氏名 |
渡辺 葉子(わたなべ ようこ) |
生年月日 |
昭和28(1953)年7月12日-平成16(2004)年7月15日 |
出身地 |
福岡県北九州市八幡区 |
出身校 |
明治学園中学校・高等学校、東京藝術大学(昭和51年)、同大学院中退、ミラノ・スカラ座付属研究所修了 |
師事 |
ベルトラミ、小園邦子、平原寿恵子、渡辺高之助 |
留学 |
昭和51〜53年 |
パート |
ソプラノ(ソプラノ・リリコ・スピント) |
主な経歴 |
1953 福岡県北九州市にて開業医の一人娘として生まれる。
1976 東京芸大声楽科卒業。
1976 マダム・バタフライ・国際コンクール第二位となり、大学院を一か月で中退、ミラノ・スカラ座付属研究所に留学。
1978 トレヴィーゾ国際声楽コンクールで第一位となり、同地で道化師「ネッダ」でデビュー
1980 テノール歌手、レナート・グリマルディと結婚
1984 コヴェントガーデン王立歌劇場にトゥーランドット「リュー」でデビュー
1985 藤原歌劇団「蝶々夫人」タイトル役で日本デビュー
1985 ミラノ・スカラ座にトゥーランドット「リュー」でデビュー
1986 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に「蝶々夫人」でデビュー
この間、ウィーン国立歌劇場を含む世界各地で活躍。
1999 新国立劇場「蝶々夫人」出演中、体調不良で途中降板。
2004 癌由来の心不全により逝去。51歳。 |
日本における主なオペラ出演歴 |
日時 |
場所 |
主催団体 |
作曲 |
演目 |
役名 |
形式 |
指揮 |
演出 |
1985/7/10 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
粟國安彦 |
1985/7/12 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
粟國安彦 |
1986/7/6 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
プッチーニ |
ラ・ボエーム |
ミミ |
字幕付原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
パオロ・トレヴィージ |
1986/7/10 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
プッチーニ |
ラ・ボエーム |
ミミ |
字幕付原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
パオロ・トレヴィージ |
1989/10/27 |
国立代々木競技場第一体育館 |
IMG |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
字幕付き原語上演 |
ジャック・デラコート |
ビムロット |
1989/10/30 |
国立代々木競技場第一体育館 |
IMG |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
字幕付き原語上演 |
ジャック・デラコート |
ビムロット |
1989/11/5 |
フェスティバルホール |
IMG |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
演奏会形式 |
ジャック・デラコート |
|
1989/11/6 |
フェニックスホール |
IMG |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
演奏会形式 |
デイヴィッド・パリー |
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1989/11/8 |
名古屋市民会館 |
IMG |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
演奏会形式 |
ジャック・デラコート |
|
1990/7/14 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
レオンカヴァレロ |
道化師 |
ネッダ |
字幕付原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
フランチェスコ・プリヴィテーラ |
1990/7/16 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
レオンカヴァレロ |
道化師 |
ネッダ |
字幕付原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
フランチェスコ・プリヴィテーラ |
1990/7/18 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
レオンカヴァレロ |
道化師 |
ネッダ |
字幕付原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
フランチェスコ・プリヴィテーラ |
1990/7/22 |
九州厚生年金会館 |
藤原歌劇団 |
レオンカヴァレロ |
道化師 |
ネッダ |
字幕付原語上演 |
ミケランジェロ・ヴェルトリ |
フランチェスコ・プリヴィテーラ |
1992/6/17 |
サントリーホール |
読売日本交響楽団 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
演奏会形式 |
ジャック・デラコート |
|
1992/6/19 |
神奈川県民ホール |
読売日本交響楽団 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
演奏会形式 |
ジャック・デラコート |
|
1992/6/21 |
フェスティバル・ホール |
読売日本交響楽団 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
演奏会形式 |
ジャック・デラコート |
|
1994/11/24 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
ヴェルディ |
シモン・ボッカネグラ |
アメーリア |
字幕付原語上演 |
アンジェロ・カンポリ |
アントネッロ・マダウ・ディアツ |
1994/11/28 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
ヴェルディ |
シモン・ボッカネグラ |
アメーリア |
字幕付原語上演 |
アンジェロ・カンポリ |
アントネッロ・マダウ・ディアツ |
1994/12/2 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
ヴェルディ |
シモン・ボッカネグラ |
アメーリア |
字幕付原語上演 |
アンジェロ・カンポリ |
アントネッロ・マダウ・ディアツ |
1995/7/3 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
グノー |
ファウスト |
マルグリート |
字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュティ |
ヘニング・ブロックハウス |
1995/7/6 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
グノー |
ファウスト |
マルグリート |
字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュティ |
ヘニング・ブロックハウス |
1995/7/9 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
グノー |
ファウスト |
マルグリート |
字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュティ |
ヘニング・ブロックハウス |
1997/9/5 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
オペラコミック版、字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュティ |
グリシャ・アサガロフ |
1997/9/9 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
オペラコミック版、字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュティ |
グリシャ・アサガロフ |
1997/9/11 |
東京文化会館 |
藤原歌劇団 |
ビゼー |
カルメン |
ミカエラ |
オペラコミック版、字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュティ |
グリシャ・アサガロフ |
1999/12/18 |
新国立劇場オペラ劇場 |
新国立劇場 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュテイ |
栗山昌良 |
1999/12/21 |
新国立劇場オペラ劇場 |
新国立劇場 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
字幕付原語上演 |
ウジェコスラフ・シュテイ |
栗山昌良 |
1999/12/24 |
新国立劇場オペラ劇場 |
新国立劇場 |
プッチーニ |
蝶々夫人 |
蝶々夫人 |
字幕付原語上演(第一幕のみで降板) |
ウジェコスラフ・シュテイ |
栗山昌良 |
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受賞歴 |
1976年:イタリア声楽コンコルソ・ミラノ大賞
1976年:第4回マダムバタフライ国際コンクール第二位
1978年:トレヴィーゾ国際声楽コンクール第一位
1978年:アドリア声楽コンクール第一位
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所属団体等 |
藤原歌劇団 |
教育活動 |
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社会活動など |
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ウェブサイト |
なし |
コメント |
40代の全盛期に実質的な引退を余儀なくされた名ソプラノです。 蝶々夫人の出演が圧倒的に多かった(ご自身がインタビューで500回以上歌っているとおっしゃっています)ようですが、そのほか、「トーランドット」リュー、「カルメン」ミカエラ、「ボエーム」ミミ、「道化師」ネッダ、「アドリアーナ・ルクヴルール」タイトル役、「マノン・レスコー」タイトル役、「メフィストフェレ」マルゲリータ、「シモン・ボッカネグラ」アメーリア、などをレパートリーにしていました。
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