージュ版なのですが、それでもオーケストラのメンバーが最低でも20人は必要です。この人数のオーケストラを揃えることは、合唱団にとっては難しい。また、このレクイエムの主役は合唱であることを踏まえると、合唱を美しく聴かせるための伴奏さえあればよいのではないか、と考える方が出てきます。

 その代表例として、マティアス・ワーグナーというオルガニストが編曲したオルガン伴奏版があり、2004年に世界一の合唱団ともいわれるスウェーデン放送合唱団によって歌われています。

フレドリク・マルムベルク指揮
スウェーデン放送合唱団
マティアス・ワーグナー(organ,編曲)
ミア・ペルソン(S)
オレ・ペルソン(Bar)

 このオルガン編曲版が一つのきっかけになったかどうかは知りませんが、その後、合唱団の規模や特色に応じて、色々な伴奏版のレクイエムが演奏されています。よくやられるのは、ラター版からいくつかの楽器を減らす方法ですが、ワーグナー版に楽器を足すやり方もあるようです。

 ちなみにアンサンブル・フェリーチェは、オルガン伴奏(当団の使う楽譜はブライトコップフ版が基本です)で、ヴァイオリンソロのみが入るという珍しい編成を使います。

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 これまで述べてきたように、フォーレのレクイエムは7曲からなるのですが、音楽的には、第4曲の「Pie Jesu」に頂点があり、第3曲と第5曲、第2曲と第6曲、第1曲と第7曲とが対称形の形をとっています。第2曲と第6曲にバリトン・ソロが入り、第4曲が天使のようなソプラノ・ソロにより歌われることからもそれが分かります。

  さて、ここからは曲の特徴を述べていきましょう

第1曲:イントロイトゥスとキリエ(Introitus et Kyrie)

全91小節、全体は5つの部分に分かれます。

 最初の17小節は序奏部でニ短調4/4拍子、曲想記号はMolto Largoです。4オクターヴにわたるユニゾンのレの鳴る下、合唱が静かにコラールを歌い始めます。9小節目に一つの盛り上がりを見せた後、また静かに消えていきます。

  続いての18小節目から41小節目までがイントロイトゥスの主部です。アンダンテ・モデラートのテンポでテノールのパートソロにより「永遠の安息を」と歌われます。表情記号は「dolce e espressivo」優しく表情豊かに歌うことが求められます。

 テノールの印象深い表現は、42小節目からソプラノに引き渡されます。ニ短調、イ短調と短調で来た音楽が、ここから変ロ長調に代わります。

 合唱全声部が登場する50小節目からが第4部分(第三主題)ここでは、フォルテシモの四度下降とピアノの四度上昇がせめぎ合いながら増和音をはさんで転調して行きます。ヘ長調→ニ短調→嬰へ短調→変ロ短調と変化しながら最後はニ短調に戻り、18小節でテノールが歌ったテーマに戻るのですが、そこではもう「Requiem」とは歌われず「Kyrie eleison」と歌われます。そして、ここでは全声部が参加し、厚い合唱となります。ソプラノの歌った第二主題は再現されることなく、第三主題に乗せて「Christe leison」が歌われますが、今度は転調しながら盛り上がることはなく、「Kyrie eleison」と歌われて、静かに終わります。

第2曲:オッフェントリウム(Offertorium)

  全95小節、全体は4つの部分に分かれます。

 最初の27小節が第一部です。オルガンとチェロがニ短調で示す主題をヴィオラがロ短調で受け(なお、楽譜にはAltoと書いてありますが、これがヴィオラのことです)、さらに声部を増やしながら転調し、最後は嬰へ長調(=ロ短調の属調)に至ります。

 アカペラでアルト(こちらはヴィオラではなく合唱のアルト)が「おお、主よ」とロ短調で歌い始めるとすぐにテノールが追いかけ、カノン風に切々と歌われます。アカペラで歌われるこの部分は、歌詞が「解き放ってください、死せる者の魂を」と歌っているだけあって幻想的ではあるのですが、切実感の強い音楽です。

 28小節から31小節目までが第二部。より幻想的色彩が強まるのですが、バリトン・ソロで一変します。

 32小節目から74小節目まではバリトン独唱が「いけにえと祈りを」と歌います。この部分は明るい調性として知られるニ長調。人間臭さを感じさせる部分です。

  その勢いは78小節目から「おお、主よ」の合唱に引き継がれます。最初はロ短調だったのが、並行調であるニ長調に変わって明るく盛り上がり、)更にロ長調に転調して「アーメン」を歌います。

 なお、オッフェントリウムでは、フォーレはミサの典礼文をあえて変更して作曲している部分が二箇所かあります。一つは、「libera animas omnium fidelium defunctorum」を「libera animas defunctorum」すなわち、「全ての死せる信者の魂を解き放て」を「全ての死せる者の魂を解き放て」と変えて普遍性を上げていること。もう一つは、最後に「アーメン」を入れているところです。

