氏名 藤原 義江(ふじわら よしえ)
生年月日 明治31(1898)年12月5日-昭和51(1976)年3月22日
出身地 山口県下関市
出身校 暁星小学校、明治学院中等部、京北実業学校、早稲田実業学校、夫々中退
師事 正規には無し。基本的な音楽の手ほどきは、町田金嶺、藤村悟郎、安藤文子らに受ける。
留学 1920年 イタリア・ミラノ
パート テノール
主な経歴  1898 下関にて、スコットランド人の貿易商ネール・ブロディ・リードと下関で活動していた琵琶芸者、坂田キクの間に生まれる。父親に認知されない私生児であり、戸籍も作られなかった。実際に出産されたのは、キクの実家の大阪である。母は、その後九州各地を転々とする。
 1905 大分県速見郡杵築町の芸者置屋の主人・藤原徳三郎により認知を受け、日本国籍を得る。
 1906 同地で鉄工所を経営している水野松次郎の養子となり、通常より1年遅れで杵築尋常小学校に入学。
 1909 小学校4年終了と同時に水野家を出る。生母と大阪に移り、祖父の家に寄宿するが、その家が火事で焼けたため、下関のリードを頼る。リードは養育費を出すことに合意し、東京の暁星小に転入。リードの勤めていた瓜生商会の瓜生寅宅から通う。その後、素行不良その他で各学校を転々とする。
 1917 新劇を見て俳優になろうとし、新国劇の沢田正二郎の門を叩く。芸名・「戸山英二郎」を貰う。
 1918 新国劇での限界から、浅草オペラ・日本館に潜り込む。すぐに金竜館へ移る。安藤文子に音楽の手ほどきを受け、同棲する。
 1919 安藤文子と結婚する。
 1920 父、リードが死亡し、その遺産でミラノに単身で留学する。安藤文子は、義江の留学中に死亡。
 1921 ロンドンに移り、吉田茂の知己を得、初リサイタルを行う。『荒城の月』、歌劇「マノン」のアリア『夢の歌』など。その結果、英国内で人気が出る。
 1923 米国に移る。米国でも一定の人気を博したが、朝日新聞社の原田譲治により、「我等がテナー/藤原義江」との記事が書かれ、その朝日新聞の肝いりで凱旋公演を行うために帰国する。医学博士夫人の宮下あき子と知り合い、恋に落ちる。あき子との関係がスキャンダルになり、その騒ぎを逃れようとして、1930年までの間に外遊、帰国を繰り返す。
 1926 日本人初の米国・ビクター社の赤盤歌手として、ニューヨークで録音。最初の赤盤レコードは『出船の港』
 1930 あき子と結婚する。初めて、本格的オペラの舞台に立つ。歌舞伎座における「椿姫」のアルフレード役。
 1931 パリ・オペラ・コミックのオーディションに合格し、「ボエーム」ロドルフォを歌う。その前後、1933年まで、イタリアや中欧各地、米国で「リゴレット」、「ルチア」、「椿姫」、「ボエーム」等に出演する。
 1934 後に藤原歌劇団第1回公演となる、「ボエーム」を自主公演。
 1939 正式に『藤原歌劇団』の名称を使い、「カルメン」を上演する。
 1944 2月27日の大阪・北野劇場における「フィデリオ」の公演をもって、戦前の藤原歌劇団公演を終了する。
 1946 東宝のバックアップにより、「椿姫」で歌劇活動を再開。
 1947 「タンホイザー」の日本初演で完全完売を達成し、日本オペラ史上空前の成功を収める。
 1948 日本芸術院賞受賞。受賞理由「タンホイザー」初演と長年にわたる歌劇上演活動。
 1949 藤原歌劇団が毎日演劇賞の特別賞を受賞。また藤原個人が第1回伊庭歌劇賞を受賞。砂原美智子、藤井典明らと「椿姫」をビクターにレコード録音(日本人初の本格的オペラ録音)
 1950 東宝の後ろ盾がなくなり、歌劇団自身は自主公演団体となる。三井高公の支援で、赤坂に歌劇研究所を設立する。
 1952 藤原歌劇団の第1回アメリカ公演「蝶々夫人」を挙行する。
 1953 藤原歌劇団の第2回アメリカ公演「蝶々夫人」を挙行する。
 1956 藤原歌劇団の第3回アメリカ公演「蝶々夫人」、「ミカド」を挙行する。
 1957 妻・あき子と離婚。
 1958 実質的に歌劇の舞台から引退する。
 1964 東宝ミュージカル、ロジャース作曲「ノー・ストリングス」に出演。最後の舞台となる。
 1967 元妻・あき子逝去。
 1976 パーキンソン病の悪化に肺炎を併発して逝去。最後に見取ったのは三上孝子。享年78。
 
