オペラに行って参りました-2025年(その1)

目次

美味しいところのハイライト 2025年1月5日 新交響楽団第268回演奏会「「ジークフリート」ハイライト」を聴く
役柄と声とのマッチング 2025年1月11日 TEATRO TRELICA「ドン・ジョヴァンニ」を聴く
オペラであることを意識する。 2025年1月25日 新国立劇場「さまよえるオランダ人」を聴く
頑張った若手と盛りだくさんな内容 2025年1月26日 フィオーレ合唱団「なりゆき泥棒」、オペラの魅力「真珠とり」と「カルメン」ハイライトを聴く
木下牧子の老境 2025年1月31日 東京室内歌劇場「陰陽師」(初演)を聴く
ファルスタッフはヴェルディの最高傑作である 2025年2月1日 藤原歌劇団「ファルスタッフ」(初日)を聴く
個人技とチーム力と 2025年2月2日 藤原歌劇団「ファルスタッフ」(二日目)を聴く
キャラが立つということ 2025年2月8日 新国立劇場「フィレンツェの悲劇」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く

オペラに行って参りました。 過去の記録へのリンク

      
2025年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2025年
2024年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2024年
2023年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2023年
2022年 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 どくたーTのオペラベスト3 2022年
2021年 その1 その2 その3 その4 その5 その6   どくたーTのオペラベスト3 2021年
2020年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2020年
2019年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2019年
2018年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2018年
2017年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2017年
2016年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2016年
2015年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2015年
2014年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2014年
2013年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2013年
2012年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2012年
2011年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2011年
2010年 その1 その2 その3 その4 その5   どくたーTのオペラベスト3 2010年
2009年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2009年
2008年 その1 その2 その3 その4     どくたーTのオペラベスト3 2008年
2007年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2007年
2006年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2006年
2005年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2005年
2004年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2004年
2003年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2003年
2002年 その1 その2 その3       どくたーTのオペラベスト3 2002年
2001年 その1 その2         どくたーTのオペラベスト3 2001年
2000年              どくたーTのオペラベスト3 2000年

鑑賞日:2025年1月5日

入場料:B席 2FRA1列27番 1500円

会場:ミューザ川崎シンフォニーホール

主催:新交響楽団
後援:「わ」の会、日本ワーグナー協会

新交響楽団第268回定期演奏会

楽劇全3幕より抜粋、字幕付原語(ドイツ語)上演、演奏会形式
ワーグナー作曲「ジークフリート」(Siegfried)
台本:リヒャルト・ワーグナー

プログラム

第1幕第3場より 霊剣ノートゥングの再生 (ミーメ、ジークフリート)
第2幕第2場より 森の中のジークフリート (オーケストラ演奏)
第3幕第3場 ブリュンヒルデの目覚め (ジークフリート、ブリュンヒルデ)

出演者

指揮 城谷 正博
オーケストラ 新交響楽団
ジークフリート 片寄 純也
ブリュンヒルデ 池田 香織
ミーメ 升島 唯博

感想

美味しいところのハイライト-新交響楽団第268回演奏会「ジークフリート」ハイライト」を聴く。

 私はワーグナーが苦手です。分厚いオーケストラのサウンドが歌手の声を打ち消してしまうのも好きではないですし、長すぎるのも勘弁してほしい。とはいってもワーグナーが、ドイツ後期ロマン派の最高峰の作曲家であることは疑う余地もなく、機会があれば聴きたいとは思います。そのワーグナーの一つの金字塔が、除夜+三部作の合計四部からなる楽劇「ニーベルングの指環」です。総上演時間が約15時間、バイロイトでは、4日間かけて上演しますが、日本では、それができるほどのノウハウも実力もなく、新国立劇場ではこれまで3クールやっていますが、最初は4シーズン、2回目、3回目はそれぞれ2シーズンかけての上演でした。

 さらに申し上げれば、「指環」自体は人気作品であり、特に第1日目の「ワルキューレ」は単独でも取り上げられることも多いのですが、「ジークフリート」と「神々の黄昏」は、ツィクルスの中で取り上げられることはあっても単独で演奏されることはほぼありません。また、「ジークフリート」はタイトル役のジークフリートに対する負担が重すぎて、日本人歌手では歌いきれないという現実もあります(二期会をはじめやられた事例は何回かありますが、チャレンジ精神を称えられることはあっても音楽的に褒められたのということは寡聞にして知りません)。

 そんなわけで、「ジークフリート」の全曲が聴けるのは、日本ではおそらく新国立劇場が次回取り上げてくれる時になりそうです。一方で、「ジークフリート」は英雄誕生譚であり、音楽的には英雄が育っていく面白さがある。そんなわけで、私自身は四部作の中では「ジークフリート」が一番好きです。その「ジークフリート」の一番美味しいところを日本を代表するアマチュアオーケストラである新交響楽団と「わ」の会がコラボして演奏するという話を耳にし、行ってまいりました。

 演奏されたのは、3つのシーンだけ。ただ、音楽的に一番面白い3シーンが選ばれたというのはその通りで、これだけでも「ジークフリート」のエッセンスは聴くことができます。

 今回ジークフリートを歌ったのは日本を代表するヘルデン・テノールである片寄純也。片寄は昨年の二期会「タンホイザー」では上手くいっていなかったなど、「ジークフリート」全曲をしっかりと歌いきるだけの声はまだないと思うのですが、この量であれば話は別です。

 今回私はチケットを入手するタイミングが遅く、申し込みをしようとしたとき歌手が見える席は売り切れで、オーケストラの後ろ側の席で、歌手の背中を見ながら聴くことになったのですが、そういう悪条件であっても片寄の力強い美声が響いてきます。第一幕と第三幕が歌われましたが、第三幕のブリュンヒルデとの愛の二重唱の方が、女という存在を知り、性に目覚め、ブリュンヒルデに熱く愛を語るジークフリートのほうが片寄の感性に合っていたのか、いい感じだったように思います。

 最初に演奏されたノートゥングを生み出す場面は、升島唯博のミーメとの二重唱でしたが、升島の声がオーケストラの音の中に埋もれてしまう感があって、ちょっともどかしさを感じました。また片寄も升島も歌のタイミングなどで若干ぎくしゃくしているところもあり、その辺がもっとうまくいっていれば魔剣ノートゥングがもっといい感じで生み出されただろうな、とは思いました。