第3曲 サンクトゥス(Sanctus)

  全62小節、3/4拍子

 基本的にソプラノとテノール(バスもフォローに入りますけど、倍音を強める以外ほぼ役に立ちません)の応答で「聖なるかな」と歌いあげられます。ヴァイオリンはここではじめて使われ、天使的な音楽をさらに天上に引き上げます。

 調性は変ホ長調で、基本全曲その調性のままですが、掛け合いの中でところどころ小さな転調が行われ、神秘的な雰囲気を盛り上げます。そして、変二長調に転調すると、ソプラノが「ホザンナ」とピアノで歌い始め、これはすぐにフォルテまでクレッシェンドされ、男声による輝かしいファンファーレにつながります。この「ホザンナ、高きところにて」がだんだん遠ざかっていくと、また変ホ長調に戻り、アルトの落ち着いた声も入って合唱は静かに終わります。そして、最後にヴァイオリンのオブリガートが美しく曲を閉めます。

第4曲ピエ・イェズ(Pie Jesu)

全38小節、4/4拍子

 本レクイエムで唯一合唱が休みになる曲です。響きの美しいリリックなソプラノに歌われると、曲の美しさが引き立ちます。もともとはレクイエム続唱の最後の部分「ラクリモーザ」の後半の歌詞です。

 フォーレはベネディクゥスの代わりにこの「ピエ・イェズ」を置いて、このレクイエムの頂点にしたわけですが、それだけの価値がある曲です。調性は変ロ長調。調性や音の並びを変えながら少しずつ変化していくのですが、その変化は小さく、音の強さも最大でメゾフォルテと穏やかさが終始感じられる曲です。

第5曲 アニュス・デイ(Agnus Dei)

全94小節、3/4拍子

 ミサでは、「アニュス・ディ」のお祈りの後、「聖体拝領」の儀式がありますが、フォーレのレクイエムでは、この「聖体拝領」にも音楽がつけられています。

  曲は4つの部分に分かれます。

 最初の44小節がアニュス・ディの部分です。

 ヘ長調でオルガンの前奏に引き続き、テノールのパートソロが、優しく表情豊かに「アニュス・ディ」と歌い始めます(これを第一アニュスといいます)。それを受けるのが、全声部の参加する第二アニュス。こちらはフォルテ、ピアノの強弱の対比が繰り返され、半音階的進行や伴奏のシンコペーションもあって、なかなか劇的な中間部になります。そして、冒頭の音楽に回帰しテノールによる第三アニュス。

 45小節目から74小節までの第二部分が、「聖体拝領」の音楽です。第三アニュスから聖体拝領の音楽は、テノールの「ド」の音をソプラノがオクターヴ上の「ド」の音で受けて始まるのですが、この音を軸に変イ長調に転調して雰囲気が変わります。第二アニュスに近いのかもしれません。半音階的に下降していく旋律はクレッシェンドとディミニエンドの繰り返しの中だんだん盛り上がり、「あなたは慈愛深い方」と信仰を吐露してニ短調の属音で半休止します。

  モルトラルゴの曲想で戻るのは、第1曲イントロイトゥスの音楽です。ニ短調で冒頭と同じ音楽が鳴るのですが、短調のままで進行することはなく、冒頭の分散和音の旋律を天国の調であるニ長調で受けて、天国への道を暗示します(第4部分は87小節からで合唱から伴奏に曲が手渡されます)。

第6曲 リベラ・メ(Libera me)

  全136小節、4/4拍子

 前述のように、「リベラ・メ」はミサ典礼文ではなく、ミサ終了後の赦祷式で歌われる応唱(レスポンソリウム)です。フォーレは第1稿ではこの音楽をレクイエムに付け加えようとは考えていなかったようです(だから、アニュス・デイの最後が二長調になり、イン・パラディスムはニ長調で始まります)。しかし、何か思うところがあったのでしょうね。第2稿で導入されました。

 曲は全体で3つに分かれます。最初が52小節目まで。ニ短調でオルガンの脈動からスタート、すぐにバリトン・ソロが、「私を解き放ってください」と歌い始めます。このバリトンソロは、「dolce」で歌うことは求められていないことで、この曲の中でも特異的です。

 バリトンは、最初ピアノで入り、音の下降と上昇をくり返しながら、だんだん高い音になり、また強弱もつけながらフォルテに向かって進んでいき、「あなたが来て裁く間」のところで頂点に達します。

 しかし、それを受ける合唱は、ピアニシモからのスタートです。「震えさせられています」は、怯えるような弱音。そこから盛り上がっていきますが、またピアノに戻って「怒りの日」の襲来を待ちます。

