オペラ・ブッファを説明しようとすると、私自身良く分っていないことが多いのですが、先日Wikipediaを見ていたら、いくらなんでもこれは、という記述でした(下の左側)。明らかな誤りもあるし、本当にニューグローブオペラ辞典にこんなことが書いてあるのかしら。辞書といえども間違いを書く例ですね。そこで、もう少し整理して、まとめて見ました。私の手持ちの資料を駆使して纏めると右のようになるのですが、まだ誤解や誤りがあるかもしれません。ご指摘があれば修正します。よろしくお願いします。

オペラ・ブッファ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オペラ・ブッファOpera buffa)は、オペラの一形態。18世紀前半にナポリで発展し、その後ローマやイタリア北部でも広く知られるようになった。

歴史

オペラ発展の歴史の中で、オペラ・ブッファは、それまで主流であったオペラ・セリアのもつ様式的な特徴に対する反応として形成された。オペラ・ブッファは、いくぶんかは、オペラをより多くの人々が親しめるジャンルに変えることを目的としていた。オペラ・セリアが王侯や貴族のために作られた贅沢な娯楽であったのに対し、オペラ・ブッファは平民のために作られ、より身近な問題を取り扱うものであった。

滑稽な登場人物や状況(しばしば使用人が含まれる)は、コミック・オペラあるいはオペラ・ブッファが独立したジャンルとして現れてくる18世紀初頭までは、オペラ・セリアの一部分であった。当初、コミック・オペラはオペラ・セリアの幕間に行われる短い一幕ものの幕間劇として作られていた。こうした幕間劇は「インテルメッツォ」として知られ、18世紀後半に発展してゆく完成されたコミック・オペラの先駆となった。今日でも頻繁に上演され、この形式の素晴らしい実例を提供してくれるインテルメッツォ作品が、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ作曲の『奥様女中』である。

ペルゴレージ以外のオペラ・ブッファ初期の著名な作曲家にはニコラ・ログロッシーノ、バルダッサーレ・ガルッピ、アレッサンドロ・スカルラッティなどがおり、彼らはいずれもナポリやヴェネツィアを拠点として活動した。

人気を得ることを目的として

人気を得ることが作者たちの目的であったので、これらの「実験」(反対する形式主義者の作曲家たちによってこう呼ばれた)には、分かりやすい声楽の内包も含まれた。これは、厳格な形式を維持してラテン語やドイツ語に広まったグレゴリオ聖歌以来の伝統的な音楽が、決して一般の人々に理解しやすいものではなかったこととは対称的である。伝統的音楽が親しみやすいフランス語やイタリア語に広まらなかったため、その代わりにレチタティーヴォが厳格な体質をやぶることとなった。こうして聴衆は歌手の歌う言葉を理解できるようになり、音楽の向こうにある物語も理解可能なものとなった。これは、世俗的なテーマをもつ「非神聖化された」音楽と関係深い変化であり、「ただ娯楽のためだけの音楽」というコンセプトが受け入れられるようになったといえる。

間違いなく、オペラ・セリアが神や古代の英雄といった神話的要素を取り扱い、滑稽な場面は挿話的に用いられるのみであったのに対し、オペラ・ブッファはそういった滑稽な場面を主要な部分、時にはオペラそのものの前提として用いている。使用される音楽は民衆の方を向いたものとなってきており、一般の民衆が楽しむことの出来る主題や物語が何よりも適したものであった。オペラにおける滑稽な物語は、音楽を娯楽へと変える(当面は)最後の移行であった。

その他の重要な特徴は、オペラ・ブッファをオペラ・セリアと異ならしめるために用いられた。伝統的な形式のオペラ・セリアは三幕で構成され、上述の通り神話に基礎をおいた真面目な題材のみを取り扱い、高音域の声のみを用いた。つまり、バスやバリトンはオペラのどこにも用いられていなかったのである。ほとんどのオペラ・セリアは、カストラートを参加させることを前提として書かれていた。それらとは対称的に、オペラ・ブッファの基本的な形式は四幕であり、滑稽な場面や状況を題材とし、あらゆる声域が用いられた。このことによって、オペラ・ブッファの主要なキャラクターである「バッソ・ブッフォ」(basso buffo, 道化的バス)が生み出された。バッソ・ブッフォは低音域の男性歌手で、滑稽な場面の中心的役割を担う。彼の歌うアリアや独唱は極めて速いテンポをもち、滑稽さを演出するために音符間の跳躍が非常に多く用いられている。有名なバッソ・ブッフォのキャラクターとしては、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』に登場するレポレロが挙げられる。