 一方、ブリュンヒルデとジークフリートの愛の二重唱は池田香織のブリュンヒルデが音楽的色気に雰囲気があって、片寄、池田のコンビでどんどん盛り上がっていく感じが官能的な感じを醸し出していい感じ。ワーグナーの音楽も二人が結ばれるところで頂点に達するわけで、大盛り上がりで終わりました。

 オーケストラはよく練習していたと思います。今回第二幕のハイライトはオーケストラだけで演奏されたのですが、イングリッシュホルンで演奏されるジークフリートが葦笛を作って上手く吹けない部分などもいい感じで演奏されましたし、そのあとの「ジークフリートのホルンコール」は首席奏者の大内亜由子さん(?)が前に出て演奏したのですが、この一つ間違うと結構悲惨なことになる大変なホルンソロを見事に吹き上げました。

 オーケストラは第一ヴァイオリンが16人の16型、管楽器も楽譜通りの4管で音の分厚さはしっかりとワーグナーでした。音の響きや弦楽器のつややかさなどはもちろんプロとは比較できないところがあるのですが、練習を積み重ねてきたアマチュアはプロにはない何かを出すことがあります。今回の演奏も指揮者の城谷正博が上手にコントロールしていたということは当然あると思うのですが、それ以上に新響サウンドのようなものがあって、みんなが心を一つにして作り上げていく音楽にしかない、波長の一致のようなものが感じられたのはよかったです。

 城谷正博の指揮はワーグナーをよく知ったオーケストラトレーナーの意地をかけたような指揮で、指揮者の前から見ていると、歌手も含めてかなり細かく指示を出しています。表情の変化も豊富で、全身を使って音楽をコントロールしようという姿勢は明確でした。

 全体として楽しむことができました。

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鑑賞日:2025年1月11日

入場料:自由席 4000円

会場:成増アクトホール

主催:TEATRO TRELICA
後援:公益財団法人 板橋区文化・国際交流財団/板橋区教育委員会

歌劇全2幕、字幕付原語(イタリア語)上演
モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」(Don Giovanni)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

スタッフ

指揮 高野 秀峰
ピアノ 前田 裕佳
合唱 Coro Trelica
演出 舘 亜里沙
照明 沖田 麗
舞台監督 佐藤 尚之

キャスト

ドン・ジョヴァンニ 田中 修太郎
レポレッロ 伊東 達也
ドンナ・アンナ 坂木 陽子
ドン・オッターヴィオ 石川 雄藏
ドンナ・エルヴィーラ 奈良原 繭里
マゼット 戸村 優希
ゼルリーナ 生駒 侑子
騎士長 佐藤 哲朗

感想

役柄と声とのマッチング-TEATRO TRELICA「ドン・ジョヴァンニ」を聴く。

 「ドン・ジョヴァンニ」は二期会や新国立劇場でもおなじみの演目で、大学オペラの定番でもあるけれども、考えてみると小さい団体がピアノ伴奏でやったというのをあんまり聴いたことがないような気がします。よくやられているようですが、私自身はあまり縁がない。今回はどこかでいただいたチラシが手元にあり、ちょうど予定もなかったので行ってみることにしました。成増駅は初めておりました。アクトホールは、駅前の区営の複合施設の中の席数200ほどのホール。

 この手の小規模上演としては比較的楽しめたと思います。細かいミスはいろいろあったものの全体としてはまあ整っていたし、いい上演だったと思います。高野秀峰の指揮は特に特徴的なものではなかったですが、歌手に必要なプロンプも与えながら、丁寧に指揮していた印象です。ピアノの前田裕佳もいいフォローをして舞台を下支えしていました。

 一方で、歌に対しては色々と気になるところがありました。

 タイトル役のドン・ジョヴァンニ。チラシでは追分基がアナウンスされていましたが、実際に歌ったのは田中俊太郎。田中の歌い方はメリハリを利かせて、輪郭をはっきり浮かび上がらせるようなスタイル。攻撃的なスタイルといってもいいかもしれません。ドン・ジョヴァンニは悪人ですからこういう歌い方があってもいいかもしれない。ただ、彼の歌には色気がないのです。例えば、ゼルリーナを誘惑する二重唱。最初の「Là ci darem la mano, Là mi dirai di sì.」の部分で、男の色気をしっかり出して、ゼルリーナを惹きつけなければいけない。でもただ歌っているだけで誘惑しているようには見えない。ドンナ・エルヴィーラの侍女を誘惑しようとする「セレナード」もただ歌っているだけで色っぽくない。レポレッロとのやり取りの中でも悪人の出し方は上手だと思いましたが、ただ悪人なだけのドン・ジョヴァンニになっていて、もっとチョイワル感があったほうがいいように思いました。

 伊東達也のレポレッロ。上手です。歌もうまいし、演技も見事。今回の出演者で一番良かったのがこの方。一番の聴かせどころ「カタログの歌」はもちろん良かったのですが、それ以上にちょっとしたところのアドリブ。例えば、奇声を上げたりするところのタイミングや雰囲気。これが抜群にはまる。素晴らしかったと思います。

 坂木陽子のドンナ・アンナ。声量はもう少しあったほうがいいとは思いましたが、音楽的な雰囲気が一幕はよかったと思います。冒頭の三重唱や第一アリア「もう分ったでしょう」はいい感じでよかったのですが、第二幕は疲れてきたのか、一幕のような響きではなかったと思います。一番の聴かせどころのレシタティーヴォアコンパニャート付きのロンド、「言わないで、愛しい人」はなんか響きが抜けた感じで、いいものではありませんでした。その後のフィナーレの重唱はしっかり歌われていたので、このドン・オッターヴィオとのやり取りがうまくいっていなかったのが残念ではありました。

 石川雄藏のドン・オッターヴィオは清新な声を出して雰囲気はドン・オッターヴィオぽかったのですが、惜しむらくは高音が出ない。調子が悪かったのかもしれませんが、たかが「ラ」の音で裏声に逃げるのは、テノールとして失格といってもいいと思います。

 奈良原繭里のドンナ・エルヴィーラ。頑張ってはいましたけど、声があっていない感じ。全体的に金切り声でヒステリックな印象が強く出てしまって残念です。ドンナ・エルヴィーラの深い愛を感じさせるためにはもっと声が重くて、低音がしっかり響く人でないと様にならないところがある。第一幕が特にいい感じではなかったと思います。一方第二幕は一幕よりは乗っていた感じで、聴かせどころのレシタティーヴォアコンパニャート付きのアリア「神様、なんということを~あの情知らずの心は私を裏切り」は雰囲気があって良かったと思います。