日本における主なオペラ出演歴
日時 回数 場所 主催者 作曲 作品名 役柄 演奏形態等 指揮 演出
1930/3/26 1930/4/2 3 歌舞伎座 日本楽劇協会 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 原語上演 山田耕筰 土方与志
1934/6/7 1934/6/8 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 原語上演 篠原正雄 藤原義江/松山芳野里
1934/9/17 1934/9/18 2 大阪朝日会館 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 原語上演 篠原正雄 藤原義江/松山芳野里
1934/9/21   1 名古屋公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 原語上演 篠原正雄 藤原義江/松山芳野里
1934/9/27 1934/9/28 2 京都南座 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 原語上演 篠原正雄 藤原義江/松山芳野里
1935/3/24 1935/3/26   軍人会館 金曜会 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 山田耕筰 山田耕筰
1935/4/27   1 名古屋公会堂 朝日新聞社 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 原語上演 山本直忠 松山芳野里
1935/4/29   1 京都朝日会館 朝日新聞社 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 原語上演 山本直忠 松山芳野里
1935/5/1 1935/5/2 2 大阪朝日会館 朝日新聞社 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 原語上演 山本直忠 松山芳野里
1935/6/7 1935/6/30   有楽座 藤原歌劇団 シューベルト シューベルトの恋 シューベルト 竹内平吉編、白井鉄造脚色 高木和夫 岸田辰弥
1935/8/2 1935/8/16 18 有楽座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 短縮版 高木和夫 岸田辰弥
1935/10/19   1 名古屋公会堂 東京オペラカムパニー ビゼー カルメン ドン・ホセ 原語上演 山本直忠 A・ベレッティ
1935/10/21 1935/10/24 2 大阪朝日会館 東京オペラカムパニー ビゼー カルメン ドン・ホセ 原語上演 山本直忠 A・ベレッティ
1935/10/22 1935/10/23 2 大阪朝日会館 東京オペラカムパニー ヴェルディ リゴレット マントヴァ公 原語上演 山本直忠 A・ベレッティ
1935/10/30 1935/11/1 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 ヴェルディ リゴレット マントヴァ公 原語上演 山本直忠 藤原義江/松山芳野里
1935/12/24 1935/12/26 3 新橋演舞場 藤原歌劇団 プッチーニ トスカ カヴァラドッシ 原語上演 篠原正雄 M・クズネツォワ/伊庭孝
1938/10/26 1938/10/30 7 有楽座 藤原歌劇団 レハール 微笑みの国 蘇城公爵 日本初演/日本語上演 鈴木静一 園池公功
1939/1/19 1939/1/21 3 大阪朝日会館 藤原歌劇団 レハール 微笑みの国 蘇城公爵 日本語上演 鈴木静一 園池公功
1939/1/22   1 京都朝日会館 藤原歌劇団 レハール 微笑みの国 蘇城公爵 日本語上演 鈴木静一 園池公功
1939/3/26 1939/3/27 2 歌舞伎座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1939/4/28 1939/4/29 2 歌舞伎座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1939/11/26 1939/11/28 2 歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1939/11/27   1 歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ リゴレット マントヴァ公 原語上演 篠原正雄 堀内敬三
1939/12/26   1 歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1939/12/27   1 歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ リゴレット マントヴァ公 原語上演 篠原正雄 堀内敬三
1940/2/26 1940/2/27 2 歌舞伎座 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1940/3/26 1940/3/27 2 大阪歌舞伎座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1940/3/28   1 名古屋朝日会館 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 篠原正雄 堀内敬三
1940/10/25 1940/10/27   京都府民館 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 篠原正雄  
1940/11/28 1940/12/1   東京宝塚劇場 日本楽劇協会 山田耕筰 夜明け 領事 初演 山田耕筰 山田耕筰
1941/5/26 1941/5/28 3 歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ アイーダ ラダメス 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1941/6/27 1941/6/28 2 大阪歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ アイーダ ラダメス 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1941/10/31   1 仙台文化キネマ 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 坂本良隆 堀内敬三
1941/11/1   1 盛岡劇場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 坂本良隆 堀内敬三
1941/11/2   1 青森歌舞伎座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 坂本良隆 堀内敬三
1941/11/3 1941/11/4 2 函館巴座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 坂本良隆 堀内敬三
1941/11/25 1941/11/27 4 歌舞伎座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1942/5/27 1942/5/29 4 歌舞伎座 藤原歌劇団 プッチーニ トスカ カヴァラドッシ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1942/6/29 1942/7/1 4 歌舞伎座 藤原歌劇団 グノー ファウスト ファウスト 日本語上演 篠原正雄 青山杉作
1942/11/23 1942/11/29 8 歌舞伎座 藤原歌劇団 ワーグナー ローエングリン ローエングリン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1943/4/3 1943/4/5 3 東京劇場 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1943/5/28 1943/5/30 3 歌舞伎座 藤原歌劇団 弘田龍太郎 西浦の神 オキクルミ 初演 弘田龍太郎 青山杉作
1943/5/28 1943/5/30 3 歌舞伎座 藤原歌劇団 ロッシーニ セヴィリアの理髪師 アルマヴィーヴァ伯爵 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 堀内敬三
1943/12/27 1943/12/28 3 歌舞伎座 藤原歌劇団 ベートーヴェン フィデリオ フロレスタン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山杉作
1944/2/27   2 大阪北野劇場 藤原歌劇団 ベートーヴェン フィデリオ フロレスタン 日本語上演   青山杉作
1946/1/27 1946/1/31 7 帝国劇場 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山杉作
1946/4/27 1946/5/5 11 帝国劇場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山杉作
1946/9/20 1946/9/30 13 帝国劇場 藤原歌劇団 マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ トゥリッドゥ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山杉作
1947/2/13 1947/2/23   帝国劇場 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1947/7/12 1947/8/3   帝国劇場 藤原歌劇団 ワーグナー タンホイザー タンホイザー 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 近衛秀麿
1947/12/6 1947/12/25 25 帝国劇場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 太田黒元雄
1948/3/5 1948/3/30 31 帝国劇場 藤原歌劇団 ロッシーニ セヴィリアの理髪師 アルマヴィーヴァ伯爵 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1948/5/28 1948/6/3   有楽座 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1948/9/1 1948/9/12   帝国劇場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1948/10/9     大隈講堂 藤原歌劇団 トマ ハムレット ハムレット 演奏会形式 マンフレッド・グルリッド  