いくつかのオペラ・ブッファ作品では、低層階級が話すような言語(しばしば方言)が用いられた。また、イタリアのコメディア・デラルテで用いられるようなカリカチュア(戯画化)も行われた。

オペラ・ブッファにおいては音楽の内容がより単純ひいては貧弱であり、長さや想像力に限りがあり、そのためオペラ・ブッファは高尚なジャンルに含まれない、と時に言われる。しかしながら、今日でも語り継がれる天才モーツァルトは機を逃すことなく名作『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』を生み出し、また多くの著名な作曲家たちがそれに続いたのである。そしてまた、この音楽分野においても器楽・声楽が発展し、後にはプッチーニの『トスカ』におけるバッソ・ブッフォのように、他の作品においても受け入れられるようになっていったことも忘れてはならない。

喜劇の形式はさまざまで、非常に幅広いものである。ロッシーニの『セビリアの理髪師』(1816年)が純粋に喜劇的な作品である一方、モーツァルトの『フィガロの結婚』(1786年)には劇的効果や悲哀感が加えられている。

オペラ・ブッファのジャンルは19世紀後半には衰退し、一般には1893年に発表されたヴェルディの『ファルスタッフ』が最後のオペラ・ブッファであると見なされている。

オペラ・ブッファの重要な様相の一つは、それが「音楽学校よりも」聴衆の注意を向けさせたことであり、そのことが手助けとなって大規模なオペラもまた、より受け入れられやすくするためにメロディを穏やかなものへと変えていった、という意見を述べる著作家もいる。また、オペラ・ブッファは、それ以前には変化させることができないと見なされていた厳格なルールを破る具体的な可能性の証明であったともいわれる。さらに、一部の評論家は、オペラ・ブッファの主要な勉強をした後、著名な主題の挿入(ビゼーの『カルメン』におけるコーラスや歌、チャイコフスキーの『イタリア奇想曲』におけるタランテラなど)から、形式主義からの脱却・日常生活の音楽への挿入などさまざまな実例・分野の音楽家の要求を想起するようになる。

外国においては、フランスの「百科全書派」(Encyclopédistes)はオペラ・ブッファを、当時用いられていた不可避の体制への明確な反応であり、作曲の自由の象徴となったと見なしている。

オペラ・ブッファを作曲した主な作曲家

本文に記載のある人物を除く。

  • ニコロ・ピッチンニ
  • パスクァーレ・アンフォッシ
  • ジョヴァンニ・パイジエッロ
  • ドメニコ・チマローザ
  • アントニオ・サリエリ
  • ビセンテ・マルティーン・イ・ソレル
  • エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ - 20世紀の作曲家であるが、オペラ・ブッファを思わせる作風を特徴とした。

出典

Opera buffa by Piero Weiss and Julian Budden, in 'The New Grove Dictionary of Opera', ed. Stanley Sadie (London, 1992) ISBN 0-333-73432-7

オペラ・ブッファ

出典: どくたーTの音文協奏曲

オペラ・ブッファOpera buffa)は、イタリアオペラの一つの様式。基本的に喜劇で、18世紀中ごろから19世紀の中ごろまでのほぼ100年間にわたって、作曲された。*

特徴

オペラ・ブッファは、クラシック音楽の時代背景から言えば、バロック時代後期から古典派を経て前期ロマン派の時代に概ね重なる。そのため、いくつかの約束事に従った形式的な特徴がある。オペラ・セリアと比較して纏めると以下のように整理される。

オペラ・ブッファ オペラ・セリア**
同時代、あるいは現世の卑近な人物を主人公とする喜劇 神話、あるいは英雄・歴史的人物を主人公とする英雄譚、あるいは悲劇
原則として二幕または三幕構成。四幕構成のものもあるが、多くの場合二幕に整理可能。なお、一幕ものの喜劇はファルサと呼ばれ、オペラ・ブッファとしては扱わないことが多い。 原則として三幕構成
三一致の法則**に従うのが原則。 三一致の法則に従うのが原則
ナンバーオペラである。レシタティーヴォ・セッコで物語を進めて、アリアや重唱を導きだし、登場人物の感情を訴える。重唱・合唱が多用される ナンバーオペラである。レシタティーヴォ・セッコで物語を進めて、アリアを導き出し、登場人物の感情を訴える。重唱・合唱はほとんど使用されないか、使用されても僅か。
登場人物のの数は様々で、その序列と歌唱の間に厳格な決まりは無い。主人公が最も多くのアリアを歌うとは限らない。 登場人物は、6-7人であり、登場の場やアリアの数・内容によって厳格に序列化される。アリアは各場の最後に配置され、アリアを歌い始める前に、それ以外の人物は原則として舞台上から退場し、アリアを歌った歌手も、次の場が始まる前に退場する。
低音歌手に重要な役を与える。概ね喜劇的な役柄が多い。いわゆるバッソ・ブッフォ。 カストラートに重要な役が与えられる場合が多い。主人公は高音歌手であり、低音歌手は類型的役柄への出演に留まる。
各幕の幕切れの音楽が、アンサンブル・フィナーレであることが多い 各幕の幕切れの音楽が、アリア・フィナーレである。

