どくたーTの思い出の名演奏

「語り草」という言葉があります。辞書には、「話の種、話題」とそっけなく書いてありましたが、勿論これでは説明不足。詳しく言えば、「過去のある特定の素晴らしい事象を、懐かしがって、話題として取り上げること」といったところでしょうか。
 私がコンサートゴーアーになって、15年以上が過ぎました。その間に通ったコンサート、オペラは200回を優に超えます。勿論玉石混交、どうしようもないコンサートに行った経験もあります。でも、背中がぞくぞくして震え、思わず涙がこぼれるような名演奏も数多く経験しています。そう行った思い出の名演奏をノスタルジックに紹介して行きます。

目次

藤原歌劇団公演 ロッシーニ作曲「ラ・チェネレントーラ」 1991年2月14日
宮城フィルハーモニー管弦楽団第39回定期演奏会 1985年7月16日
藤原歌劇団公演 ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」 1995年2月8日
NHK交響楽団第1097回定期演奏会 1989年12月2日
ロイヤルオペラハウス公演 ヴェルディ作曲「オテロ」1990年1月6日
NHK交響楽団第1133回定期演奏会 1991年2月9日
ロイヤルオペラハウス公演 ロッシーニ作曲「ラ・チェネレントーラ」 1990年4月24日
NHK交響楽団第1352回定期演奏会 1998年5月9日
1988年ミラノスカラ座日本公演 ヴェルディ作曲「ナブッコ」 1988年9月4日
NHK交響楽団第1245回定期演奏会 1994年11月11日
1994年ウィーン国立歌劇場日本公演 1994年10月15日 


藤原歌劇団公演
ロッシーニ作曲「ラ・チェネレントーラ」
オペラ2幕、字幕付原語上演
会場 東京文化会館大ホール

指揮:アントネッロ・アッレマンディ  管弦楽:新星日本交響楽団  チェンバロ:岩部能理子
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢  字幕:松本重孝
演出:マリオ・コッラーディ  美術・衣装 パオロ・マイオラーノ

出演者

アンジェリーナ:ルチア・ヴァンレンティーニ=テッラーニ(MS)
ドン・ラミーロ:五郎部俊朗(T)
ドン・マニーフィコ:ドメニコ・トゥリマルキ(Bs-Br)
ダンディーニ:小嶋健二(Br)
アリドーロ:岡山広幸(Bs)
クロリンダ:本宮寛子(S)
ティースベ:イリーナ・ロミシェフスカヤ(MS)

観劇日:1991年2月14日

感想
 
ヴァンレンティーニ=テッラーニは、ロッシーニ歌いとして一世を風靡した人です。特にアンジェリーナはデビューの役でそれ以降沢山歌っているというんですから。そりゃあよかったですと言いたいです。でもその晩は、絶好調とはいい難い演奏でした。勿論それなりにまとめ、聴かせどころは聴かせていましたが。でも私は、その後バルツァの歌うアンジェリーナを聴いているので、ヴァンレンティーニ=テッラーニの評価はあまり高くないです。

 で、何がよかったかといえば、ドン・ラミーロを歌った五郎部俊朗です。最初の予定では、ダルマシオ・ゴンザレスがこの役でアナウンスされていた。ゴンザレスは、ロッシーニルネサンスの立役者の一人で、ヴァンレンティーニ=テッラーニと組んで歌うというのですから、オペラフリークなりかけのの青年が見逃すはずがありません。期待して行きました。そしたら突然のキャンセル。もう理由は忘れました。で、五郎部なんていう無名の歌手に代わったわけです。期待をせずに聴きました。しかし、あにはからんや、この方が非常によくお歌いになる.代役の日本人がこんなにうまいなんて、驚きと感動で一杯でした。

 まず、声が軽い。高音が伸びる。アジリダをすっきりとこなす。ほとんど完璧じゃなっかたのではないでしょうか。正に、空を駆ける天馬といった風でした。私は、ロッシーニ・テノールとしてこの日の五郎部さん以上の方を聴いたことがありません。マッテウッティなんかも後に聴きましたが、この日の五郎部さんと比較したら足元にも及ばない。本当に素敵でした。五郎部さん本人にとっても、多分この日は格別の出来だったに違いありません。私は、その後何回か五郎部さんの歌唱を聴く機会を持ちましたが、いつも上手だな、と思いながらも、このドン・ラミーロ以上の名演を聴くことは未だありません。

 それ以外の印象はあまり覚えていません。なにせ、10年近く前のことです。クロリンダ役の本宮寛子さんが、ベテランらしくうまく演じ、歌っていたように思いますが。逆に五郎部さんの歌唱を今日までくっきりと覚えているのですから、本当に素敵だったのだろうと思います。

