オペラに行って参りました-2025年(その2)

目次

安定のレパートーリー公演と思いきや 2025年3月1日 新国立劇場「カルメン」を聴く
再演された意味 2025年3月8日 日本オペラ協会「静と義経」(初日)を聴く
三木稔はオペラ作曲家である 2025年3月9日 日本オペラ協会「静と義経」(二日目)を聴く
30年の伝統と成果 2025年3月15日 舞台音楽研究会30周年記念公演「魔笛」を聴く
ホールの力、歌手の力 2025年3月23日 立川市民オペラ「ラ・ボエーム」を聴く。
音楽の規模とホールの規模と 2025年3月28日 ガルバホール「フライデーナイトコンサート」を聴く
定番のガラコンサート 2025年3月30日 「華麗なるオペラ・コンサート」を聴く。
声が足りない 2025年4月6日 オペラ東京「フィガロの結婚」を聴く
バスの力量 2025年4月17日 オペラ工房アヴァンティ「メフィストフェレ」を聴く。
ソプラノを楽しむためのガラコンサート 2025年4月20日 オペラガラコンサート「愛と運命の煌めき」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

      
2025年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2025年
2024年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2024年
2023年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2023年
2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6   どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2         どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年              どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2025年3月1日

入場料:C席 3F L9列3番 9350円

会場:新国立劇場オペラハウス

主催:新国立劇場

2024/2025シーズンオペラ公演

歌劇全4幕、日本語/英語字幕付原語(フランス語)上演
ビゼー作曲「カルメン」(Carmen)
原作:プロスペル・メリメ「カルメン」
台本:リュドヴィック・アレヴィ/アンリ・メイヤック

スタッフ

指揮 ガエタノ・デスピノーサ
オーケストラ 東京交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
児童合唱 TOKYO FM 少年合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
合唱指揮 林 ゆか
演出 アレックス・オリエ
美術 アルフォンス・フローレス
照明 マルコ・フィリベック
衣裳 リュック・カステーイス
音楽ヘッドコーチ 城谷 正博
舞台監督 髙橋 尚史

出演者

カルメン サマンサ・ハンキー
ドン・ホセ アタラ・アヤン
エスカミーリョ ルーカス・ゴリンスキー
ミカエラ 伊藤 晴
スニガ 田中 大揮
モラレス 森口 賢二
ダンカイロ 成田 博之
レメンダード 糸賀 修平
フラスキータ 冨平 安希子
メルセデス 十合 翔子

感想

安定のレパートーリー公演と思いきや-新国立劇場公演「カルメン」を聴く

 月曜日に東京二期会の「カルメン」公演、そしてその週の土曜日に新国立劇場の「カルメン」を拝見することになりました。どちらも読み替え演出で、「カルメン」という作品に親しくない人にとっては、よくわからない内容にだったと思いますが、私自身はどちらも楽しめました。ただ、演奏の出来というか、公演のパフォーマンスというかは、明らかに新国立劇場が上でした。それもちょっとの差ではなく、かなり差が開いていたというのが本当でしょう。

 今回の新国立劇場公演は2021年プレミエの再演でしたが、2021年の時はまだ感染症対策をとる必要があったため、演出家の本来の意図とは違った舞台にならざるを得ませんでした。今回は完全にフリーということで、オリエは再度来日して演出を見ていったそうです。確かに群集の動かし方などは、前回とは違っていた感じはします。また前回は響きが歌っている場所で違っていて、それが聞き苦しい部分につながっていたところもあったのですが、今回は皆無にはなりませんでしたけど、ある程度は聴きやすさも向上しており、ブラッシュアップされている舞台になったな、という印象です。

 舞台のコンセプトはオリエによれば、「舞台は東京です。東京でスペイン・フェスティバルがあり、スペインから色々なアーティストが来る。カルメンはバンドを持っているミュージシャンです。そしてコンサートの警備にあたる警察官のホセと出会う。コンサートの後には酒場に行く。裏では麻薬の密売の仕事にも関わる」だそうです。カルメンは150年前の作品ですが、当時は現代劇であって、舞台を現代に持ってくるのであれば、カルメンをロックシンガーの歌姫にすることは全然おかしいことではありません。特にロックが、抵抗の音楽の一面がある以上、束縛の世界(今回の鉄骨の枠組みは鉄格子のようにも見えます)からの自由を強く感じさせてくれるもので、オリエのいう、「カルメンは強く、明るく、そして人生を楽しむ女性で、自由の象徴です。問題が起これば抵抗する女性です。」というのと非常にマッチしている感じがします。

 ただ、この舞台をこなすためにはかなり声量と音楽性のある実力者でないと、舞台に負けてしまう感じがします。その意味で、今回のタイトル役のサマンサ・ハンキーはいいキャスティングだったように思います。声に深みとつやがあって、普通に歌っているときはあんまり気づかないのですが、ここぞという時の息の長さと深さは格別なものがあります。またこの方、色気がしっかり感じられる。美人ではありますが、体型とか見た感じではむんむんする色気は感じられないような気がしますが、ハバネラもセギディーリャも聴いていると色気を感じる。先日のカルメンにおける和田朝妃はそこがすごく淡白で、色気を全く感じなかったので、今回のカルメンを聴くと、やっぱりカルメンはこういう艶やかさが欲しいよな、と思ったところです。

 アタラ・アヤンのホセもいい。めちゃくちゃ素晴らしいホセだとは思わなかったけど、月曜日の古橋郷平とは全然違うレベルでした。演技もいい雰囲気だったし、歌もリリックで自然。第1幕のミカエラの二重唱も、一番の聴かせどころの第二幕の「花の歌」の前後も、第三幕のエスカミーリョとの二重唱も、終幕の「あんたね、俺だ」の二重唱も、凄い感じはないのですが、しっかり声が伸びていて安定感があるリリックなホセで、聴いていて安心感があります。

 ゴリンスキーのエスカミーリョもとてもいいとは思わなかったけど、与那城敬よりはずっといい。ゴリンスキーも音程の安定感はない人なのですが、響きが上に上にと上がる。結果として上ずった感じになって、もう少し重しがかかったほうがいいとは思いますが、音が下がるよりはずっとましです。こっちのほうがヒロイックな感じが出るのですね。

 伊藤晴のミカエラ。こちらは声がミカエラに似合っています。身体の方向で、やや声が弱くなるところもあったのですが、第一幕の二重唱も、アリア「何を恐れることがありましょう」も低音がしっかり響いて、しっかり重心が低い歌になっていて、ミカエラの芯の強さをしっかり感じさせてくれました。素敵でした。

 脇役ですが、まず田中大揮のスニガが抜群。中低音の響きが本当に美しいし、声量も出ている。存在感のあるスニガで、とても見事でした。森口賢二のモラレスもいい。ちょっと癖のある歌い方をする人ですが、それがアクセントになって、存在感を高めていました。ダンカイロとレメンダートは成田博之と糸賀修平が演じましたが、糸賀は2021年プレミエに続く出演。さすがに勘所を捕まえている感じがしました。成田も悪くはないのですが、まだややぎくしゃく感があったかも。

 フラスキータとメルセデスは、富平安希子と十合翔子。こちらもしっかり役目を果たしていました。

 新国立劇場の合唱はもちろん素晴らしかったのですが、群集のばらけさせ方がプレミエ時と違っていたことが影響したのか、いつもほど完璧ではなかったのかな、というところ。ちなみに合唱指揮はプレミエ時は富平恭平でしたが、今回は三澤洋史。夫人がフラスキータを歌うことになって、代わったのでしょうかね。

 デスピノーザの音楽づくりは極めてオーソドックス。二期会は台詞は全カットでそれ以外のオリジナル音楽だけ全部演奏するスタイルをとっていましたが、デスピノーザは台詞も場合によってはレシタティーヴォも入れたスタイルで、かつ通常のカットはみなやるというもので、自分の知っている「カルメン」の音楽でした。歌手もそのほうがやりやすかったと思いますし、私はいい選択だと思います。

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鑑賞日:2025年3月8日

入場料:B席 2F L3列16番 10000円

会場:東京文化会館大ホール

主催:公益財団法人日本オペラ振興会/公益社団法人日本演奏連盟

都民芸術フェスティバル参加公演

日本オペラ協会公演/日本オペラシリーズNo.87

歌劇全3幕、日本語/英語字幕付原語(日本語)上演
三木稔作曲「静と義経」
作・台本:なかにし 礼

スタッフ

指揮 田中 祐子
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
二十絃筝 山田 明美
高橋 明邦
合唱 日本オペラ協会合唱団
合唱指揮 諸遊 耕史
演出 生田 みゆき
美術 鈴木 俊朗/佐藤 みどり
照明 矢口 雅敏
衣裳 坂井田 操
所作・振付 出雲 蓉
舞台監督 八木 清市