*オペラ・ブッファは、イタリア語台本に作曲された喜劇オペラ全般を指す場合がある。

**「三一致の法則」とは、「時の単一」「場の単一」「筋の単一」を言い、劇中の時間で1日のうちに(「時の単一」)、1つの場所で(「場の単一」)、1つの行為だけが完結する(「筋の一致」)という劇作上の制約をいう。

***ここでいうオペラセリアの特徴は、主にメタスタージオによって完成したオペラ・セリアの特徴である。19世紀に入ると、オペラ・セリアも従来のきまりを破った新しいセリアが作曲されるようになり、必ずしもこの表のルールに従わなくなる。ロッシーニは、古典的イタリアオペラの完成者と位置づけられるが、ロッシーニのオペラの構成は、ブッファもセリアも比較的似た構成になっている。

なお、オペラ・ブッファといえども形式的特徴は明確にあり、以上のような形式的特徴が崩れたものはたとえ喜劇的な作品であっても、オペラ・ブッファとは言わない。ナンバーオペラの形式から完全に外れた、ヴェルディの喜劇的オペラ「ファルスタッフ」は、たとえ喜劇であっても、オペラ・ブッファではない。

歴史

1.前史

ルネサンス期にギリシャ悲劇を復活させたいと願う人々によって誕生させられたオペラは、原則としてギリシャ・ローマの神話か歴史物語を題材とする劇であった。これらの「真面目な」オペラは、後にオペラ・セリアと呼ばれるようになる。

一方、イタリアでは喜劇の伝統もあり、民衆喜劇であるコンメーディア・デッラルテは、16世紀には確立していたといわれる。また、オペラが誕生した17世紀初頭には、コンメーディア・アルモーニカと呼ばれる音楽喜劇もしばしば上演されていた。

オペラの誕生は、1598年とされるが、1640年ころには、最初の喜劇オペラが作られる。即ち、ジューリオ・ロスピリオージ(1600-69)の台本にマッツォッキが作曲した『悩むものは希望を持て』Chi soffre speri)(1637)や、アントーニオ・マリーア・アッパティーニ(1609/10〜78頃)が作曲した『禍転じて福となる』Dal male il bene(1653)といった例である。

バロック中後期頃までは、喜劇的要素を含む混合様式でオペラが作られることが多かったが、いわゆるゼーノとメタスタージオによるオペラ改革によって、オペラ・セリアから喜劇的要素が取り除かれ、喜劇的なシーンは幕間劇として別に挿入されるようになった。

オペラ・セリアとの係わり合いで、一応の幕間劇(インテルメッゾ)として完成するのは18世紀の初めごろのようで、これらの最も古いものに、アルビノーニのピンピノーネ(1708、ヴェネツィア)、ドメニコ・スカルラッティのディリンディーナ(1715、ローマ)がある。ちなみに「ピンピノーネはアルビノーニのオペラアスタルトのインテルメッゾであり、ディリンディーナはスカルラッティのオペラアンブレートのインテルメッゾである。

ピンピノーネは、小間使い(ソプラノ)が、お金持ちのピンピノーネの下に女中として雇われ、旦那を口説いて遂には結婚するという話で、この話は、ハンブルグではテレマンのピンピノーネとなり、更にはペルゴレージの傑作インテルメッゾ『奥様女中』(1733)に繋がる。

一方、『ディリンディーナ』は、声楽の先生(男声)、と生徒(女声)との不倫話であり、この話もマルティーニ『ディリンディーナちゃん』(1737)に繋がる。

ピンピノーネ』はソプラノ(スーブレット)とバス(バッソ・ブッフォ)が出演者の喜劇であるが、これは、コンメーディア・デッラルテのコロンビーナとパンタローネの関係であり、オペラ・セリアには出演しない低音歌手と若手ソプラノの組み合わせである。