 戸村優希のマゼット。こちらも声があっていない。戸村は本来はハイバリトンの声だと思いますが、マゼットはバスバリトンかバスでないと格好がつかないところがある。低音が響かないと締まらない感じがあって、一所懸命頑張っていたとは思いますし、悪くはないのですが、もっと低音が、とは思いました。

 生駒侑子のゼルリーナ。こちらはよかったです。かわいらしいコケティッシュな雰囲気と、したたかさも歌にも表情にもしっかり出していて、そのかまととな演技も含まて素晴らしかったと思います。誘惑の二重唱における「イケズ」な感じや「ぶってよマゼット」にあけるしたたかな甘え方。薬屋の歌でのマゼットの骨の抜き方までまさにゼルリーナという感じでBravaだったと思います。

 佐藤哲朗の騎士長。こちらもよかったです。さすがのレガート歌唱で、それでいながら要所要所を締める歌い方は騎士長の雰囲気をよく出していました。

 合唱は合っておらず今一つ。

 舘亜里沙の演出は狭い舞台だけではなく、観客席前方も使って立体的に見せようとしたもの。場面転換の中幕の使用もよかったと思います。最後に地獄落ちしたドン・ジョヴァンニが舞台に現れ、ドンナ・エルヴィーラが付いていくエンディングはドンナ・エルヴィーラこそがドン・ジョヴァンニの魂の救済になるといいたかったのかもしれません。

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鑑賞日:2025年1月25日

入場料:C席 2FL9列3番 8415円

会場:新国立劇場オペラハウス

主催:新国立劇場

新国立劇場2024/2025シーズンオペラ

歌劇全3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人」(Der fliegende Holländer)
台本:リヒャルト・ワーグナー

スタッフ

指揮 マルク・アルブレヒト
オーケストラ 東京交響楽団
合唱 新国立劇場合唱団
合唱指揮 三澤 洋史
演出 マテアス・フォン・シュテークマン
美術 堀尾 幸男
衣裳 ひびの こづえ
再演演出 澤田 康子
音楽ヘッドコーチ 城谷 正博
舞台監督 高橋 尚史

出演者

ダーラント 松位 浩
ゼンタ エリザベート・ストリット
エリック ジョナサン・ストートン
マリー 金子 美香
舵手 伊藤 達人
オランダ人 エフゲニー・ニキティン

感想

オペラであることを意識する-新国立劇場「さまよえるオランダ人」を聴く。

 前回、このプロダクションが上演されたのが3年前、2022年の2月です。

 コロナ禍でオミクロン株の蔓延著しく、何度目かの外国人入国禁止措置で、当初予定されていた外国人歌手の出演はなく、指揮も当初予定されていたジェームス・コンロンではなく、入国禁止措置が取られる前に来日していたデスピノーザに変更になりました。演出もコロナシフトで、オリジナルとは違っていました。例えば、水夫の合唱が、舞台一面に広がって歌ったりです。さらに申し上げれば、私の聴いた日はマリー役の山下牧子も感染、カヴァーキャストの塩崎めぐみも感染、急遽呼ばれた金子美香が陰歌でマリーを歌い、演技は再演演出の澤田康子が行うというドタバタぶり。そんな予定とは全く違った「オランダ人」だったわけですが、しかし、演奏は「素晴らしい」の一言に尽きました。

 オランダ人を歌った河野鉄平とゼンダの田崎尚美が格別に素晴らしく、ダーラントの妻屋秀和も立派。第二幕の「糸車の合唱」から「ゼンダのバラード」、ゼンダ、オランダ人の二重唱、これにダーラントが加わった三重唱と、世界中どこに持って行っても恥ずかしくないレベルの名唱で、私は2022年のオペラベスト3の第二位にこの上演を取り上げさせてもらいました。ワーグナー嫌いを自認するどくたーTですが、これだけ素晴らしければ、そうせざるを得ません。

 翻って今回の上演、前回と同じにはならないだろうとは思っていましたが、ありていに申し上げれば雲泥の差と申し上げてもよいでしょう。全てが前回を下回っていると申し上げましょう。

 主役の「オランダ人」は、2012年の公演でオランダ人を歌ったエフゲニー・ニキティン。二度呼ばれるということは「オランダ人」として魅力ある歌手ということがあると思うのですが、来日してから体調を崩し、初日、二日目とカヴァーの河野鉄平がオランダ人を務め、本日が彼にとっての初日。まだ本調子ではなかった様子で、終始安全運転で物足りない。第一幕のオランダ人の長大なアリア。内容的にも哲学的で、劇的なところと静かなところが交錯する曲ですが、ニキティンの歌、平板な印象で、もう少し立体感があってもいいのではないか、と思いましたし、第二幕のゼンタとの二重唱はともかく、フィナーレの三重唱は、オランダ人の声が聴こえず、残念でした。

 ゼンタのストリットは悪くないけど、前回の田崎尚美の入魂のゼンタを覚えている身からすると、ずっと優しいゼンタだなという印象。柔らかい表情もあり、ゼンタの聖女的な側面をしっかり見せていたとは思いますが、「オランダ人」に対する狂気の表情は薄く、普通だなという印象です。オランダ人とゼンタの二重唱は、ある意味この作品のクライマックスですが、二人ともまだ手探りな感じで、100パーセントかみ合った感じではありませんでした。

 ストートンのエリックも前回の城宏典の端正な歌唱と比較すると、こちらは劇的で感情を込めた歌唱。エリックという役としてはこちらが王道なのでしょう。ここで、ゼンタがしっかり受け止めれば、ゼンタとのかみ合わない二重唱はもっとうまくいきそうな感じがするのですが、ストリットはエリックをいなす感じが今一つ薄くて、なんとなく物足りません。

 松位浩のダーラントは前回の妻屋秀和ほどは、俗っぽさを前面に出さない歌唱。私は妻屋の表現のほうが好きですけど、松位の歌も決して悪くはありません。

 金子美香のマリーは前回に引き続きだったのですが、前回は陰歌で演技なし、今回は舞台上で演技ありということで、演技があるとそれだけ歌に集中しにくいのか、前回のほうがよかったかなという印象。