出演者

砂川 涼子
義経 澤﨑 一了
頼朝 須藤 慎吾
弁慶 江原 啓之
磯の禅師 鳥木 弥生
政子 川越 塔子
大姫 芝野 遥香
梶原 景時 持木 弘
和田 義盛 川久保 博史
大江 広元 三浦 克次
佐藤 忠信 和下田 大典
伊勢 三郎 琉子 健太郎
片岡 経春 山田 大智
安達清経 黄木 透
堀ノ藤次 別府 真也 
藤次の妻 きのした ひろこ

感想

再演された意味-日本オペラ協会公演「静と義経」(初日)を聴く

 感想は、二日目の後にまとめます。

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鑑賞日:2025年3月9日

入場料:B席 3F R1列9番 10000円

会場:東京文化会館大ホール

主催:公益財団法人日本オペラ振興会/公益社団法人日本演奏連盟

都民芸術フェスティバル参加公演

日本オペラ協会公演/日本オペラシリーズNo.87

歌劇全3幕、日本語/英語字幕付原語(日本語)上演
三木稔作曲「静と義経」
作・台本:なかにし 礼

スタッフ

指揮 田中 祐子
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
二十絃筝 山田 明美
高橋 明邦
合唱 日本オペラ協会合唱団
合唱指揮 諸遊 耕史
演出 生田 みゆき
美術 鈴木 俊朗/佐藤 みどり
照明 矢口 雅敏
衣裳 坂井田 操
所作・振付 出雲 蓉
舞台監督 八木 清市

出演者

相樂 和子
義経 海道 弘昭
頼朝 村松 恒矢
弁慶 杉尾 真吾
磯の禅師 城守 香
政子 家田 紀子
大姫 別府 美沙子
梶原 景時 角田 和弘
和田 義盛 勝又 康介
大江 広元 中村 靖
佐藤 忠信 竹内 利樹
伊勢 三郎 濱田 翔
片岡 経春 龍 進一郎
安達清経 平尾 啓
堀ノ藤次 江原 実 
藤次の妻 吉田郁恵

感想

三木稔はオペラ作曲家である-日本オペラ協会公演「静と義経」を聴く

  日本オペラ協会の「静と義経」、6年ぶりの再演となりました。6年前は新宿文化センターでの上演で、今回は東京文化会館、演出も前回の馬場紀雄演出が今回は生田みゆきに代わって新演出ということではありますが、音楽の要である指揮が田中祐子は変わらず。オーケストラに入る和楽器、二十絃筝の山田明美、鼓の高橋明邦も同じ奏者、更には主要歌手は全部入れ替わりましたが、脇役勢は6年前と同じメンバーも多く、そういった全体を見ると、6年前の延長線上にある演奏だったのだろうと思います。

 違うのは、6年前よりも全体的にすっきりとまとまっている印象を持ったことです。6年前も素敵な演奏だった印象はあるし、いくつかの断片は覚えているのですが(逆にそれ以外はほとんど忘れている)、第3幕あたりは、少しだれていた印象があります。しかし、今回は最後まで楽しむことができて、色々な意味で整っている感じがありました。「静と義経」は、1993年鎌倉芸術館開館事業として作曲され、同年11月3日に初演されたオペラで、鎌倉で3日間にわたって上演されたそうですが、その後取り上げられることはなく、2019年の日本オペラ協会公演が初演以来26年ぶりの再演で、今回が三演めになります。6年前には、既に作曲者の三木稔は鬼籍に入っておりましたが、作者のなかにし礼が健在で監修役を務め、当日は、新宿文化センターにもお見えになっていました。

 6年前の演奏は、26年前初演で音楽的手掛かりは楽譜だけ。一方で、文学・演劇的には作者のなかにし礼がいる中やったというもので、おそらくなかにしの考えを咀嚼して、それと楽譜から浮かんで来るものを一つの形にした演奏だったのだろうと思います。そういう演奏ですから、どうしても全部が嚙み砕ききれなかったということはあったのかもしれません。今回、音楽的土台の指揮、オーケストラ、和楽器が再演、脇役や合唱のメンバーも再演の方が多く、そういった方々が再度楽譜を見直すことで色々見えることもあったと思いますし、なかにしの教えからの気づきもあったものと思います。その成果が、すっきりまとまった、というところにつながった気がします。

 さて、演奏ですが、全体的に言えば、初日のほうがまとまりの良い演奏に仕上がっていたと思います。

 その最大の要因は何といっても砂川涼子の実力というところに行きつきます。砂川涼子の歌唱・演技、それは本当に素晴らしかった。役柄に気持ちが憑依した演奏というべきでしょう。砂川は明らかに静御前になり切っていました。もちろん楽譜のように歌っているのでしょうが、楽譜では決めきれない諸問題(例えば、フェルマータの伸ばす時間といったところ)などの取り扱いが素晴らしいのだろうと思います。歌手に任されたちょっとした間の取り方が、計算ずくではなく、静の気持ちとしてそうなっている感じで、女優「砂川涼子」の実力を知らしめます。聴かせどころのいくつかのアリアや重唱ではなく、それ以外の部分で「静」という女性を魅せられたことが今回の大成功に繋がったように思います。本当に申し分のない歌、演技でした。

 対する相樂和子。彼女も素晴らしい歌を聴かせてくれましたが、惜しむらくには歌手であって、女優にはなれていなかったということだろうと思います。歌は上手なのですが、気持ちが歌に入っていないところがあって、ちょっとぎこちなくなっている感じがありました。所作も自然にそうなったのではなく、振付の人がそう言っているからやっているの、という感じに見えるところがあって、そこは残念でした。表情の変化もやや乏しめでした。最後のアリア、「愛の旅立ち」などは、相樂も砂川涼子に一歩も引かない感じで歌い、本当に素晴らしかったのですが、そこにいたるまでの道筋ももう少し見せてくれるとよかったのかなとは思いました。

 義経の澤崎一了、海道弘昭の二人も軍配は澤崎。二人とも見た目は偉丈夫で義経というよりは弁慶タイプなのですが、歌を聴くと、義経になったのを納得させられる歌唱でした。

 澤崎は歌の安定感が素晴らしく、中高音の張りが海道の声に勝ります。フレージングがきれいで聴こえ方が常に安定しているのが素晴らしいと思います。第1幕の静との二重唱の最高音へのアプローチがやや上手く行っていないところ(と言っても十分なレベル)があったと思いますが、それ以外は文句のつけようのない素晴らしいもので、見事でした。

 海道義経も立派な歌でよかったのですが、多分持っている楽器の差だと思うのですが、声の張りは澤崎に一歩譲るところがあり、声の安定感もややスリリングに聴こえるところがある。とはいえ、高音へのアプローチは澤崎よりもいい感じで全くストレスを感じなかったので、海道らしさが出た、ということなのでしょう。

 第一幕の義経の家来たちは6年前とほぼ入れ替わった感じで、それぞれアンサンブルの中での役割を果たしていました。弁慶役は二日目の杉尾真吾のほうがよかったと思いますが、六声のアンサンブル「わけもなく」は両日とも素晴らしい和音でよかったのですが、安定感は初日にあったような気がします。

 悪役は頼朝。こちらは初日が須藤慎吾、二日目が村松恒矢が務めましたが、悪役が板についていたのは須藤慎吾。歌は二人とも上手だと思うのですが、ちょっとした所作や表情が、須藤は「こいつ、悪い奴なんだ」という感じになっているのに対し、村松恒矢はそういう感じにまではなっておらず、もう少し攻めてもよかったのかもしれません。

 第二幕は有名な「鶴岡八幡宮の静御前の白拍子の舞」の場面ですが、脇役の御家人たちは二日目の勝又康介以外をベテラン勢が固めました。残りの5人全員が6年前も同じ役で出演していて、存在感を見せました。歌詞の内容がかなりえげつなく、また身分のさや当てみたいな部分も見せなくてはならず、そういう選択になったのでしょう。ただ、歌では初日組が無難に役柄をこなしていたのに対し、二日目は、角田和弘がアンサンブルを乱すなどややトラブルがあり、シーンとしては初日の方がまとまっていた印象です。

 ちなみに政子は初日は川越塔子が、二日目が6年前も登場した家田紀子が歌いましたが、こちらも安定感で川越を取ります。一方、大姫は初日の芝野遥香よりも二日目の別府美沙子の方がいい歌になっていました。高音がきれいに伸び、軽いところでの安定感が素晴らしい。