一方で、ナポリでは18世紀初頭よりナポリ方言による喜劇的オペラが隆盛を極めた。この先駆的作品は、ファッジョーリの『チッラ』(1707、楽譜喪失)であり、コンメーディア・ペル・ムジカと呼ばれた。この『チッラ』をもってオペラ・ブッファの嚆矢とする考え方もある。

コンメーディア・ペル・ムジカの作曲家としては、オレフィーチェ、ヴィンチ、レーオらがいる。

2.オペラ・ブッファの発展

ナポリのコンメーディア・ペル・ムジカとは独立して、ヴェネツィアでも喜劇の伝統が生まれた。それはほぼ1750年頃であり、それに尽力したのが劇作家カルロ・ゴルドーニ(1707-93)と作曲家バルダッサーレ・ガルッピ(1706-85)である。

ゴルドーニは、若いときコンメーディア・デッラルテの一座に係り、その即興喜劇を台本化して、喜劇オペラへの応用を考えたと言われる。その中で、ナポリ派の喜劇台本の煩雑な筋書きや因習を退け、より表現領域を拡大した。ゴルドーニは、この喜劇オペラをドランマ・ジョコーゾと呼んだ。ゴルドーニによるオペラ台本の改革は、ゼーノとメタスタージオによるオペラ・セリアの改革にも匹敵すると言われ、狭義のオペラ・ブッファは、ゴルドーニとガルッピの作品に始まる。

ガルッピの最初のオペラ・ブッファ『ブレンタの桃源郷』L'Arcadia in Brenta 》(1749)は、ゴルドーニとの最初の共同制作であり、これ以後ゴルドーニとガルッピは、数多くのオペラを創り出している。それらのオペラは非常に人気があり、1754年の『田舎の哲学者』Il filosofo di campagna 》はとりわけ成功を収めた。

ゴルドーニの台本にはナポリ派の作曲家(ナポリで音楽教育を受けた古典派時代の作曲家たちを指す。ピッチンニ、アンフォッシ、パイジェッロ、チマローザなど)たちも注目し、まずピッチンニが、『チェッキーナ、または良い娘』La Cecchina,ossia La buona figliuola》(1760)を作曲した。

その後、オペラ・ブッファは、サッキーニ、サリエリ、パイジェッロ、ハイドン、チマローザなどにより作曲される。

このオペラ・ブッファの一つの頂点を築いたのがモーツァルトである。モーツァルトはオーストリア人であるが、イタリア人オペラ作曲家の持っていたあらゆる良い点を学んで消化し、音楽による人間の性格付け、感情の描写に卓越した能力を示した。モーツァルトはいわゆるダ・ポンテ三部作(『フィガロの結婚』(1786)、『ドン・ジョヴァンニ』(1787)、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790))によって、オペラ・ブッファの可能性の極限を示した。この三部作は、どれもオペラ・ブッファの作劇法に従っているが、その味わいは三者三様である。まず、お話の面白さと多彩な音楽とで永遠の生命を宿していると思われる『フィガロの結婚』、ブッファの形式を借りながらも、なまじのオペラ・セリアよりもドラマティックで悪魔的な『ドン・ジョヴァンニ』、オペラ・ブッファのルールに徹底的に拘った古典美が素晴らしい『コジ・ファン・トゥッテ』、それぞれがオペラ・ブッファの可能性の頂点を示した。

4.オペラ・ブッファの終焉

1792年、チマローザが『秘密の結婚』を発表した後、オペラ・ブッファの名作は生まれてこなかったが、そこに現れたのがロッシーニである。ロッシーニは、『アルジェのイタリア女』(1813)、『セビリアの理髪師』(1816)、『チェネレントラ(1817)』など7つのオペラ・ブッファを作曲した。ロッシーニは、伝統的イタリアオペラ様式の完成者と目され、オペラ・セリア、オペラ・セミセリア、ファルサ、オペラ・ブッファの表現可能性の極限を示した。

ブッファに関しては比較的古典的なブッファの作劇法に近いが、主人公のスーブレットにそれまで主に用いられたレジェーロ・ソプラノではなくアルトを用いたこと、バッソ・ブッフォの主人公に対して、バッソ・カンタンテによって歌われる性格的な人物を対応させることでよりオペラの幅を広げた。また、伝統的なレシタティーヴォ・セッコからレシタティーヴォ・アコンパニャートに変わりはじめるのもロッシーニからである。