 合唱も前回のほうがよかったかな、と思います。「水夫の合唱」は前回は舞台上に合唱団メンバーがきちんと並んで歌って、フォルテで吠えるように歌いながらもハーモニーが抜群にきれいで、倍音がバシバシ飛んでくる、男声合唱の極限を聴かせてもらったのですが、今回は水夫の合唱にもしっかり演技があり、演技をすると、お互いを聴きあいにくくなるということはあるのでしょうね。高水準の合唱であることは間違いないのですが、前回ほどバランスが取れた端正さはなかったと思います。

 しかし、オペラは演技があるのが当たり前で、今回の水夫の合唱のように端正さには欠けるけど迫力のある演技があるというのは当然大切なことであって、オリジナルの演出に戻して上演できたということは喜ぶべきことなのでしょう。2022年公演と比べると残念な感が強い公演ではありましたが、オペラらしいオペラを拝見できたということで、良かったと思います。

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鑑賞日:2025年1月26日

入場料:自由席 2000円

会場:港区立台場区民センターホール

主催:フィオーレ合唱団

歌劇全1幕、字幕付原語(イタリア語)上演
ロッシーニ作曲「成り行き泥棒」(L'occasione fa il ladro)
原作:ウジェーヌ・スクリーブ
台本:ルイージ・プリヴィダーリ

歌劇全3幕、字幕付原語(フランス語)、ハイライト上演
ビゼー作曲「真珠とり」(Les Pêcheurs de perles)
台本:ウジェーヌ・コルモン/ミシェル・カレ

歌劇全4幕、字幕付原語(フランス語)、ハイライト上演
ビゼー作曲「カルメン」(Carmen)
台本:アンリ・メイヤック/リュドヴィク・アレヴィ

スタッフ

指揮 鏑木 蓉馬
ピアノ(成り行き泥棒) 中安 義雄
ピアノ(真珠とり/カルメン) 新井 薫
合唱(真珠とり/カルメン) フィオーレ合唱団
演出 喜多村 泰尚
衣裳 坂井田 操

キャスト

成り行き泥棒

ベレニーチェ 高階 ちひろ
ドン・アルベルト 浜田 翔
ドン・パルメニオーネ 若尾 隆太
エルネスティーナ 丸尾 有香
マルティーノ 平賀 僚太
ドン・エウゼビオ 喜多村 泰尚
アルベルトの召使/エウゼビオの家の召使 根岸 朋央

真珠とり

レイラ 西 正子
ナディール 野村 京右
ズルガ 山本 将生
ヌーラバット 平賀 僚太

カルメン

カルメン 西 正子
ホセ 野村 京右
エスカミーリョ 山本 将生
ズニガ 平賀 僚太
フラスキータ 高階 ちひろ
メルセデス 丸尾 有香
レメンダード 加護 友也

感想

頑張った若手と盛りだくさんな内容ーフィオーレ合唱団「成り行き泥棒」とオペラの魅力「真珠とり」、「カルメン」ハイライトを聴く。

 西正子が主宰する「フィオーレオペラ」の合唱団、「フィオーレ合唱団」はもちろんオペラの合唱団として活動しているようなのですが、今回はそのオペラを自分たちで企画してやってしまおうというもののようです。私自身はこれまで縁がなくてフィオーレオペラを聴いたことはなかったのですが、その合唱団がロッシーニの1幕物のファルサ「成り行き泥棒」全曲と「真珠とり」と「カルメン」のハイライトをやるというので、伺ってきました。会場は港区の台場区民ホールで、響きがデッドで音の飛びが今ひとつのホールです。

 「成り行き泥棒」は  ロッシーニの他の初期のファルサと同様に合唱がないオペラなので、自分たちが参加することのないオペラをどうして取り上げようと思ったかは謎ですが、若い実力派の見事なアンサンブルで、全体としてよくまとまっていたと思います。実は、最初の嵐のシーンは今一つかみ合わせがよくなく、声も飛んでこないので、割ともっさりとした感じでロッシーニの面白さを感じさせてくれなかったのですが、エルネスティーナが登場して空気を換えてくれました。

 エルネスティーナは丸尾有香。若手中心のこのメンバーの中では一番のベテランですが、声の飛び方が別格でした。丸尾が登場したのはドン・パルメニオーネの悪だくみを考えるアリアの後のレシタティーヴォからですが、彼女の歌で舞台の雰囲気が変わったように思います。その後の五重唱「この礼儀正しく優雅な者は」では歌手たちの先頭を引っ張る感じで積極的に歌い、それに若手歌手たちも触発されてどんどんノリがよくなっていった感じです。エルネスティーナは音楽的にはそれほど目立つ役ではないのですが、それでも丸尾の存在は大きかったと申し上げるべきなのでしょう。

 触発されて素晴らしく変わったのがベレニーチェの高階ちひろ。まだ日本オペラ振興会の研修所を卒業して2-3年の若手ですが、本当に溌溂といい雰囲気で歌いました。一番の聴かせどころは、後半のアリア「「あなたたちは花嫁を求め」だと思いますが、細かい台詞をきっちりこなしながらロッシーニ・クレッシェンドの魅力を聴かせたところは、将来に期待が持てる逸材であると思いました。

 浜田翔は、以前聴いた時よりは声に重みが出ている感じで、そういうところに軽さを見せられるともっといいのですが、高音が若干下がっていた印象があります。アリアなどは、高音が上に突き抜けてほしいところです。とはいえ、アンサンブルでの役割の果たし方は上手でした。

 若尾隆太のパルメニオーネはバッソ・ブッフォということになるのでしょうが、きっちり歌ってはいましたが、ブッフォとしての切れ味は今ひとつだったのかなという印象。もう少し、間抜けな悪役的雰囲気が欲しかったところです。その意味では、平賀僚太のマルティーノのほうが「お笑い」の雰囲気がでていました。アリア「私の主人が男であることは」は、本筋とは関係ないシャーベットアリアですが、雰囲気があってよかったです。

 とはいえ、全員がしっかり乗って、早口の切れ味もよく、歌はスポーツだなと思わせる公演でした。全体としていいアンサンブルでした。

 後半は「真珠とり」と「カルメン」のハイライト。真珠とりで歌われたのはテノールとバリトンの二重唱の定番の一つ、「神殿の奥深く」、ナディールの有名なアリア「耳に残るは君の歌声」、第一幕のフィナーレ、第2幕のフィナーレ、第3幕のレイラとズルガの二重唱の5曲。「カルメン」では、「ハバネラ」、「闘牛士の歌」、「第2幕のフィナーレ」、第4幕の幕切れのクライマックス「あんたね、俺だ」が歌われました、