 磯の禅師は初日の鳥木弥生はちょっと引いた感じの歌になっていたのに対して、二日目の城守香は安定感も存在感も抜群でした。静との関係でいえば、鳥木禅師がちょっと遠慮した感じで静に「都に戻ろう」と言っているのに対し、城守禅師は都に戻ることを静に強く進めているように聴こえ、強い母の存在感になっていたと思います。

 第二幕冒頭の陽気な合唱は二日間とも素晴らしく、日本オペラ協会合唱団の力量を示しました。

 田中祐子の音楽づくりは二日間ともほぼ同じで、終演時間もあまり変わらなかったと思いますが、舞台とのバランスで、初日組との方がよりうまくいっていた感じがします。

 2日間聴いて思ったのは、作品のいい意味での保守性と三木稔のオペラ作曲家としての矜持です。

 三木稔は本人が「歌劇」と呼んでいた作品を10本、そのほかミニオペラやフォークオペラなどの小オペラを10数本書いた日本音楽史上屈指のオペラ作曲家ですが、彼の本領は「源氏物語」やこの「静と義経」のような大作にあるようです。

 この作品も二十絃筝や鼓といった日本楽器も用いながら、無調性的な部分、ミニマル音楽的な部分など現代音楽的なところもあり、歌も、よく聴いていると、本当にこの音でいいのかしらと思ってしまうところがあります。ところが音楽の流れ全体でみると普通の聴きやすい音楽で、現代音楽的な感じを見せません。一方でオペラチックな部分では、アリアがあり、アリアから重唱に移って愛を歌い上げる、西洋歌劇では常道みたいな部分もあり、合唱アンサンブルもあり、重唱も日本オペラではめったに出ない二人が違った歌詞を重ねて歌う部分もあり、西洋オペラのいいとこどりみたいな部分がある。ないのは主な登場人物が全員登場して合唱も入るコンチェルタートぐらい。

 そういうところにエンターテインメントとしてのオペラの可能性にオペラ作曲家としての三木稔が取り組んできたのだろうな、とは思いました。

 そういう意味では、もっともっと演奏されていい作品だとは思いますが、日本オペラは上演する機会が少なく、一方で新作の紹介もしなければいけませんからなかなか再演機会がありません。日本オペラ協会では、今、5年間に新作2、再演3ぐらいでやっているようですが、それだと再演によるブラッシュアップの機会が限られるようにも思います。

 私は6年前、今回とこの作品を聴くことができ、演奏表現における色々な進歩を感じることができました。それを思うと、再演の重要性をつくづく感じました。新国立劇場が日本の旧作を上演することに消極的なのもどうかと思いますが、主要団体同士で上手に話し合って、再演の機会をもっと増やしてほしいと思いました。 

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鑑賞日:2025年3月15日

入場料:自由席 5000円

会場:横浜市泉区民文化センター テアトルフォンテホール

主催:舞台音楽研究会
共催:横浜市泉区文化センター テアトルフォンテ

舞台音楽研究会創立30周年記念オペラ企画

歌劇全2幕、日本語訳詞上演
モーツァルト作曲「魔笛」(Die Zauberflöte)
台本:エマニュエル・シカネーダー
上演台本:原 純
訳詞:小沢 慎吾

スタッフ

指揮 高橋 勇太
オーケストラ エルデ・オペラ管弦楽団
合唱 ベッラ・ヴォーチェ
バレエ 星野バレエスタジオ
演出・美術・衣裳 原 純
振付 星野 江里加
舞台監督 徳山 弘毅

出演者

タミーノ 西山 詩苑
パミーナ 沢崎 恵美
パパゲーノ 清水 良一
パパゲーナ 山邊 聖美 
ザラストロ 普久原 武学
夜の女王 楠野 麻衣
侍女1 小山 道子
侍女2 岡本 麻里菜
侍女3 丸尾 有香
モノスタトス 𠮷田 顕
童子1 小澤 花音
童子2 北村 舞
童子3 石田 鈴音
弁者 五島 伝明
僧侶1 松田 康伸
僧侶2 水澤 聡
武士1 平尾 啓
武士2 内貴 龍聖

感想

30年の伝統と成果-舞台音楽研究会30周年記念公演「魔笛」を聴く

  任意団体であるオペラ団体が継続して活動をやっていくことは非常に難しいことです。

 かつて高橋英郎率いる「モーツァルト劇場」は30年間公演を続け、高橋が翻訳した台本でモーツァルトオペラやフランスオペラを数多く上演しましたが、高橋がなくなった時点で活動が停止しました。園江治率いる新宿区民オペラも今年30周年ですが、こちらも継続性を期待してNPO法人化しました。とはいえ、こちらの団体は2024年は本公演がなく、今後どのように活動していくのかを見ていきたいとは思います。少し組織が大きく、日本初演のオペラを数多く取り上げてきた東京オペラプロデュースも今年創立50周年ですが、コロナ禍で活動を一時中止して以降、なかなか本格復帰には至らないようです。

 そんな中、ソプラノ歌手の沢崎恵美が主宰し、夫君の小澤慎吾と二人三脚で続けてきた舞台音楽研究会が30周年を迎え、盛んに活動できていること、内容も年々充実してきていることは非常に喜ばしいことだと思います。おそらく主宰者の沢崎には人にも言えぬ苦労も多かったと思いますが、自身が日本オペラ協会を代表する歌手として活動していた傍らこのような活動を続け、しっかりと成果を出せていること、非常に喜ばしいことだと思います。沢崎をはじめ、舞台音楽研究会の活動に参画してきた皆さんにお祝いを申し上げたいと思います。

 また沢崎は日本オペラの代表的な歌手としてオペラで日本語をどう歌うとしっかり内容を伝えられるか、という点にも腐心してきた歌手であり、日本語歌唱の代表的な歌手でもあります。そのため、舞台音楽研究会でも日本語歌唱にずっとこだわってきました。

 ただ、本来イタリア語やドイツ語で書かれた歌詞を日本語に直して、日本語できっちり聴かせるのは至難の業で、1980年代半ばまでは日本で上演されるオペラの多くが日本語上演であったにもかかわらず、字幕の技術が開発されると雪崩を打ったように字幕付き原語上演に変化したのは、日本語で歌っても内容が伝わらないという問題が解決できなかったことに大きな原因があると思います。また、日本語自身も同音異義語が多く、正しく歌っても、意味がはっきりしないということもあります。そういう問題はずっと課題として残っており、上記のモーツァルト劇場も日本語歌唱にこだわっていましたが、うまくいった例は実はあまりなかったと記憶しています。

 そういう中、沢崎の行ってきた手法は、同じ演目を何度も上演して少しずつブラッシュアップしていくというやり方でした。沢崎が舞台音楽研究会で取り上げた演目は、「魔笛」、「カルメン」、「こうもり」、「サンドリヨン」、「ヘンゼルとグレーテル」(昨年は「天国と地獄」を初めて取り上げました)で、そもそも日本語訳が確立していて分かりやすいものに限定し、更に歌詞の微修正と歌唱技術の向上で、よりはっきり聴かせられるようにしたもの。その成果が、今回の30周年記念公演で、いい感じに結実したと思います。もちろんまだ、日本語と音符がしっくりこないところやはっきりしないところはあるのですが、ほとんどストレスなく日本語歌唱が聴けたこと、とても素晴らしいと思いました。

 更に今回の原純の演出もわかりやすい。プロジェクションマッピングで背景を映し出し、舞台上にあるのは段組みだけ、という簡素なものですが、演出のコンセプトがストレート。「魔笛」という作品はどんな演出でも可能ですし、それを受け入れられる内容でもありますが、原はモーツァルトの同時代性にこだわりました。基本的にロココ趣味です。夜の女王はマリア・テレジア、パミーナはマリー・アントワネットを投影していることを意識していますし、3人の童子は幼少期のモーツァルト、プロジェクション・マッピングに映される映像は、スフィンクスのような古代エジプトもある一方、ドラクロアの絵画「民衆を導く自由の女神」が映し出されたりもして、モーツァルトの時代が啓蒙主義とブルジョワ革命の時代であることを強く意識しています。

 モーツァルトがフリーメイスンの思想に親しみを持っていて、「魔笛」がその影響下にあることは明らかですが、原はフリーメイソンの基本理念である「自由、平等、友愛、寛容」といった精神をザラストロ一派により強く言わせ、一方夜の女王一派には、旧守的な君主王権主義的な台詞を言わせることで、その二項対立を明確に見せたのもモーツァルトの時代を意識したものでした。