このページのTOPに戻る


宮城フィルハーモニー管弦楽団第39回定期演奏会

会場:宮城県民会館
日時:1985年7月16日(火)18:30

指揮:小林研一郎
ヴァイオリン独奏:和波 孝禧

曲目

ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68

感想
 
1985年というと、私はまだ大学院の学生で、コンサートゴーアーになって間もない頃です。その当時は実験で忙しく、実験の合間を縫ってコンサート会場に駆けつけるのがいつものことでした。それから15年、私は外国も含め数多くのオーケストラの演奏会を聴いてまいりました。通算200回を超えるでしょう。それだけのコンサート経験の中で私のNo.1は、この宮フィル(現在の仙台フィル)の第39回定期です。

 オベロンからしていつもの宮フィルとは違っていました。モーツァルトは、和波さんのヴァイオリンが繊細で美しく、モーツァルトのたおやかさと和波さんのリリカルな表現がよくマッチして、楽しめました。しかし、この晩の白眉はブラームスにつきます。類稀なる名演。指揮者は炎のコバケン。指揮者の熱が、オーケストラの団員の一人一人に映り、その迫力たるや、当日現場にいたすべての人をねじ伏せました。緩徐楽章の弦楽器がざらついていたとか、枝葉末節の批判が、翌日の新聞に載っておりましたが、そんな技術的な問題なんか吹き飛ばすような熱演でした。

 演奏終了後はブラボーの嵐。私は、滅多な事でブラボーと叫ぶ事はないのですが、オケの演奏会では唯一叫ばしていただきました。オーケストラの定期演奏会では普通アンコール曲は用意しません。このときもそうでした。しかしながら、あまりにアンコールの拍手が多かったので、ブラ1の第4楽章のフィナーレを再度演奏しました。恐らく、指揮者もオケのメンバーもよくやったという満足感があったのだろうと思います。

 当時の宮フィルは、技術的にはまだまだ未熟だったのだろうと思います。しかし、音楽に対するひたむきな気持ちや、指揮者とオケメンバーとのベクトルが一致する事により、本来の力以上のものがでるという好例が、この演奏会だったのだろうと思います。

このページのTOPに戻る


藤原歌劇団公演
ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」
オペラ2幕、字幕付原語上演
会場 東京文化会館大ホール

指揮:アントン・グアダーニョ  管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団  バレエ:東京シティ・バレエ団
合唱:藤原歌劇団合唱部  合唱指揮:及川 貢  字幕:松本重孝
演出:アントネッロ・マダウ・ディアツ  美術:川口直次  衣装:八重田喜美子

出演者

アディーナ:高橋薫子(S)
ネモリーノ:ピエトロ・バッロ(T)
ドゥルカマーラ:ジュゼッペ・タッディ(Br)
ベルコーレ:牧野正人(Br)
ジャンネッタ:家田紀子(S)

観劇日:1995年2月8日

感想
 
まず惹かれた名前がタッディでした。タッディといえば、第1回イタリアオペラで来日した大歌手で、カラヤンの振る「ファルスタッフ」のCDのタイトルロールを歌っている人だ、という知識がありました。このCDは、音楽評論家の多くがファルスタッフの代表CDの一つにあげる名盤です。かなりお年の筈ですが(このとき実に78歳)、是非ベテランの歌唱を聴いてみたいという気持ちがありました。

 タッディの歌唱に関して云えば、さすがにお歳は隠せない、というのが妥当でしょう。しかし、長年の経験と卓越した演技力はさすがに見事なもので、ドゥルカマーラのインチキだけどやさしい感じを上手に歌って演じており、ブッフォの教科書のようでした。私は、このタッディを聴いただけで、この公演を聴きに来た価値があると思っています。

 そのうえ素晴らしかったのは、タイトルロールを歌った高橋薫子でした。もう抜群でした。高橋の歌唱は「ルチア」で聴いていました。ルチアの時の印象は決して悪いものではありませんが、まあ有体にいえば、今思い出せるような特徴のある歌ではなかったと思います。しかし、この晩は違いました。とってもコケティッシュで、見た目も華やかで、ネモリーノでなくとも恋するのはさもありなん、という感じのアディーナでした。歌もよかった。「冷たいイゾルデ姫は」から魅了させられました。正にブラヴァでした。高橋さんの声質は、ベルカントによくあった一寸軽めのソプラノ・リリコで、かつ軽めにかつしっかりと歌っており、その結果としてアデーナのおきゃんな性格がよく示されたのではないか思います。