 皆聴きどころで、いい音楽となればとても感動的な体験だったと思いますが、残念ながらそうはなりませんでした。そのブレーキは、西正子と野村京右の二名でした。西は重めのソプラノですが、声そのものが美声ではなく、ソプラノというには高音のつややかさに難があり、と言って低音を張れるわけでもない、要するに普通です。高音では割と金切り声になりやすいですし、音の厚みも今一つ。それでもレイラはソプラノの役ですからまだいいのですが、カルメンは本当に似合っていない。何といっても低音に厚みがないので、音楽がすごく薄っぺらになって、カルメンに期待される情熱的な色っぽさが出てこないのですね。一言、残念でした。

 野村京右はもっと残念。一番の聴かせどころである、「真珠とり」の二重唱も、アリアも全くうまくいっていませんでした。「真珠とり」の友情の二重唱は、「ドン・カルロ」の友情の二重唱同様、二人でどんどん盛り上がっていくところに魅力があるのですが、山本将生ともに割とおとなしめの歌で、友情の感動が感じられなかったのがまず残念。さらに野村は高音が全然うまくいっておらず、音程はいい加減かつ下がっているし、また開いた声になっており、音のふらつきも大きいと、正直申し上げれば舞台で歌えるようなレベルではありませんでした。「真珠とり」の聴かせどころである、ナディールのロマンツァの全然うまく行っておらず、残念でした。

 山本将生については、悪くはないのですが、と言って取り立てて目立つほどのものでもない。「闘牛士の歌」であれば、あの程度に歌える人はたくさんいると思います。

 というわけで、後半の「真珠とり」と「カルメン」、前半のメンバーが合唱のサポートにも入ってフォローはしていたのですが、主要役が残念で、いい感じではありませんでした。盛りだくさんの内容ではあったのですが、前半の「成り行き泥棒」だけでよかったな、というのが、正直なところです。

フィオーレ合唱団「成り行き泥棒」とオペラの魅力「真珠とり」、「カルメン」ハイライトを聴く

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鑑賞日:2025年1月31日

入場料:B席 P列22番 8000円

会場:調布市文化会館たづくりくすのきホール

主催:一般社団法人東京室内歌劇場
共催:調布市

新作オペラ・初演

歌劇全2幕、原語(日本語)上演
木下牧子作曲「陰陽師」
原作:夢枕 獏(「陰陽師」シリーズ)
台本:木下牧子

スタッフ

指揮 鈴木 恵里奈
オーケストラ アンサンブル・ノマド
コロス SATB各4人ずつ16人のメンバー
演出 久恒 秀典
所作・振付 立花 寶山
演技指導 月影 瞳
日本語歌唱指導 松井 康司
プロジェクションマッピング 荒井 雄貴
照明 山本 創太
衣裳 飯塚 直子
舞台監督 伊藤 潤

出演者

安倍 晴明 布施 雅也
源 博雅 又吉 秀樹
式神 かおる 別府 美沙子
首無し夫婦・妻 三橋 千鶴
首無し夫婦・夫 清水 健太郎
徳子 鈴木 麻由子
貴船神社の宮司 中川 郁太郎
藤原 為義 中村 祐哉

感想

木下牧子の老境-東京室内歌劇場「陰陽師」(新作・初演)を聴く。

 木下牧子は管弦楽で世に出た作曲家なのだそうですが、普通の人にとって彼女は声楽曲、ことに合唱曲の作曲家でしょう。中高大学の多くの合唱団、そして一般の市民合唱団において、彼女の作品は不動の人気を誇っていますし、歌われる機会もきわめて多いです。その特徴は美しいメロディと素直で分かりやすい和声であり、ある方に言わせると合唱曲の演歌なのだそうです。確かに、日本人の琴線に触れるものを持っています。

 ただ、彼女は本質は管弦楽作曲家なのだそうで、指向としてはオーケストラ付き声楽曲になるのでしょう。声楽付きのオーケストラ曲の代表がオペラなわけですが、オペラは作曲するのも大変で、上演を約束されないとなかなか書くのは難しい。彼女は、高橋英郎が率いたモーツァルト劇場の委嘱で、2003年に「 不思議の国のアリス」を作曲し、好評を持って迎えられ、この作品は時々再演もされますが、これまでオペラの作曲はその1曲だけで、その後の発表はありませんでした。

 ところが、東京室内歌劇場の代表理事である杉野正隆は、木下牧子のオペラ作曲にかかわる意欲を知り、東京室内歌劇場で上演することを前提に新作オペラの作曲を委嘱したそうです。この時、何を取り上げるかも作曲家に一任し、台本も作曲家に任せました。木下はオペラの題材としてふさわしいと考えていた夢枕獏の「陰陽師シリーズ」を取り上げ、その18冊あるシリーズから、魅力的な鬼がたくさん登場する「蟇」と能をベースにした「鉄輪」をモチーフにオペラに仕上げました。

 木下牧子は言います。「闇が闇として存在し、人も鬼も妖も共存していた幻想的でドラマティックなストーリー、主役二人をはじめ登場人物(鬼)の魅力的キャラクター、式神薫の誕生、百鬼夜行、首無し夫婦、徳子の心理描写など音楽にしたいシーン満載で、私にとって、これ以上オペラの題材として相応しい小説もないと思えました」と。

 これを読んで思ったのは、彼女の年齢です。木下牧子は合唱曲がすべて明るい曲調ではないのですが、どちらかといえば、明るい美しさを追求していたように思います。しかし木下もすでに前期高齢者であり、闇の魅力を音楽にしたくなったのだな、という風に思いました。確かにおどろおどろしい場面が続きます。特に後半の徳子は、女の暗い情念を丑の時参りで示す役柄でそのつらい雰囲気が特徴的でもあります。台本を自分で書いたということで、木下自身の思いが詰まっているのは間違いないところでしょう。