 53小節目から83小節目が「怒りの日」です。セクエンティアで歌われなかった怒りの日が30小節だけ歌われます。ヘ長調から変ホ長調になり、ピアノに戻って、「永遠の安息を」と歌われますが、このエネルギーはクレッシェンドにつながり、「そして絶えることのない光が」と盛り上がりますが、そのまま終わることはなく、ニ短調に転調して、ピアノで次の第三部につながります。

 三部は、冒頭のバリトン・ソロと同じ旋律をユニゾンの合唱が歌います。今度はdolceとなって滑らかに歌い、もう一度バリトン・ソロが、改めてdolceで歌い、合唱とともに「私を解き放ってください、主よ」と唱えて、ニ短調のまま曲が閉ります。

第7曲 イン・パラディスム(In paradisum)

  62小節、3/4拍子、アンダンテ・モデラート。

 フォーレが初めてミサ曲に取り入れた音楽。棺が運び出されるときに歌われる交唱です。レクイエムは、基本的に神に二人称で語り掛ける音楽ですが、この「楽園にて」では、「あなた」と死者に語りかけます。

 魂が楽園へと向かう音楽は、オルガンのアルペジオで始まります。美しいソプラノの旋律は、一貫して柔らかく天を目指していきます。「エルサレム」と合唱で歌われ、転調を繰り返しながらニ長調に戻り、ソプラノのパートソロで転調を繰り返しながら嬰ハ短調まで至りますが、最後はニ長調で「レクイエム」と歌われ曲を閉じます。

  「レクイエム」は曲の冒頭は必ず「レクイエム」になるのですが、「レクイエム」で曲を終わらせた例はおそらくフォーレが初めてです。

  19世紀後半のフランス音楽では、サン・サーンスやフランクの交響曲が代表的ですが、循環形式(即ち、多楽章曲中の2つ以上の楽章で、共通の主題、旋律、或いはその他の主題的要素を登場させることにより楽曲全体の統一を図る手法)が一世を風靡しました。その影響がこの「レクイエム」にも含まれているとはいえると思います。

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 フォーレのレクイエムがなぜ作曲されたかは、いまだよくわかっていないのですが、このような形式にしたのは、ブラームス「ドイツ・レクイエム」に触発されたのではないか、という気がしています(証拠はありません、個人的な想像です)。

 ブラームスはプロテスタントの信者で、宗教的な意味では「死者のためのミサ曲」を書く理由がありません。実際、ブラームスはこの作品を典礼用作品ではなく演奏会用作品として作曲し、歌詞も本来のレクイエムのドイツ語訳ではなく、マルティン・ルターが訳したドイツ語版の聖書などに基づいて、ブラームスが自分で選んだテキストを使用しています。したがって、歌詞の内容はレクイエムの典礼文とは全然違っています。「ドイツ・レクイエム」が作曲され、初演されたのが1868年で、フォーレはもちろんこの作品のことを知っていたでしょう。

 これを聴いて、カソリックである自分がどこまで自由なレクイエムを書けるのか、ということを考え、今の形に仕上げた、ということがあると思います。

 このフォーレのレクイエムは後世の作曲家たちに非常に影響を与えました。

 その最たるものが、デュリュフレのレクイエム作品9です。構成は、フォーレと全く同じ。ソリストは、ソプラノの代わりにメゾソプラノを使っていますが、あとはバリトンで、バリトンソロが歌うのはオッフェントリウムとリベラ・メ、メゾソプラノソロが歌うのはピエ・イエズです(ちなみに、デュリュフレはフォーレの影響を否定しているそうですが、ちょっと信じがたいです)。

  また、伴奏が3種類あるのもこの曲の特徴で、伴奏はフルオーケストラ版、オルガン版(オルガンと任意のチェロ独奏)、室内オーケストラ版とデュルフレ自身が編曲しています。

 ジョン・ラターの「レクイエム」は、彼自身がフォーレ「レクイエム」の校訂を行っているだけあって、フォーレの影響を色濃く受けているといわれます。彼自身は英国国教会の信者ですから、曲の構成はフォーレとは違いますが、聴いてみるとその影響を感じます。

 ロイド・ウェバーの「レクイエム」もフォーレの影響を色濃く反映している一曲です。曲の雰囲気もさることながら、伴奏にヴァイオリンが使用されていないのもフォーレをほうふつさせます。もちろん、ロイド・ウェッバーの弟のジュリアン・ロイド・ウェッバーは有名なチェリストなので、そうしたのかもしれません。

 以上、長々とお付き合いありがとうございました。3月4日、ぜひアンサンブル・フェリーチェが歌うフォーレ・レクイエムを聴きに来てください。よろしくお願いします。

Fin

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