 バッロのネモリーノはそれほど悪くなかったのかもしれませんが、タッディと高橋さんに挟まれて印象薄し。

 カーテンコールで上気した高橋さんがタッディにものすごく祝福されているのを見て、聴けてよかった、とつくづく思いました。

 これ以来、私は高橋さんのファンなのですが、最近高橋さんのHPを見つけてしまいました。とりあえず飛べるようにしてあります。興味のある方はどうぞ。

このページのTOPに戻る


NHK交響楽団第1097回定期演奏会

会場:NHKホール
日時:1989年12月2日(土)14:15

指揮:若杉 弘
ピアノ独奏:ワルター・クリーン

曲目

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)

感想
 
この演奏会は、2曲ともよい演奏だったという覚えはあるのですが、若杉がブルックナーをどの様に演奏したかという点に関しては、今や全く記憶がありません。覚えているのはモーツァルトの素晴らしさのみです。

 ソリストはワルター・クリーンでした。クリーンは、1928年生まれのオーストリアのピアニストで、N響にはしばしば客演していました。1991年1月から3月にかけては、「ピアノでモーツァルトを」というNHK教育放送の番組の講師として出演し、モーツァルトのピアノソナタの演奏法を指導しておりましたので、ご存知の方も多いかもしれません。しかし、レコードピアニストとしてはあまり有名ではありません。室内楽の一員や伴奏ピアニストとしてならいざ知らず、ソリストとしてメジャーレーベルに録音経験はあるのかしら?

 曲がまた難曲です。モーツァルトの最晩年の傑作のひとつですが、書かれている音符は平明で、とりあえずそこそこの演奏技量があれば誰でも弾けそうな曲です。しかし、曲の後ろに潜む諦念と新たな希望へのかすかな憧れを十全に示そうとすれば、曲の解釈の妥当性と、それを演奏として聴き手に届けるだけの技量が求められます。

 クリーンはそのバランスが絶妙だったと思います。ペダルの使用を最小限にしてクリアな音色を求めていましたが、それがあの傷つきやすい緩徐楽章の情感をストレートに伝えてきましたし、また第3楽章の歌をしみじみと伝えていました。「ピアノでモーツァルトを」のなかで、クリーンは、歌うことの重要性を説いていました。ピアノの練習でも「歌って!、歌って!、いつも歌うことと呼吸することを忘れないで下さい!」と言ってます。またさらに、「私達は、いったい何を、どのような響きをモーツァルトが望んでいたかを、いつも心に入れておく必要があります。」とも言っていました。このモーツァルトの演奏法に関するクリーンの考え方を、この演奏会ではまるでお手本のように示して見せ、聴き手に静かではあるが深い感動を与えてくれました。正に畢生の名演とも言うべき演奏でした。N響の伴奏も、クリーンの演奏を引き立てるバランスで行われていたわけですから、若杉さんのバランス感覚も誉められるべきでしょう。

 ワルター・クリーンは1991年2月9日、「ピアノでモーツァルトを」の放映中に肝臓癌のためウィーンで死去しました。89年12月のN響での演奏が、最後の協奏曲演奏だったそうです(ただし未確認)。N響の演奏の時期、彼は自分の病気を知っていたかどうかは知るところではありませんが、あとから思えば、モーツァルトの最晩年の曲をウィーンのピアニストの最晩年に弾かれた事が、あのような名演に結びついたのではないかと、因縁ばなしめいてはいますが、そう思ってしまうのです。

このページのTOPに戻る


ロイヤルオペラハウス(コヴェントガーデン)公演
ヴェルディ作曲「オテロ」
オペラ4幕、英語字幕付原語上演
会場 ロイヤルオペラハウス(コヴェントガーデン、ロンドン)

指揮:カルロス・クライバー  管弦楽:The Orchestra of the Royal Opera House  
合唱:The Royal Opera Chorus  合唱指揮:ロビン・スタレトン  
演出:エリヤー・モシンスキー  美術:ティモシー・オブライアン  衣装:ペーター・ホール  照明:ロバート・ブリアン

出演者

オテロ:プラシド・ドミンゴ(T)
デズデモナ:カーティア・リッチャレッリ(S)
イアーゴ:フスティーノ・ディアス(Br)
カッシオ:ロビン・レガット(T)
エミリア:アン・メーソン(MS)
ロドヴィーコ:ジュウィン・ホーウェル(Bs)
モンターノ:ジェフリー・モーゼス(Bs)
ロデリーゴ:クリストファー・ジレット(T)
伝令:ブルーノ・カプローニ(Bs)