 また意図的なのでしょうが、音楽も雅楽を思わせる和的なもの。日本の音階が多用され、フルートは横笛を、そして効果的に入る打楽器が鼓や鉦を思わせます。しかし、さすがに木下牧子だけあって、その和的古典的なテイストの中、流れる音楽は幻想的でありながら、やはり和声は美しく、響きが濁らない特徴があります。幻想的な日本オペラといえば、「天守物語」や「袈裟と盛遠」が思い出されるところですが、内容のおどろおどろしさはともかくとして、響きの美は先達の諸作品よりも上なのではないかと感じました。「陰陽師」は日本オペラ史においても重要な作品になりそうな気がします。

 そういう作品を初演するということで演奏にも気合が入っていました。

 まずほめなければいけないのは博雅を歌った又吉秀樹でしょう。この博雅という役は又吉秀樹を想定して書いたのではないかと思うほどぴったりしていて、声も美しく伸びやか。全幕を通して存在感を示していました。

 晴明を歌った布施雅也もいい。声量と響きのつややかさで又吉には劣りますが、ソロの部分の美しさはとても見事。存在感の薄い感じが、いかにもあの世とこの世をつなぐ陰陽師という役どころにぴったりな感じがして見事でした。

 前半の華は式神かおる。かおる役は別府美沙子が勤めましたが、こちらも登場の場面のヴォカリーズが幻想的でコロスの合唱とともに美しく、聴き惚れました。

 歌っている内容はコミカルではないのですが、聴いているとコミカルなのが、首無し夫婦のデュエット。これも魅力的で、特に和音がしっかりハモっており、素敵でした。

 後半は徳子の独壇場。鈴木麻由子が女の情念を歌い上げて素晴らしかったと思います。

 あとは何と言ってもコロスがいい。合唱音楽の手練れだけあって、木下牧子の音楽は合唱曲としてもいい響きでハモるようにできており、若いプロ歌手で構成されたコロスたちの力量で、すごくきれいな響きが作られました。Bravi でした。

 鈴木恵里奈の指揮も丁寧で、アンサンブル・ノマドの演奏も素晴らしく、オーケストラ、ソリスト、コロスの一体感もあり、見事な初演になったものと思います。楽しみました。

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鑑賞日:2025年2月1日

入場料:B席 2F R1列12番 9600円

会場:東京文化会館大ホール

主催:公益財団法人日本オペラ振興会、公益社団法人日本演奏連盟
都民芸術フェスティバル主催:東京都、東京都歴史文化財団

藤原歌劇団90周年記念公演

歌劇全3幕、日本語/英語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」(FALSTAFF)
原作:ウィリアム・シェイクスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」・他
台本:アッリーゴ・ボーイト

スタッフ

指揮 時任 康文
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
ギター 秋田 勇魚
合唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 須藤 桂司
演出 岩田 達宗
美術 松生 紘子
衣裳 緒方 規矩子
照明 大島 祐夫
振付 古賀 豊
舞台監督 菅原 多敢弘

出演者

ファルスタッフ 上江 隼人
フォード 岡 明宏
フェントン 中井 亮一
アリーチェ 山口 佳子
ナンネッタ 光岡 暁恵
メグ・ページ 古澤 真紀子
クイックリー夫人 松原 広美
医師カイウス 所谷 直生
バルドルフォ 井出 司
ピストーラ 伊藤 貴之
ロビン 田川 ちか
ガーター亭主人 山内 政幸

感想

ファルスタッフはヴェルディの最高傑作である-藤原歌劇団90周年記念公演「ファルスタッフ」(初日)を聴く。。

 感想は2日目にまとめて記載しました。

藤原歌劇団90周年記念公演「ファルスタッフ」(初日)TOPに戻る

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鑑賞日:2025年2月2日

入場料:B席 3F 1列16番 9600円

会場:東京文化会館大ホール

主催:公益財団法人日本オペラ振興会、公益社団法人日本演奏連盟
都民芸術フェスティバル主催:東京都、東京都歴史文化財団

藤原歌劇団90周年記念公演

歌劇全3幕、日本語/英語字幕付原語(イタリア語)上演
ヴェルディ作曲「ファルスタッフ」(FALSTAFF)
原作:ウィリアム・シェイクスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」・他
台本:アッリーゴ・ボーイト

スタッフ

指揮 時任 康文
オーケストラ 東京フィルハーモニー交響楽団
ギター 秋田 勇魚
合唱 藤原歌劇団合唱部
合唱指揮 須藤 桂司
演出 岩田 達宗
美術 松生 紘子
衣裳 緒方 規矩子
照明 大島 祐夫
振付 古賀 豊
舞台監督 菅原 多敢弘

出演者

ファルスタッフ 押川 浩士
フォード 森口 賢二
フェントン 清水 徹太郎
アリーチェ 石上 朋美
ナンネッタ 米田 七海
メグ・ページ 北薗 彩佳
クイックリー夫人 佐藤 みほ
医師カイウス 及川 尚志
バルドルフォ 川崎 慎一郎
ピストーラ 小野寺 光
ロビン 田川 ちか
ガーター亭主人 山内 政幸

感想

個人プレーとチーム力と-新国立劇場「フィレンツェの悲劇」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く

 だから、演出は音楽の意味をできるだけ正確に伝えられるようにすべきだろうと思います。その点で、今回の岩田達宗の演出は疑問が残るところがいくつもあります。例えば、カイウス医師を見た目もピエロにしたこと。カイウスはピエロのように笑われる役ではありますが、歌わせ方も含めて、強調する必要があるのかな、というのが疑問。カイウスはおかまチックなザーマス男として登場し、なよなよ感を終始出す。これは多分「ファルスタッフ」というオペラに認められるコンメディア・デッラルテへのオマージュをドットーレのスタイルで強調したということなのだろうけれども、カイウスだけそうする意味が見いだせない。

 この作品の冒頭は、「ファルスタッフ、ファルスタッフ」と怒ったカイウスがガーター亭に乗り込んでくる場面ですが、私はここはカイウスの怒りをしっかり示す力強い歌のほうがいいと思う。ところが今回は奈よっとしたピエロが裏声のように入ってくる。これは初日の所谷直生も二日目の及川尚志もそうだったし、二人とももっと力強い声を持っているので、演出の指示でしょう。もちろんそれで音楽的な味わいが失われなければいいのですが、せっかくの第一声が詰まらなくなってしまっているので本末転倒と言うしかありません。