 演奏は何と言ってもタミーノ役の西山詩苑が立派でした。リリックな濁りのない声で歌い、最初の聴かせどころであるアリア、「何と美しい絵姿」が素晴らしい。その後もちょっとしたところで、王子らしさと寛容の精神を見せる歌いっぷり、全体的に安定していて無理なく見事なものであると思いました。Bravoです。

 パミーナの沢崎恵美もさすが。特に第一幕の清水良一パパゲーノとの二重唱「愛を感じる男の人たちは」は、長年の日本オペラ協会における仲間として歌ってきた信頼関係が見えて、その呼吸が素晴らしいと思いましたし、第二幕の聴かせどころのアリア「ああ、私には分かる、消え失せてしまったことが」は魅力的な出来でした。更にザラストロ、タミーノとの三重唱は、急にのどをおかしくしたようですが、そこはベテラン、上手にコントロールしてきっちり歌いきりました。もう、おしまい近くで、これまでの苦労の思いが込み上げてきたのかもしれません。

 夜の女王は楠野麻衣。私が彼女の夜の女王を最初に聴いたのは、2014年。それ以来何度も聴かせてもらっていますが、毎回進歩しているように思います。高音の軽いコロラトゥーラのキレは昔ほどではなくなっているのでしょうが、その代わりしっとりとした中低音に厚みが出て、バランスが素晴らしいと思いました。今回は二曲のアリアとも歌に込められた心情が切迫感を持って迫ってきて、第一アリア「ああ、恐れおののかなくてもよいのです、わが子よ」の母親らしい思い、第二アリア「復讐の炎は地獄のようにわが胸に燃え」の怒りの表現はともに素晴らしく、特に第二アリアは、女王の怒りの爆発が出色だと思いました。

 清水良一のパパゲーノはベテランの味。もう少し、身のこなしが軽いともっと良かったと思うし、歌ももう少し軽めでもいいのかなとも思いましたが、流石に上手です。上記の通り、パミーナとの二重唱や、「パ、パ、パ」は上手いと思いました。

 パパゲーナの山邊聖美。せりふ回しの声が少しテンションが上がりすぎた感じでしたが、雰囲気はまさにパパゲーナ。清水との「パ、パ、パ」は見事でした。

 𠮷田顕のモノスタトス。ちょっと重厚すぎてコミカルよりも怖さが先に立ってしまったのが残念。モノスタトスは差別される側の悲しみをコミカルに歌ってほしいと思いました。

 主要役で特に残念だったのはザラストロの普久原武学。丁寧には歌っているのだが、全体的に響きが乏しく、特に低音に全く迫力がないので、ザラストロに期待される威厳や重厚な存在感が全く感じられない。ザラストロは低いF音が響いてなんぼだと思います。パミーナとの二重唱も二つのアリアももう一つだと思いました。

 アンサンブル系はダーメの三人は皆、それぞれは上手だと思うのですが、三人そろった時のアンサンブルの和音が今ひとつはまっていない感じがしました。ダーメ1の小山道子がやや上ずり気味だったか?。クナーベのアンサンブルはいい感じ。クナーベ1の小澤花音は沢崎恵美のお嬢さんで、今は東京芸大の二年生。舞台音楽研究会の舞台には昔から参加していますが、昨年からソロ役を歌うようになっています。両親の薫陶良く、舞台を盛り上げていました。

 武士の二重唱や武士1の平尾啓が別格の上手さ。二重唱ではあの歌い方でBravoなのですが、その後の背景で歌うべきところでも朗々と響いて、前で歌っている人よりも目立つのは如何なものか。

 以上、いろいろありますが、演奏の骨格は立派でしたし、分かりやすい演出と分かりやすい日本語台本が舞台を盛り上げました。

 それにしても30年の記念公演が満員のお客様の元で演奏できたこと、本当にめでたいと思います。続けてきた主宰の沢崎恵美とそれを支えたご家族に謹んでお祝い申し上げたいと思います。

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鑑賞日:2025年3月23日

入場料:32列33番 B席 2000円

会場:立川RISURUホール

主催:立川市民オペラの会、公益財団法人立川市地域文化振興財団

立川市民オペラ2025

歌劇全4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」(La Bohème)
原作:アンリ・ミュルジェール「ボヘミアン生活の情景」
台本:ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ

スタッフ

指揮 古谷 誠一
オーケストラ TAMA21交響楽団
合唱 立川市民オペラ合唱団、立川市民オペラ2025児童合唱団
合唱指導 宮﨑京子/照屋博史/今野絵里香/実川裕紀
バンダ 立川市民オペラ2025バンダ
助演 立川市民オペラ2025劇団
演出 直井 研二
装置 鈴木 俊朗
照明 西田 俊郎
衣裳 下斗米 大輔
音響 関口 嘉顕
舞台監督 伊藤 潤

出演者

ミミ 石上 朋美
ロドルフォ 澤原 行正
ムゼッタ 田中 絵里加
マルチェッロ 高橋 洋介 
ショナール 香月 健
コッリーネ 小野寺 光
ベノア/アルチンドロ 志村 文彦
パルピニョール 東原 佑弥

感想

ホールの力、歌手の力-立川市民オペラ2025「ラ・ボエーム」を聴く

  今日の演奏を聴いて最初に思ったのは、立川リスルホールって、こんなに響くホールだったっけ、ということ。全体的によく響き、声が飛ぶ感じです。一番びっくりしたのは、第二幕の一言だけの子供のソロ、「ラッパとお馬がほしいよ!」と歌うところです。ここは子供のソロになるため、他の音がなくなって一瞬静寂となったところに、一人の子供が、「Vo' la tromba, il cavallin!..」と歌いますが、この一言がすごくよかった。出のタイミングもばっちりだったし、声の艶も飛び方もしっかりしていてびっくりしました。子供があれだけ歌うのは、もちろん歌った子供の力量があるわけですが、ホールが響いていることの証のようにも思いました。

 しかし、この響きが全体的な仕上がりには悪影響を及ぼしているように思いました。

 全体的に音楽が重い感じがします。オーケストラが全体的に重く、この辺りはもっと軽やかに進んだ方がいいのに、というところでも重厚に進んでしまい、この作品の持つ喜劇的側面を十分に行かせきれていなかったのかな、とは思いました。事実、終演時間も当初アナウンスされていた時間より15分程度遅くなっており、遅かったのは間違いないようです。これが指揮者の感性なのか、チームとしてこの響きに酔ってしまったのかはよく分かりませんが、全体的にもっとコンパクトにまとめたほうが若者のボーイミーツガールの作品である「ラ・ボエーム」という作品の魅力をより適切に伝えられたのではないかと思いました。

 この重さで全体的には悪い方向に向かったとは思いますが、歌手で一番影響を受けたのは、ロドルフォ役の澤原行正ではなかったのでしょうか。澤原は名前はよく耳にするのですが、大きいアリアなどをちゃんと聴いたのは初めてかもしれません。声質の軽いテノールで、一般的にロドルフォ歌いと言われる歌手とはかなり異質な感じです。その声の軽い彼が、重厚な音楽の流れで歌うことがそもそも難しかったということでしょうか。全体的に歌い方が安定せず、常時微妙に音が揺れます。ヴィブラートに逃げている、といったことではなくて、身体に重しがかからず、すっと響かせられない、という印象です。

 例えば、一番の聴かせどころであるアリア「冷たい手」のハイC。その前のアプローチが滑らかに進まず、とりあえずCには上げたけれども、良いアクートにはならなかったというところ。さらに言えば、このアリアの前半で、普通上げることのない部分で、オクターブ上げて見せて感情の高ぶりを表現したのでしょうが、そこも全然うまくいっておらず、何でそんなことをしたのだろうと思いました。

 それ以外のところも高音へ跳躍すると、声が開き気味になってしまい、上手くいった感じがしない。また声量が今一つ足りない感じで、男性同士のアンサンブルではここはもっとロドルフォが聴こえてほしいと思うところもありましたし、ミミとの二重唱では声がミミに完全に負けており、ロドルフォがエスコートしているという感じではなく、ミミに引っ張られていく感じが強かったです。例えば、第三幕の終わり、二人は「春になったら別れましょう」と言いながら消えていくわけですが、肺病のミミが全然肺病には見えず、ロドルフォのほうが肺病やみのように聴こえてしまったのはご愛敬では済まない感じがします。

 反面、石上朋美のミミは安定していました。どこをとっても揺るぎない歌唱。登場のアリア「私の名はミミ」から最後の詩のシーンにいたるまで、美しいリリックな声で続き、安定した中低音も魅力的です。ただ、ロドルフォとの関係性の中で、全然薄幸なお針子に見えないというのは残念です。第4幕のミミが登場して死に至るシーンはもう少しライティングなども工夫して、ミミの薄幸さを強調できれば良かったのかもしれません。