1948/12/14 1948/12/27   帝国劇場 藤原歌劇団 モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドン・オターヴィオ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1949/1/15 1949/1/28   帝国劇場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1949/3/12 1949/3/25   帝国劇場 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1949/6/15 1949/7/3   帝国劇場 藤原歌劇団 ワーグナー ローエングリン ローエングリン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1949/8/2 1949/8/24   帝国劇場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1949/12/2 1949/12/14   帝国劇場 藤原歌劇団 チャイコフスキー エフゲニ・オネーギン レンスキー 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1950/1/28 1950/1/30   大阪・北野劇場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1950/2/7 1950/2/12   日比谷公会堂 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1950/2/15 1950/2/28   有楽座 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1950/6/11 1950/6/19   有楽座 藤原歌劇団 プッチーニ トスカ カヴァラドッシ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1950/6/25 1950/6/26 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 ハドリー ビアンカ ファブリチオ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1950/8/15 1950/8/21   新橋演舞場 藤原歌劇団 プッチーニ トスカ カヴァラドッシ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1950/9/20   1 東京劇場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1950/9/28 1950/9/29 2 名古屋公会堂 藤原歌劇団 ヨハン・シュトラウス ジプシー男爵 バリンカイ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 藤原義江
1950/10/2 1950/10/8   宝塚大劇場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1950/10/12 1950/10/19   東京劇場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1950/12/15 1950/12/29   帝国劇場 藤原歌劇団 グノー ファウスト ファウスト 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1951/2/26 1951/2/28   歌舞伎座 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1951/5/31 1951/6/6   歌舞伎座 藤原歌劇団 ヴェルディ アイーダ ラダメス 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1951/9/1 1951/9/7   新橋演舞場 藤原歌劇団 トマ ミニヨン ウィルヘルム・マイスター 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1951/12/15 1951/12/18   新橋演舞場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1951/12/19 1951/12/23   新橋演舞場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1952/7/3 1952/7/5 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドン・オターヴィオ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1952/11/21   1 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 森正 青山圭男
1952/11/26   1 新橋演舞場 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 森正 青山圭男
1953/1/9 1953/1/15 4 日比谷公会堂 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 森正 藤原義江
1953/2/1 1953/2/8   新宿劇場 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 森正 青山圭男
1953/2/1 1953/2/8   新宿劇場 藤原歌劇団 ロッシーニ セヴィリアの理髪師 アルマヴィーヴァ伯爵 日本語上演 森正 青山圭男
1953/3/14 1953/3/17   新橋演舞場 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 森正 青山圭男
1953/3/18 1953/3/20   新橋演舞場 藤原歌劇団 ロッシーニ セヴィリアの理髪師 アルマヴィーヴァ伯爵 日本語上演 森正 青山圭男
1953/3/21 1953/3/24   新橋演舞場 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 日本語上演 森正 藤原義江
1953/3/25 1953/3/28   新橋演舞場 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 森正 藤原義江
1953/6/20 1953/6/23   日比谷公会堂 藤原義江オペラ運動20周年記念藤原歌劇団/二期会/東京ヴォーカル・グループ合同公演 ヴェルディ リゴレット マントヴァ公 日本語上演 森正 青山杉作/青山圭男
1953/7/1 1953/7/3 2 日本青年館 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 森正 青山圭男
1954/3/14 1954/3/28 3 日比谷公会堂 藤原歌劇団 マスネ マノン デ・グリュー 日本語上演 森正 青山圭男
1954/6/10 1954/6/15 4 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ トスカ カヴァラドッシ 日本語上演 森正 青山圭男
1954/9/15 1954/9/19 4 日比谷公会堂 藤原歌劇団 ヴェルディ リゴレット マントヴァ公 日本語上演 近衛秀麿 藤原義江
1954/12/25 1954/12/30 8 東横ホール 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 近衛秀麿 土方与志
1955/2/24 1955/2/26 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 森正 藤原義江
1955/3/23 1955/3/26 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 ヴェルディ 椿姫 アルフレード 日本語上演 森正 土方与志
1955/3/26 1955/4/3 10 東横ホール 藤原歌劇団 シューベルト 未完成交響楽 フォーグル 近衛秀健編曲 福永陽一郎 藤原義江
1955/5/10 1955/5/14 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 チャイコフスキー エフゲニ・オネーギン レンスキー 日本語上演 森正 青山圭男
1956/1/6 1956/1/7 2 日本青年館 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 近衛秀麿 青山圭男
1956/6/9   1 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 ニコラ・ルッチ 青山圭男
1956/6/29 1956/7/1 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドン・オターヴィオ 日本語上演 マンフレッド・グルリッド 青山圭男
1957/2/21 1957/2/22 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ ラ・ボエーム ロドルフォ 日本語上演 ガエタノ・コメッリ ガエタノ・コメッリ/藤原義江
1957/4/9 1957/4/10 2 産経ホール 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 福永陽一郎 青山圭男
1957/5/30 1957/5/31 2 日比谷公会堂 藤原歌劇団 マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ トゥリッドゥ 日本語上演 山田一雄 松山芳野里
1958/2/1   1 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ 蝶々夫人 ピンカートン 日本語上演 ガエタノ・コメッリ ガエタノ・コメッリ
1958/2/26   1 日比谷公会堂 藤原歌劇団 プッチーニ トスカ カヴァラドッシ 原語上演 ガエタノ・コメッリ 佐久間茂高
1958/7/29 1958/8/1 2 産経ホール 藤原歌劇団 ビゼー カルメン ドン・ホセ 日本語上演 金子登 藤原義江
1958/12/11 1958/12/13 3 産経ホール 藤原歌劇団 團伊玖磨 楊貴妃 高力士 初演 團伊玖磨 青山圭男
1963/12/15   2 東京文化会館 藤原歌劇団 ヨハン・シュトラウス こうもり オルロフスキー公 日本語上演 福永陽一郎 栗山昌良
受賞歴 1948年 日本芸術院賞
1949年 第1回伊庭歌劇賞
1956年 紫綬褒章
1959年 コンタトーレ勲章(イタリア)
1969年 勲三等瑞宝章
所属団体等 藤原歌劇団 (創設者、初代総監督1934-1972)
教育活動 なし
ウェブサイト 藤原義江について記載されたサイトとしては、