 演出に関してさらに言えば、今回は黙役の小姓のロビンとガーター亭主人が結構活躍します。普通、ロビンは一幕にちょっとだけ登場してファルスタッフから受け取った手紙をアリーチェとメグに手渡すだけなのですが、今回はロビンは終始ファルスタッフの影武者のように付き添い、踊りや演技でファルスタッフの心情を示します。それは一つのアイディアで納得できるのですが、普通目立たないガーター亭主人もしっかり目立つ。第三幕冒頭で、ガーター亭主人は突然松葉杖姿で登場します。この杖はバルドルフォによって蹴飛ばされ、主人は這ってそれを取りに行く、というシーンがあったのですが、それまでぴんぴんしていたはずのガーター亭主人が松葉づえ姿なのかが分からないし、またこの場面はテームズ川に投げ込まれたファルスタッフが不満を歌うモノローグなので、あまりガーター亭主人を目立たせる意味が私には分かりません。

 回り舞台で、ガーター亭とウィンザーの町を交互に見せる手法や、女たちを溌溂と見せるやり方はいいもので、全体としては分かりやすい演出ではあったのですが、「?」な部分も多く、ちょっと勇み足だったかな、と思う部分も多かったです。

 さてオペラ全体としてみたときは、一言でいえば個人技の初日、チームワークの2日目、と言うのが適切かもしれません。

 主役のファルスタッフ。初日が上江隼人、二日目が押川浩士が勤めましたが、二人の雰囲気が全然違っていて、それぞれに面白さがありました。例えるなら上江は「ボケ」的なファルスタッフ、押川は「突っ込み」的なファルスタッフと言ったらいいかもしれません。上江ファルスタッフは、クイックリー夫人がアリーチェとメグの偽手紙を持ってくるときの喜びの踊りが可愛らしい。同じことを押川ファルスタッフがやると、微妙にリズムに乗り切れておらず、やらされている感が強い。歌は、冒頭の名誉のモノローグから、第3幕冒頭の恨みのモノローグも上江はどこか可愛らしさがある。それに対して、押川ファルスタッフは騎士の威厳を保ったファルスタッフになっており、ストレートに押した感じがいいと思う。ファルスタッフとしてはどちらもあっていい。個人的には押川スタイルが好きですが、二人ともBravoでした。

 フォードは初日が岡明宏、二日目が森口賢二が勤めましたが、嫉妬深い夫を演じるという点では森口賢二がより似合っていた気がします。岡の歌いまわしは素直な感じで、一番の聴かせどころである第2幕の「夢かまことか」のアリアは伸びやかでいいんだけど、不安にさいなまれている表情の出方が今ひとつ甘いかな。一方森口賢二はそこはベテラン。きりきりとちょっと癖のある歌い方で、メリハリをつけて見せました。なお、フォードに関してはもう少し衣裳等で分かりやすくしてほしい。黒い僧服のような衣装で、アンサンブルでは全然視覚的に目立ってこない。フォードはアンサンブルでは内声を受け持つので、そこまで目立つ役ではないのかもしれないけれど、主要役なので。

 フェントンとナンネッタの恋人同士は初日の中井亮一と光岡暁恵コンビは円熟の闊達さと落着きを感じさせる歌でしたが、溌溂さにはやや乏しかった印象。二日目の清水徹太郎と米田七海は若々しさあふれるストレートさが魅力で、特に米田の上に伸びる硬質な声がよかったですし、清水の甘すぎないリリックな歌声もよかったと思います。この二人は若い方が演じるほうが似合っていますね。

 アリーチェは、初日が山口佳子、2日目は石上朋美が務めました。山口の歌はメリハリの利いたもので、女房達のリーダー格の雰囲気をしっかり出していて存在感がありました。一方の石上朋美は、美声ではあるのですが、個の主張をそこまでしていなかった印象があります。

 クイックリー夫人。こちらは初日が松原広美、2日目が佐藤みほでしたが、大げさな演技・歌唱がどちらもありましたが、低音をより響かせられる松原に存在感を強く感じました。

 そのほかの脇役陣も個性的なメンバーがそろった初日組と、相対的に目立たない2日目というのがあったと思うのですが、アンサンブルになると初日の個性的な歌声が裏目に出てしまった感がありました。

 第1幕のフィナーレは女たちのおしゃべりによる四重唱から始まり、そこに男の早口の五重唱が割り込み、フェントンとナンネッタとによる短い愛の二重唱を経て、前半の聴かせどころの九重唱になだれ込み、女たちの勝ち誇った歌で幕が下りるわけですが、ここは両日ともにあまりうまくいっていなかったというのが本当のところ。初日は男声の五重唱が入ってきたところからあまりうまくいっておらず、フェントンとナンネッタの重唱で立て直したものの、次の九重唱もずれてがちゃがちゃになっていました。これこそ、個性的な歌手が集まることの難しさなのでしょう。

 2日目はフィナーレの前半はアンサンブルがきっちりはまり、女声四重唱、男声五重唱とも良かったのですが、最後の九重唱は初日ほどではないにせよやはりかみ合っておらず、ここがきれいにはまると本当に見事なのにな、と思うとちょっと残念ではありました。この九重唱はリズムが男女間で異なり、合わせにくいことはその通りで、「ファルスタッフ」の一番大変なところではあるのでしょうが、であるからこそ、藤原歌劇団の底力を見せてほしかったと思うところです。

 アレグロアジタートで進み、ファルスタッフがテムズ川に放り込まれる2幕のフィナーレも2日目のほうがアンサンブルとしてはよりまとまっていた印象です。

 そして第3幕のフィナーレは13重唱によるフーガ。この13重唱は両組ともしっかり練習したのでしょう。どちらもいい感じでまとまっており、ヴェルディ最後の名作の掉尾を飾る見事な演奏になっていました。

 色々気になるところはありましたが、舞台はきれいでしたし、音楽的にも全体的には聴きごたえのあるもので、藤原歌劇団創立90周年の最後を飾るにふさわしい演奏だったと思います。

 ちなみに、藤原は創立80周年の時も最後は「ファルスタッフ」でした。100周年の時はどうするのでしょうね。  

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鑑賞日:2025年2月8日

入場料:C席 4F 2列39番 8415円

会場:新国立劇場オペラハウス

主催:新国立劇場

新国立劇場2024/2025年シーズンオペラ

歌劇全1幕、日本語/英語字幕付原語(ドイツ語)上演
ツェムリンスキー作曲「フィレンツェの悲劇」(Eine florentinische Tragödie)
原作:オスカー・ワイルド
台本:アレキサンダー・ツェムリンスキー