 田中絵里加のムゼッタ。良かったです。第二幕のムゼッタの登場シーンはそれまでの喧騒の中から、ムゼッタが華々しく現れるところが魅力なわけですが、そのあらわれ方が鋭さがあってよかったと思います。ムゼッタのワルツからマルチェッロとよりを戻す感じも良かったですし、第3幕の四重唱におけるアクセントも高橋洋介マルチェッロとともにしっかり見せていました。

 男声アンサンブル陣は高橋洋介のマルチェッロが一番の存在感。古谷誠一の重厚な音楽づくりが歌いやすかったというところはあるのでしょうが、普通聴く「ラ・ボエーム」で聴くマルチェッロよりも存在感がしっかりある感じです。きれいなバリトンの安定した声が終始響いていた感じです。

 ショナールは香月健。この3人の低音アンサンブルではつなぎ役で、目立つところは全然ない役ですけど、彼がしっかりしているかどうかで、アンサンブルの良しあしが決まるところがあります。その意味で、香月のショナールはしっかり役目をはたしてアンサンブルの核となっているように思いました。

 小野寺光のコッリーネ。低音でしっかり支えているのですが、全体的にバッソ・ブッフォのような歌い方になっており、若々しい感じがしないのが残念。音程も結構揺れていました。一番の聴かせどころである「外套のアリア」は、音が揺れて全然よくない。ゆっくりしたテンポが、下を響かせることを意識するバス歌手にとっては結構つらかったのかもしれません。

 志村文彦のベノア・アルチンドロ。この人しかできない名人芸ですね。素晴らしいです。

 一声だけのパルピニョール。東原佑弥が気を吐きました。

 立川市民オペラ合唱団は市民オペラ合唱団としては群を抜いた実力で、今回もその力量を見せてくれたのですが、第2幕のストレッタの部分はもっときっちり合ってほしいところ。また第3幕の女声だけの陰歌になった部分。声のある人たちが舞台上にいたこともあるのだと思いますが、陰歌が年齢を感じさせる浮いた合唱になっていたのは残念でした。

 立川市民オペラは藤沢と並ぶ市民オペラの雄で、今回もその魅力を示したわけですが、昨年の「愛の妙薬」ほどではなかったというのが本当のところ。来年はどうなるのでしょう。

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鑑賞日:2025年3月28日

入場料:自由席 4000円

会場:ガルバホール

主催:ガルバホール

指揮者・平井秀明プロデュース

ガルバホール フライデーナイトコンサート 2025年3月28日

出演

指揮・解説 平井 秀明
ソプラノ 小林 英瑠奈
ソプラノ 中川 悠子
ソプラノ 町田 天音
ソプラノ 渡辺 史子
メゾソプラノ 新家 華織
クラリネット 岩政 志穂
クラリネット 加藤 優穂
サクソフォーン 小松 秀介
ピアノ 勝山 唯
ピアノ  御園生 瞳

プログラム

作曲 作品名/作詞 曲名 演奏者氏名 伴奏
中田 喜直 加藤 周一 さくら横丁 中川 悠子(S) 御園生 瞳(pf)
別宮 貞雄 加藤 周一 さくら横丁 中川 悠子(S) 御園生 瞳(pf)
大中 恩   歌曲集「恋のミステリー」   風が囁くとき 渡部 史子(S) 御園生 瞳(pf)
お陽さまとキスをした
恋のミステリー
ライネッケ   序奏とアレグロ・アパッショナート 作品256 岩政 志穂(Cl) 勝山 唯(pf)
ブラームス 5つの歌曲 作品104 第1曲「歌の調べのように」 町田 天音(S) 御園生 瞳(pf)
ブラームス 4つのリート 作品46 第4曲「ナイチンゲールに」 町田 天音(S) 御園生 瞳(pf)
ドニゼッティ ラ・ファヴォリータ レオノーラのアリア「これが誠か~私のフェルナンド」 新家 華織(MS) 御園生 瞳(pf)
キュンネッケ どこかのいとこ ユリアのアリア「輝く月」 町田 天音(S) 御園生 瞳(pf)
グノー ロメオとジュリエット ジュリエットのアリア「私は夢に生きたい」 小林 英瑠奈(S) 御園生 瞳(pf)
休憩        
ヒンデミット   ヴィオラソナタ 作品11-4 小松 秀介(Sax) 勝山 唯(pf)
ベートーヴェン 3つの二重奏曲 WoO 27 第3番 岩政 志穂(Cl)/加藤 優穂(Cl)  
ロッシーニ セビリアの理髪師 ロジーナのアリア「今の歌声は」 新家 華織(MS) 御園生 瞳(pf)
ウェーバー 魔弾の射手 エンヒェンのアリエッタ「すらりとした若者がやってきたら」 町田 天音(S) 御園生 瞳
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタのアリア「ああ、そは彼の人か~花から花へ」 小林 英瑠奈(S) 御園生 瞳
プッチーニ ラ・ボエーム ミミのアリア「あなたの愛の呼ぶ声に」 渡部 史子(S) 御園生 瞳
カタラーニ ラ・ワリー ワリーのアリア「さようなら、故郷の家よ」 中川 悠子(S) 御園生 瞳
平井 康三郎 平井 康三郎 合唱讃歌 歌手全員 御園生 瞳

感想

音楽の規模とホールの規模と-ガルバホール フライデーコンサート 2025年3月28日を聴く

  ガルバホールは西新宿の高層ビルの地下のレストラン街の一角にある音楽ホールです。もともとはレストランだったところだそうですが、最大席数70の音楽ホールとして、声楽や室内楽の演奏に使用されています。オーナーの趣味でサロン風になっていますが、こちらの音楽プロデューサーが指揮者で作曲家の平井秀明。彼がプロデューサーに就任してから企画しているのが、ガルバ登録アーティストの登録と、そのメンバーによる定期的な金曜夜のコンサートです。

 「ショパンやリストが愛した19世紀のサロンを追体験できる極上の空間」というのがそのコンサートのコンセプトで、声楽と器楽の混合による多彩なメニューが特徴です。今回も歌は日本歌曲、ドイツリート、オペラアリアと様々でしたし、クラリネットとサッソフォーンの室内楽もありました。

 ガルバホールは元レストランということもあり、天井が低く、広さもそれほどではなく、しかしよく響くところで、というより響きすぎる傾向にあります。歌手にとっては歌いやすいと思いますが、聴き手にとってはプログラムを選ぶホールだな、と思いました。正直響きすぎて、もう少しデッドな響きのほうが楽しめたのではないかと思いました。

 特にそれを感じたのはヒンデミットのヴィオラソナタ。この曲はヒンデミットのヴィオラ独奏作品の中ではもっとも有名な曲で、私もどこかで聴いたことがあります。今回はそれをアルトサックスで演奏されました。正直、演奏解釈についてはよくわかりません。ただ、作曲家がヴィオラで演奏することを想定して書いた作品を作品をサックスで演奏するとかなり味わいが異なってきます。はっきり申し上げれば管を通した音がかなりキンキンに聴こえるところがあり、うるさいのです。更に申し上げれば、ヒンデミットはこの曲をもう少し大きめの会場で演奏されることを前提に作曲しているように思います。そういう作品をガルバホールの広さで演奏すると響きすぎてちょっと押しつけがましく感じてしまいます。この曲をガルバホールで演奏するのであればヴィオラでやってほしかったと思いました。

 同じように会場の広さとマッチしていないなあと思ったのはライネッケの「序奏とアレグロ・アパッショナート」。この曲は全く初めて聴く曲で、ライネッケという作曲家の作品を聴くのも初めて。いかにもロマン派風の作品で、暗い序奏から始まり、美しいメロディラインで進み、ダイナミックで情熱的なフィナーレに進むという構成の曲。こちらも情熱的な部分の規模感が、ホールの規模感に抑え込まれている感じがします。もっと広い空間で聴いたほうが楽しめただろうなと思いました。

 一方で同じクラリネットでもベートーヴェンの曲はそんな風には感じませんでした。こちらの曲はもともとクラリネットとファゴットとの二重奏のために書かれていて、ファゴットの息の長さが前提にあるのだろうと思うのですが、ファゴットで演奏されるよりは華やかになっていると思いますが、激しい感じの部分はなく、ホールの広さとちょうどぴったり合っている感じがしました。このホールには古典派や前期ロマン派の作品のほうが合っているような感じがします。