このような変化は、オペラの幅を広げるには役だったが、オペラ・ブッファの定義から外れてくる。ロッシーニの後を継ぐのがドニゼッティである。彼は、『愛の妙薬』(1832)で伝統的なブッファを書いた。この『愛の妙薬』こそが伝統的なイタリア・オペラ・ブッファのほぼ最後の作品である。ドニゼッティは、その後『ドン・パスクワーレ』(1843)という喜劇オペラを書いている。これもオペラ・ブッファではあるが、古典的な様式からの逸脱も多く、オペラ・ブッファの最後の作品と言われるのも意味の無いことではない。

オペラ・ブッファの主な作品

オペラ・ブッファは、数多くの作品が発表され、上演されたものと考えられるが、重要な作品は、それほど数があるわけではない。現在、世界の歌劇場でレパートリーとして上演されているのは10作品程度と思われる。以下に主要な作曲家と作品名を示す。

バルダッサーレ・ガルッピ(1706-85)

  • ブレンタの桃源郷L'Arcadia in Brenta 》(1749)(台本:ゴルドーニ)
  • 月の世界Il mondo della luna》(1750)(台本:ゴルドーニ)
  • 逆さまの世界Il mondo alla rovescia》(1750)(台本:ゴルドーニ)
  • 田舎の哲学者Il filosofo di campagna 》(1754)(台本:ゴルドーニ)

ニッコロ・ピッチンニ(1728-1800)

  • チェッキーナ、または良い娘La Cecchina,ossia La buona figliuola》(1760)(台本:ゴルドーニ)

ジュゼッペ・サルティ(1729-1802)

  • 漁夫の利Fra i due litiganti il terzo gode1782)(台本:ゴルドーニ)

アントーニオ・サッキーニ(1730-86)

  • 宮廷の百姓女La contadina in Corte 1765)(台本:タッシ)

フランツ・ヨゼフ・ハイドン(1732-1809)

  • 薬剤師Lo Speziale1768)(台本:ゴルドーニ)
  • 裏切られたまことL'infedelta delusa(1773)(台本:コルテッィリーニ)
  • 月の世界Il mondo della luna》(1777)(台本:ゴルドーニ)

ジョヴァンニ・パイジェルロ(1740-1816)

  • セビリアの理髪師Il Barbiere di Siviglia1782)(台本:ペトロッセリーニ)
  • 美しい水車小屋の娘L'amor contrastato o sia La molinarella1788)(台本:パロンバ)
  • ニーナ、または恋に狂った娘Nina, o sia La pazza per amore (1789)(台本:カスティ)

ドメニコ・チマローザ(1749-1801

  • 空想のアルミーダArmida immaginaria(1777)(台本:パロンバ)
  • 秘密の結婚Il Matrimonio Segreto(1792)(台本:ベルターティ)

アントニオ・サリエリ(1750-1825

  • 宿の女主人La locandiera1773)(台本:ゴルドーニ)
  • ファルスタッフFalstaff,o Sia le tre burle(1799)(台本:デ・フランチェスキ)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91

  • 見てくれの馬鹿娘 K.51La finta semplice》(1769)(台本:コルテリーニ)
  • 偽の女庭師 K.196La Finta Giardiniera(1775)(台本:ペトロセッリーニ)
  • フィガロの結婚 K.492Le Nozze di Figaro(1786)(台本:ダ・ポンテ)
  • ドン・ジョヴァンニ K.527Don Giovanni(1787)(台本:ダ・ポンテ)
  • コジ・ファン・トゥッテ K.588Cosi fan tutte(1790)(台本:ダ・ポンテ)

ヴァレンティーノ・フィオラヴァンティ(1764-1837)

  • 村の女歌手Le cantatrici villane(1799)(台本:パロンバ)

ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868

  • ひどい誤解L'Equivoco stravagante(1810)(台本:ガスバッリ)
  • 試金石La pietra del paragone'(1812)(台本:ロマネッリ)
  • アルジェのイタリア女L'italiana in Algeri(1813)(台本:アネッリ)
  • イタリアのトルコ人Il turco in Italia(1814)(台本:ロマーニ)
  • セビリアの理髪師Il Barbiere di Siviglia(1816)(台本:ステルビーニ)
  • 新聞La Gazzeta(1816)(台本:パロンバ)
  • チェネレントラLa Cenerentola(1817)(台本:フェレッティ)

ガエタノ・ドニゼッティ(1797-1848

  • 当惑した家庭教師L'ajo nell'imbarazzo(1824)(台本:フェレッティ)
  • 劇場的都合不都合Le convenienze ed inconvenienze teatrali(1827、1831)(台本:ドニゼッティ)
  • 愛の妙薬L'elisir d'amore(1832)(台本:ドニゼッティ)
  • ドン・パスクァーレDon Pasquale(1842)(台本:ルッフィーニ&ドニゼッティ)
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