歌劇全1幕、日本語/英語字幕付原語(イタリア語)上演
プッチーニ作曲「ジャンニ・スキッキ」(Gianni Schicchi)
原作: ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇、第30歌に基づく
台本 ジョヴァッキーノ・フォルツァーノ

スタッフ

指揮 沼尻 竜典
オーケストラ 東京交響楽団
演出 粟國 淳
美術 横田 あつみ
衣裳 増田 恵美
照明 大島 祐夫
音楽ヘッドコーチ 城谷 正博
舞台監督 CIBITA斉藤 美穂

出演者

フィレンツェの悲劇

グイード・バルティ デヴィッド・ポロメイ
シモーネ トーマス・ヨハネス・マイヤー
ビアンカ ナンシー・ヴァイスバッハ

ジャンニ・スキッキ

ジャンニ・スキッキ ピエトロ・スパニョーリ
ラウレッタ 砂田 愛梨
ツィータ 与田 朝子
リヌッチョ 村上 公太
ゲラルド 青地 英幸
ネッラ 針生 美智子
ゲラルディーノ 網永 悠里
ベット・ディ・シーニャ 志村 文彦
シモーネ 河野 鉄平
マルコ 吉川 健一
チェスカ 中島 郁子
スピネッロッチョ先生 畠山 茂
アマンティオ・ディ・ニコーラオ 清水 宏樹
ピネッリーノ 大久保 惇史
グッチョ 水野 優
ブオーゾ 村上 幸央

感想

キャラが立つということ-新国立劇場「フィレンツェの悲劇」/「ジャンニ・スキッキ」を聴く

 「フィレンツェの悲劇」(1917年初演)と「ジャンニ・スキッキ」(1918年初演)、同じころ作曲されたという以外類似性があまりない2本だと思うのですが、新国立劇場音楽監督の大野和士の提案で組み合わせたという。確かにフィレンツェ繋がりではありますが、それ以外音楽的な類似性はありません。しかし、今回拝見していて思ったのは、どちらの作品も主人公がキャラ強めだということ。「フィレンツェの悲劇」のシモーネと「ジャンニ・スキッキ」の外題役。どちらも悪人で(もちろん蘇方向性は違いますが)、かなり役作りをしないと格好がつかないところがある。その意味で、今回のシモーネ役のトーマス・ヨハネス・マイヤーもジャンニ・スキッキ役のスパニョーリもよくやっていたのではないかと思います。

 マイヤーはワーグナー歌いとして著名で、新国立劇場でも「オランダ人」やハンス・ザックスで出演されていますが、今回の歌唱はワーグナー的ではなく、もっと繊細ないやらしさをもって歌っているように聴きました。粟國淳の演出はいわゆるえぐいものではなく(横田あつみの舞台美術は、建物が壊れて二つに割れてずれている、という夫婦間の気持ちのずれを建物の破壊で見せるという視覚的には刺さるものです)、心理劇的な側面、皮肉っぽい言い回しやエロスの狂気への転換といったものを見せたかったようで、その意味で、マイヤーのいやらしい皮肉っぽい歌い方は、演出家の方針に沿ったものなのでしょう。

 マイヤーの歌は、オーケストラが強奏すると、はっきり聴こえなくなったりもするのですが、皮肉っぽさの見せ方が上手いせいか、あまり気になりません。ある意味キャラの立ったいい役作りだったと思います。

 一方で、間男役のデヴィッド・ポロメイは美声だとは思うのですが、ちょっと安定感に欠ける歌唱。グルード・バルティは貴族でありながら、商人の妻を寝取る間男ですから、夫が現れたら逃げキャラにならざるを得ない。ここでテノールが素晴らしい声で、シモーネと丁々発止遣り合ったら芝居としては変なわけで、今回のポロメイ位の不安定さがあったほうが、夫に見つかった間男の不安を表現しているようで良かったのかもしれません。

 ビアンカ役のヴァイスバッハ。重要な役ですが、歌うところはあまりありません。しかし、最後の官能的に夫に「あんたがこんなに強かったとは知らなかったわ」というところのエロティックな表情はいいものでした。

 「フィレンツェの悲劇」は三人の心理的な襞をオペラチックではなく表現する作品ですから、今回の三人は、そこは上手くやっていたということなのでしょう。

 後半の「ジャンニ・スキッキ」。小さいオペラカンパニーもよく取り上げる作品ですが、日本人がジャンニ・スキッキを歌って格好がつくことって、あまりないような気がする。皆、上手に歌うけど、ジャンニ・スキッキに期待される灰汁の強さがなかなか足りない。私にとって一番良かった日本人ジャンニ・スキッキは牧野正人のものですが、牧野クラスにならないとなかなか難しい役柄なのでしょう。そういう格好がつくという観点から言えば、新国立劇場のこの舞台の初演時のカルロス・アルバレスが、人を食った演技・歌唱でとても似合っていた印象があります。今回のスパニョーリも悪くはないけれども、前回のアルバレスほどはキャラが立っていないのかな、というう風には思いました。

 ラウレッタを歌う砂田愛梨の評判がとてもいいのですが、「私のお父さん」は素晴らしいと思いました。声に密度があって、しかし、その声の幅がリリコの幅にしっかり収まっている感じ。上質の墨で縫って、その墨が黒光りしているようにも思いました。ただ、最後のリヌッチョとの二重唱が、高音が一瞬割れ気味になってしまったのが残念。

 それ以外のアンサンブルですが、与田朝子、青地英幸、中島郁子といったアンサンブルに定評のある方が揃っていて、日本人歌手のアンサンブル能力の高さを見せてました。しかし、今回はインフルエンザの流行のため、本来のキャストがが全員そろったのが4回公演の4回目が唯一というのことで、まだ全員の呼吸が完全に一致しているというところまではいっておらず、そこが整えばもっと攻めた演技・歌唱ができたのではないかという気がします。

 舞台は「フィレンツェの悲劇」とは打って変わって、大きな机の上を走り回る小人で、コミカルではあるのですが、遺言書を探し回るところなどは、もっと爆発的な方が多分面白くなるようにも思います。そういった色々なところで、攻め切れていない感じがあって、上手だし、いい舞台なのだけれどもなんとなく物足りなさも残ったな、というのが正直なところです。 

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