 歌に関してはベテランと若手で雰囲気が違いました。よかったのはベテラン。最初の日本歌曲は中川悠子が最近よく一緒に演奏される二つの「さくら横丁」を演奏しましたが、二曲の描きわけが見事でよかったです。続く渡部史子の大中恩。こちらはなかなか演奏機会の少ない作品だと思いますが、三曲の特徴の違いを描き分けていてよかったと思います。なお、この二人、どちらも日本歌曲が上手な方なのですが、ホールが響きすぎる傾向があって、日本語歌詞が響きに埋もれてしまうところがところどころありました。

 しかし、二人のアリア、ミミとワリーはどちらも雰囲気がよく出ていて素晴らしいものでした。

 若手で一番才能を感じたのは町田天音。ドイツ留学中ということもあり、全部がドイツ語の曲。私が聴いたことがあるのはエンヒェンのアリアだけですが、全般的に落ち着いて曲の雰囲気をとらえているように思いました。ドイツ語の雰囲気はもう一つか。彼女のドイツ語の子音も会場の響きに埋もれているところがあって、それがなければもっとすっきりと聴けたような気がします。

 小林英瑠奈。響きが非常に高いレジェーロ系のソプラノ。ジュリエッタのワルツは現在の彼女にとってちょうどぴったりの感じがして、はつらつとした乙女の雰囲気がよく出ていました。一方で、ヴィオレッタのアリアは、今の彼女の声と技術には似合っていない感じです。楽譜的には問題がないのだろうと思いますが、凄く幼いヴィオレッタに聴こえてしまって、曲の持っている不安げな雰囲気等が生かされていませんでした。

 新家華織は二曲とも悪くはないのですが、何かが足りない感じです。曲の深いところまで楽譜を読み込めていないということなのかもしれません。また小林と新家の歌を聴いていて思うのは、休符の使い方が下手ですよね。フェルマータの伸ばし方や休符における待ち時間をもっと研究して、落ち着いた歌い方をした方がいいと思います。ただがむしゃらに歌っているだけのように聴こえて、残念でした。

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鑑賞日:2025年3月30日

入場料:指定席 1F13列31番 2000円

会場:たましんRISURUホール

主催:公益財団法人立川市地域文化振興財団

国立音楽大学コンサート

華麗なるオペラコンサート

出演

ソプラノ 宮地 江奈
ソプラノ 盛田 麻央
テノール 与儀 巧
バリトン・司会 黒田 博
ピアノ 河原 忠之

プログラム

作曲 作品名 曲名 演奏者氏名
ロッシーニ セビリアの理髪師 フィガロのカヴァティーナ「私は町の何でも屋」 黒田 博
モーツァルト フィガロの結婚 伯爵夫人とスザンナの二重唱「優しいそよ風が」 盛田 麻央/宮地 江奈
ドニゼッティ 愛の妙薬 ネモリーノのアリア「人知れぬ涙」 与儀 巧
グノー ロメオとジュリエット ジュリエットのアリア「私は夢に生きたい」 盛田 麻央
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタのアリア「ああ、そは彼の人か~花から花へ」 宮地 江奈
ヴェルディ ドン・カルロ カルロとロドリーゴの二重唱「我らの胸に友情を」 与儀 巧/黒田 博
休憩   
プッチーニ ジャンニ・スキッキ ラウレッタのアリア「私のお父さん」 盛田 麻央
ヴェルディ マクベス マグダフのアリア「ああ、父の手は」 与儀 巧
ヴェルディ リゴレット ジルダとリゴレットの二重唱「お父様・・・」 宮地 江奈/黒田 博
プッチーニ マノン・レスコー 間奏曲(pf独奏)  
プッチーニ ラ・ボエーム ムゼッタのアリア「私が街を歩くと」 宮地 江奈
プッチーニ ラ・ボエーム 四重唱「あなたの愛の呼ぶ声に~さようなら甘い目覚めよ」 全員
アンコール   
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタとアルフレードの二重唱「乾杯の歌」 全員

感想

定番のガラ・コンサート-「華麗なるオペラ・コンサート」を聴く

  国立音楽大学は、大学名に国立が入っていますが、現実に存在するのは立川市。最寄り駅は西武拝島線と多摩モノレール戦の乗換駅である玉川上水。そんなわけで、立川市と国立音楽大学とは連携協定を結び、地域社会の芸術、文化、教育等の振興を図ってきているのですが、その一環として行われているのが「国立音楽大学コンサート」で、今回はオペラ・ガラコンサートとなりました。出演者は国立音大卒業生と現役教員ということになります。

 国立音大は「声楽の国立」と言われるほど、名歌手を輩出してきたわけですが、今回もその名にたがわず、日本を代表する4人のオペラ歌手のコンサートとなりました。

 一言で申し上げて「素晴らしい演奏会」でした。もちろん、全くミスがなかったというわけではありません。例えば、与儀巧は「人知れぬ涙」を歌っている最中に痰がのどに絡んだようで、苦しそうにして歌い終わりましたが、そんな中でも頑張って音楽の流れを止めなかったのが素晴らしい。また宮地江奈は、ヴィオレッタのアリアの下降跳躍で、何かちょっとしたアクシデントがあったようで、低音が上手くいかなかった、などということはありましたが、こういうことはよくあることです。

 そういったちょっとしたアクシデントを別にすれば全員素晴らしい演奏で、さすがに日本を代表する顔ぶれだな、と思いました。

 一つ気に入らないのは、プログラムに全くひねりがないこと。いかにも「ガラ・コンサート」というような曲だけを集めて、全然攻めた感じがしないのはやはりちょっと残念な感じはあります。しかし、粗の見えやすい定番の曲だけで私のようなすれっからしのオペラファンでも満足できるレベルの演奏してくれたことは、やはりすごいと思います。2日前、ヴィオレッタのアリアとジュリエットのアリアは聴いたばかりですが、正直申し上げて、日本を代表するソプラノと、まだ半分素人の間の違いはちょっとありすぎる感じです。

 金曜日はちょっと残念だったのですが、今回は十分満足できるコンサートでよかったと思いました。

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鑑賞日:2025年4月6日

入場料:自由席 3500円

会場:サンパール荒川大ホール

主催:NPO法人オペラ東京/荒川つつじオペラ合唱団
共催:公益財団法人荒川区芸術文化振興財団/荒川区

オペラ東京公演

歌劇全4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演、ただし、レシタティーヴォ セッコは台詞により語り手が説明
モーツァルト作曲「フィガロの結婚」(Le nozze di Figaro)
原作:ボーマルシェ
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
上演台本:角 直之

スタッフ

指揮 米津 俊広
オーケストラ オペラ東京管弦楽団
合唱 ゲイツオンオペラ合唱団/荒川つつじオペラ合唱団
合唱指導 竹村 真美(ゲイツオンオペラ合唱団)/前田 理恵(荒川つつじオペラ合唱団)
演出 角 直之
照明 北原 舞奈
衣裳 赤星 やよい
舞台監督 小田原 築

出演者

アルマヴィーヴァ伯爵 室岡 大輝
伯爵夫人 田仲 由佳
スザンナ 岩崎 香
フィガロ 阿部 泰洋 
ケルビーノ 成田 伊美
ドン・バルトロ 奥秋 大樹
マルチェリーナ 片岡 美里
ドン・バジリオ/ドン・クルツィオ 佐藤 洋
バルバリーナ 小松 美紀
アントニオ 川村 貢一郎
花娘 前田 理恵
語り 西谷 萌

感想

声が足りない-オペラ東京「フィガロの結婚」を聴く

  東京には、石田エドワードが牽引するNPO法人の「東京オペラ」がある。また、バス歌手の小鉄和広が主催する団体も「東京オペラ」を名乗っている。今度は「オペラ東京」である。こちらの団体は2024年3月に設立されたばかりのNPO法人で、立ち上げ公演として昨年7月に「魔笛」を上演し、今回が初の本格的公演。今後は年に2回程度(1回は本公演、もう1回は小さい公演)を予定しているそうです。

 今回の「フィガロの結婚」。当初のアナウンスでは、セミステージ形式の上演で、語り手を入れてレシタテーィーヴォ・セッコをカットし、スピーディな上演を目指すと聞いていたのですが、確かに語りは入って、セッコがなくなって語りになっていましたが、それ以外の音楽のカットはなし。普通カットされる、マルチェリーナのアリア「牡羊は雌羊を求め」とドン・バジリオのアリア「分別がうまく使えなくて」の2曲のアリアもきっちり演奏されましたし、セミ・ステージ形式というので、オーケストラを舞台上に乗せ、その前で簡単な演技を行うのかと思いきや、しっかりとオーケストラピットを作り、簡単ではあるけれども舞台を設定し、全員がしっかり演技する本格的な公演となっていました。