wikipediaの記載
下関の人物V

が主なものです。

コメント 本当の意味で、日本における西洋オペラの発展に最も尽くした一人です。

浅草オペラ時代に歌手としてデビューしているようですが、オペラ歌手として本格的に活動するのは、1930年からです。そこから30年間、戦争中の混乱期をはさんで、日本のオペラの発展に尽くしました。

女性関係は派手、経済観念は薄いという破滅型の人間でしたが、日本のオペラの発展を念じ、実践したことは間違いありません。

日英混血のエキゾティックな風貌のため、女性には大いに持て、関係した女性の数は、浅草オペラ時代の人気歌手、白川澄子に始まり、最初の妻となる安藤文子、ミラノ留学時代の喜波貞子、二度目の妻になった宮下あき子、藤原歌劇団ではプリマドンナの砂原美智子、藤原の最後を看取った三上孝子など10指に余るほどでした。

人妻の宮下あき子との恋は、新聞や雑誌を騒がす大スキャンダルであったが、7年間の恋を実らせ結婚した。しかし、その後も女性遍歴が止まることがなく、後にあき子夫人にも離婚されました。

1930年代、40年代は人気ダントツのテノールで、オペラをダブルキャストで上演しても、藤原出演の回は切符が完売するが、その他のテノールの場合は売れ残る、といったこともあり、歌唱過剰となり、早く声を痛めた、とも言われています。

自分が日英混血のため、「蝶々夫人」のピンカートンは好きな役ではなく、戦前は全く歌いませんでした。

藤原義江記念館が、義江の父リードの勤めた瓜生商会の異人館の場所に開設されています(下関市阿弥陀寺町3-14)。入場無料ですが、見学には事前予約が必要です。

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