 演出は作品が書かれた18世紀の啓蒙主義の時代を衣裳で身分が分かる世代と定義づけ、服が秩序の象徴であることを主張します。舞台上には、洋服を何十着も掛けたハンガーラックが並べられています。このラックが幕ごとに位置を変え、出演者が動かし、フィナーレでは掛けられてあった洋服がどんどん取り外されて床の上に突き上げられ、服による秩序が破壊され、混とんとしたカオスになっていきます。このような演出は新国立劇場のホモキ演出を思い出しますが、角直之はあの演出に何かインスパイアされたのかもしれません。

 そんなわけで、予算のない中、舞台は上手に作られていたと思うのですが、肝心の演奏は、一言で申し上げれば「残念」。ほとんどの歌手で声が足りず迫力がない。もちろんきっちりは歌っているのですが、オペラを聴く醍醐味は歌手の声量がかなりの部分を占めているのにもかかわらず、そこが本当に足りなくて、ただただ物足りない。もちろん例外はいます。奥秋大樹のバルトロとかですね。でも主要な伯爵も伯爵夫人もフィガロもスザンナも声が足りないのは、残念至極です。

  とはいうものの奥秋のバルトロも褒められたものではありませんでした。私はこれまで奥秋を何度か聴いていて、若手バスナンバーワンだと思っていたのですが、今回は私が聴いた彼のこれまでの歌唱の中で最悪のものでした。歌詞の内容から見えるバルトロの心情と全然違う演技をさせられたのは彼にとっても心外だったかもしれませんが、深く蓄積したマグマのような怒りをだんだん盛り上げていく「復讐だ」のアリアを、最初から怒りに任せた発声をして歌のフォルムを崩してしまったのは残念と申し上げるしかないでしょう。

 他のメンバーはフォルムを崩していなかった代わりにとにかく声がない。伯爵の室岡大樹は第3幕のアリア「訴訟に勝っただと」は丁寧に歌われていましたが、声のダイナミクスを使った怒りの表現はもう少しあってもよかったと思います。 彼の問題はアリアよりもアンサンブル。アンサンブルになると自信がないのか声が小さくなる傾向があり、何を歌っているのかがよくわからなくなり、低音による支えもどの程度あったのでしょうか。

 伯爵夫人の田仲由佳も残念。この方はアンサンブルでの歌唱は美しいし自然にハモる感じが悪くないのですが、アリアはよくない。アリアになると、アンサンブルとは違って喉を締め付けるようにして歌う。息が解放されている感じがなく、高音は出ているのですが中低音が痩せている感じで、伯爵夫人の憂いを表現できていなかったのはとても残念です。2曲あるアリアのどちらも残念だったので、もう一度歌い方を見直した方がよいと思います。

 フィガロの阿部泰洋。全体的に溌溂とした動きですし、アンサンブルもアリアもさほど悪くないのですが、声に迫力がないので、どこもここも薄味で、タイトルロールとしての存在感が感じられませんでした。3曲あるアリアはどれもきっかり歌っているのですが、もっと攻めるところは攻めてフィガロの特徴を表現すべきでしょう。最初の「踊りを踊るならば」におけるフィガロの反骨心の表現、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」におけるケルビーノへのからかいの雰囲気、第4幕のアリア「全ての準備ができた~少しばかり聴くのだ」の諦念の表現、どれをとっても気持ちが入っている感じがなくて、フィガロを演じているのではなくて、フィガロの歌をとりあえず歌っています、という風になっていました。

 スザンナの岩崎香。この方も声が足りない。だから例えば第1幕のマルチェリーナとの「当てこすりの二重唱」はスザンナが攻めて、それでマルチェリーナがどんどんヒステリックになっていくところが聴きどころですが、スザンナがマルチェリーナと比べると声がないので、すごくバランスが悪い。声では負けているのに、役的には勝っているというのは気持ちが悪い。そのほかももう少し声がきこえないとダメだろうと思うところが何か所もあって残念でした。手紙の二重唱は伯爵夫人もスザンナの物足りないので、響きの厚みがなく、せっかくの名曲が残念だなとだけ思いながら聴いていました。第4幕のアリアも同様。せっかくの曲が心に沁みない。

 成田伊美のケルビーノ。こちらは少年らしい溌溂感が足りない。持ち声が重いのか、ケルビーノにあまり似合っていません。「自分が自分をわからない」も「恋とはどんなものかしら」もそれぞれの曲全体の流れが決まっていない感じがあって、頂点の置き方などを研究された方がいいと思いました。アンサンブルのはまり方もあまり少年チックではなかったのかな、という印象です。

 マルチェリーナの片岡美里。今回のメンバーでは一番良かった。アンサンブルにおける役割の果たし方も一番しっかりしていたと思うし、普通カットされる「牡ヤギは雌ヤギを求め」もしっかりした歌で見事でした。

 バジリオ/クルツィオの佐藤洋はバジリオらしい嫌みの見せ方が今ひとつだし、こちらの処世術のアリアも今一つ。

 オーケストラもあまりよくない。ホルンがこけるのはやむをえないと思いますが、アンサンブルの入りが乱れて、位相差のように聴こえてくるのは如何なものか。また全体的にこの歌手のメンバーと比較したとき音がなりすぎでアンバランスなのも残念。

 合唱は悪くない。幼稚園児ぐらいから大人までいろいろなメンバーでしたが、サンパール荒川を本拠としている荒川区民オペラ合唱団よりは全然鍛えられていて、花娘の合唱などはとてもいい感じでした。

 演出は基本悪くないけど、会場の響きがデッドで、それを超えられるだけの歌手の力量がなかった、ということなのでしょう。残念でした。

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鑑賞日:2025年4月17日

入場料:自由席 4000円

会場:みどりアートパークホール

主催:オペラ工房アヴァンティ

第16回オペラ工房アヴァンティ公演

歌劇プロローグとエピローグ付き全4幕、日本語字幕付原語(イタリア語)上演
ボーイト作曲「メフィスト-フェレ」(Mefistofele)
原作:ゲーテ「ファウスト」
台本:アッリーゴ・ボーイト

スタッフ

指揮 高野 秀峰
ピアノ 河崎 恵
合唱 アヴァンティ合唱団
合唱指揮/副指揮 吉田 拓人
演出 大島 尚志
照明 中村 浩実
音響 桑原 理一郎
ヘアメイク さとう せいこ
舞台監督 堀井 基宏

出演者

メフィストーフェレ 植村 憲市
ファウスト 富澤 祥行
マルゲリータ 田島 秀美
マルタ 中川 美智子 
エレーナ 天水 初音
バンターリス 齋 実希子
ヴァグネル/ネレーオ 須藤 章太

感想

バスの力量-オペラ工房アヴァンティ「メフィストーフェレ」を聴く

  作品名は有名だけれどもなかなか演奏されない作品があります。日本においてその代表はボーイトの「メフィストーフェレ」でしょう。「オペラ名作100」みたいな書籍には必ず掲載される有名作品にもかかわらず、二期会も藤原歌劇団も新国立劇場も取り上げたことがありません。日本でこれまで上演されたのは、演出家の田尾下哲がかつて組織していた東京オペラシアターで2003年(日本初演)に、あとは広島で活動する広島オペラアンサンブルが2013年と18年に、そして東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会形式公演が、2018年、バッティストーニの指揮で行われただけです。

 なぜ上演されないか。これは「難曲である」に尽きるようです。主役のメフィストーフェレはバス。それも低音がよく響くバッソ・プロフォンドでかつメロディラインもしっかり歌えるバッソ・カンタービレの声も持たなければいけない。そのうえ、マルタを誘惑するわけですから男の色気も必要ということで、きっちり歌える方がいない、ということになります。かつてメフィストーフェレ歌いとして一世を風靡したのはシエピであり、ギャウロフであり、レイミーでした。正直申し上げて、日本人のバスでこの要件を満たしている方ってちょっと思いつかない。妻屋秀和あたりであれば歌えそうな気もしますが、彼も色気という点ではどうかしら。ちょっと違う感じがします。

 そういう中、オペラ工房アヴァンティの植村憲市は果敢にもこの役に立ち向かい、上演を行いました。植村がどのようにこの役に立ち向かうのか、興味をもって、個人的には初生鑑賞、全曲聴くのも初めてですが、の公演に伺ってまいりました。

 そして、植村のメフィスト、はっきり申し上げれば玉砕したというべきでしょう。やはり低音が響かず、響かそうとするとざらついてしまう。高音のカンタービレも低音に影響されたのかあまり美しくなく、全体的にぎこちなさが先に立って、終始残念な歌だったと思います。全体として動きも悪魔っぽくないし、色気も全く感じられない。歌の完成度もイマイチということで、挑戦者としての勇気は買いますが、うーん、という感じでした。

 あと残念だったのは合唱。合唱の中では山本澄子が高音をきれいに響かせて見事だったのですが、全体のアンサンブルが今一つ揃っていない。特に男声が足を引っ張っている傾向。流れに遅れたり、音が正しくなかったりして、結構グダグダでした。基礎的なアンサンブル練習が足りなかったのではないかと思います。

 一方、高音系の方々は総じて良かったように思います。まずファウスト役の富澤祥行。リリックなテノールで高音の響きが美しい。冒頭のアリアがよかったし、第二幕の誘惑の四重唱はファウストの情熱とマルゲリータの雰囲気が上手くかみ合っていて、一方のメフィストとマルタは抑えた感じのバランスで、四重唱としてはまずまずかと思いました。また第3幕は、マルゲリータのアリアの後の二重唱もまずまずの感じ。後半はやや疲れが出てきたのか、高音の響きは上々だったのですが、低音部がやや不安定になり、ぶら下がっていた感じになっていたのはちょっと残念だったかもしれません。とはいえ、冒頭の老人姿から最後の死にいたるまで、しっかりと存在感を示し、一定の水準以上で歌われたこと、素晴らしいと思いました。

 マルゲリータの田島秀美もよかった。田島は舞台によってはかなり不安定になることもある方ですが、今回はきっちり安定した歌で終始し、とてもよかったです。第3幕のアリア「いつかの夜、暗い海の底に」は、暗い情念が込められ、鬼気迫るものがあればもっといいとは思いましたが、たっぷりかつしっかりした歌いっぷりは、この曲の魅力を十分に伝えられたものと申し上げてよいと思います。その後のファウストとの二重唱も素敵で、今回の上演ではこの第3幕が白眉となったと申し上げましょう。

 このほか、ファウストの餌食になるのがエレーナです。エレーナの天水初音もきれいな高音を響かせて存在感を出していましたが、全体的に薄味な印象。マルゲリータがかなりしっかりした歌でしたので、エレーナももう少し重い雰囲気のほうが良かったのかもしれません。

 脇役陣ではヴァグネルとネレーオを歌った須藤章大とバンターリスの齋実希子がそれぞれ自分の役目を果たし良かったです。

 もう一つ良かったのはピアノ。河崎恵の伴奏は最初から最後まで歌手に寄り添いながらも流麗に流れ、とても美しく感心いたしました。

 以上、主役のバスと合唱の問題で、いい上演だったとは言えませんが、やってもらえたことは大変うれしかったです。初めて舞台を拝見することができて良かったです。 

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鑑賞日:2025年4月20日

入場料:自由席 4000円

会場:府中市民活動センタープラッツ、バルトホール

主催:株式会社サウンドフィックス

オペラガラコンサート

オペラガラコンサート「愛と運命の煌めき」

出演

ソプラノ 内海 響子
ソプラノ 長田 真澄
ソプラノ 水上 恵理
テノール 三浦 義孝
バリトン 井出 壮志朗
ピアノ 金子 渚

プログラム

作曲 作品名 曲名 演奏者氏名
モリコーネ ニュー・シネマ・パラダイス シネマ・パラダイス 三浦 義孝
ロータ ゴッドファーザー もっと静かに話して 三浦 義孝
クルティス   勿忘草 三浦 義孝
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタのアリア「ああ、そは彼の人か~花から花へ」 内海 響子
プッチーニ ラ・ボエーム 第1幕後半(ミミの登場からミミとロドルフォとの二重唱まで) 水上 恵理/三浦 義孝
休憩   
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々さんとピンカートンとの愛の二重唱「可愛がってくださいね」 長田 真澄/三浦 義孝
チレア アドリアーナ・ルクヴルール アドリアーナのアリア「私は創造の神の卑しい下僕です」 水上 恵理
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々さんのアリア「ある晴れた日に」 長田 真澄
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々さんのアリア「お前の母は」 長田 真澄
プッチーニ 蝶々夫人 蝶々さんのアリア「私の可愛い坊や」 長田 真澄
ヴェルディ イル・トロヴァトーレ レオノーラとルーナ伯爵との二重唱「夜が明けたら」 水上 恵理/井出 壮志朗
ヴェルディ リゴレット ジルダとリゴレットとの二重唱「復讐を!」 内海 響子/井出 壮志朗
アンコール   
ヴェルディ 椿姫 ヴィオレッタとアルフレードの二重唱「乾杯の歌」 全員

感想

ソプラノを楽しむためのガラ・コンサート-「愛と運命の煌めき」を聴く

  府中にあった伊勢丹デパートが撤退するまでは時々府中にも行っていたのですが、その後は甲州街道を車で通ることや東府中の府中の森芸術劇場に出かけることはあっても、府中駅に降り立って、府中の町中を歩くということは全然ありませんでした。しかし、その後も府中駅周辺の再開発は進み、府中駅直結の再開発ビルに府中の市民活動センタープラッツができ、バルトホールという収容人数300弱のホールができました。2019年と言いますから、もう6年も前になります。こちらの存在は知っていましたが、入るのは初めてでした。

 そこで、ガラ・コンサートを行うというので伺ってまいりました。

 普通、ガラ・コンサートというと、出演する歌手が4-5人だとそれぞれがアリア2曲程度と二重唱を1曲、三重唱や四重唱を1曲位のことが多くて、全体で10数曲、長いものをやることもありますが、普通は1曲5分ぐらいのものでまとめます。今回のコンサートはアリアはソプラノだけ、テノールとバリトンは重唱でサポートに回るという体で、ソプラノを楽しむためのコンサートといってよいでしょう。そして、長い曲を取り上げました。

 その典型が「ラ・ボエーム」の第1幕後半を全部取り上げたこと。「ボエーム」というオペラは全4幕ですが、第一幕は大きく二つに分けられます。貧乏だけど自由なボヘミアンたちの野放図な生活を描いた前半とミミとロドルフォが出会う後半です。この後半は「冷たい手」、「私の名はミミ」、「二重唱」と更に三つの部分に分けられ、「冷たい手」はテノールの定番アリア、「私の名はミミ」はソプラノの定番アリアなわけですが、本来の楽譜では、この二つの自己紹介のアリアは、切れ目なく連続して演奏されるように書かれています。かつて座間で「ラ・ボエーム」を上演した時、演出家の古川寛泰はこのアリアの分かれ目で拍手をしないように観客に要請しました。しかし、この全体をまとめてガラ・コンサートで取り上げるのは珍しい。

 一方で「蝶々夫人」は逆です。「蝶々夫人」のアリアは「ある晴れた日に」が有名ですが、それ以外もソプラノがソロで歌う部分は色々あります。今回は、ガラ・コンサートでは滅多に演奏されない第二幕後半の短いソロの部分を二か所も取り上げました。細切れではありますが、第1幕幕切れの愛の二重唱と第二幕の蝶々さんのソロを3曲並べることで、「蝶々夫人」というオペラの骨格を示すことができました。

 今回ミミは水上恵理が、蝶々夫人は長田真澄が歌いました。水上も長田も声質はリリコで二人ともミミも蝶々さんも歌えますが、この二人の歌いっぷりを聴いていると、水上はよりミミに似合っていて、長田は蝶々さんに似合っているように思いました。どちらもいい歌だったと思います。

 今回この二人以外に登場したソプラノが内海響子。初めて聴く方です。声質はリリコ・レジェーロ。全体的に線が細く、今回ヴィオレッタのアリアとジルダの二重唱を歌ったのですが、迫力に欠けていたというのが正直なところ。3月末に立川で宮地江奈のヴィオレッタとジルダを聴いたばかりですが、宮地と比較するのはかわいそうですが、かなりの差があったというのが本当のところでしょう。

  男声はテノールの三浦義孝が、最初に映画音楽二曲とイタリア歌曲一曲を歌いました。「もっと静かに話して」はいわゆる「ゴッドファーザーの愛のテーマ」ですが、普段耳にしているものと楽譜が違うのか、メロディラインが不明瞭な感じがしました。一方「勿忘草」は定番。安定していたと思います。そしてロドルフォとピンカートン、テノールの美味しさを嚙み締めながらソプラノをサポートした感じです。

 バリトンは井出壮志朗。彼だけアリアはなしですが、ルーナ伯爵とリゴレットという性格の違う二つの役柄を続けて歌いました。彼にとっても重たい連続だったようですが、流石若手バリトンの実力者。しっかりと役目を果たし、どちらも素晴らしかったと思います。

 今回のピアノは金子渚。伴奏ピアニストとして活躍している方ですが、私が実際の演奏を聴くのは初めて。しっかりしたサポートで歌手に寄り添って見事でした。

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