観劇日:1990年1月6日

感想
 
この年末年始、私は初めての海外旅行をオペラツアーという形で実現しました。まず、ウィーンに飛び、ウィーンフィルのジルベスターコンサートを聴き、年頭は、こうもり、アイーダ、セヴィリアの理髪師、ホフマン物語の4連荘。次いでロンドンで、魔弾の射手、最後が6日のオテロでした。このツアーの最大の呼び物は、クライバーの振るオテッロでした。正規の入場料はいくらだったか知りませんが、私は、旅行社にこの切符代だけで10万円以上支払ったような気がします。人気が高くて正規にツアー全員分の切符を入手することが出来ないので、色々なルートを使って揃えるので、どうしても高くなるのだというのが、旅行会社の説明でした。

 しかし、これは本当に聴きものでした。無理して聴いた甲斐がありました。オテロ、デズデモーナ、イアーゴの3人は、あのゼッフィレッリが演出したオペラ映画「オテロ」と一緒です。私は、このオペラ映画のLDをこのツアーの事前勉強のために購入し、何回か見ています。このLDは、オテロの筋を理解するためには適当だし、ドミンゴやリッチャレッリの歌も決して悪くはないのですが、私はイマイチはまれませんでした。しかし実演は、全く違いました。

 まず、指揮者が違います。指揮者は、マゼールではなくクライバーです。クライバーとマゼールとでは指揮者としての品格が違います。クライバーが横綱ならば、マゼールはいいとこ前頭筆頭というところでしょう。クライバーが振ると、オテロの音楽の緊密さが、否応無しに、それも快く入っていくのです。オテロが何故、ヴェルディの最高傑作に数えられるかという点も直感的に理解させられます。マゼールではとてもその域ではありません。オケのレスポンスもまたよかった。その前日、コリン・ディヴィスが魔弾の射手を振っていたのですが、オーケストラは結構ボロボロで、明日は大丈夫かななどと私は思っていました。しかし、指揮者が違うとこう迄違うのか、と言いたくなるほど、オーケストラの演奏が素晴らしかった。オケの整合性がよく、いきいきとした推進力で曲がどんどん進む、という感じでした。クライバーが素晴らしい指揮者だということは、CD等で分かっていたつもりでした。実演を聴くと、CDでは分からないプラスαが見えてきたような気が致しました。正に天才なのでしょう。

 歌手で一番よかったのは、文句なくリッチャレッリ。非常に安定した歌唱でかつ巧い。この日は、全体を通して穴がなく、その上決めるところはぴしっと決めるので、聴いていて気持ちがよい。「柳の歌」なんて、思わず涙が出るほどすばらしかった。持って生まれた美貌も相俟って演技もよく、まさにデズデモーナがあたり役という感じがしました。ドミンゴも決して悪くはなかった。第一幕は、必ずしも最高の出来ではなかったが、徐々に調子を上げ、クライマックスでは、さすがドミンゴと大向こうから声がかかりそうな歌唱で、よかったです。ディアスのヤーゴも非常によい出来で、主役3人の緊密な歌唱は、曲の緊張感を高めてゆくのに効果的でした。

 それでもこのオペラの最大の功績者は、文句なくクライバー。本物の力を嫌というほど見せつけられました。

このページのTOPに戻る


NHK交響楽団第1133回定期演奏会 

会場:NHKホール
日時:1991年2月9日(土)14:15

指揮:広上 淳一

曲目

和田薫  オーケストラのための3つの断章

外山雄三  ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン独奏 加藤 知子

マーラー  交響曲第4番ト長調  ソプラノ独唱 三縄みどり

感想
 
2000年の夏、N響アワーを見ておりましたら、N響の現役のメンバーが何人か登場して、スタジオで室内楽を演奏するとともに、楽屋話をして行きました。ごらんになった方も多いと思います。その中で、ヴィオラの井野辺大輔さんが、自分にとって忘れられない演奏会に広上さんの振ったマーラーの4番を挙げていました。この演奏は確かに素晴らしい演奏でした。

 最近の日本の若手指揮者は世界的に注目を集めている方が多いわけですが、その中でも群を抜いた才能が広上さんです。実をいうと私は広上淳一さんの演奏会を2回しか聴いた事が無いのですが、その2回とも確実に私の心を揺すぶる演奏をしてくれました。他の若手日本人指揮者の演奏もそれなりに聴いていると思うのですが、広上さんほどの感動を与えてくれた指揮者は残念ながらいませんでした。それなりに上手で迫力もあるのですが、こちらの心を揺さぶらないのです。

 この演奏会は全く期待しないで行きました。その時は広上さんの名前も知りませんでした。しかし、聴いて非常に感心しました。オーケストラのための3つの断章は新作でしたし、外山雄三のヴァイオリン協奏曲も決してよく知られた曲ではないのですが、堂々とした演奏だったと思います。指揮者の身体がよく動き、まるで指揮台の上で踊っているようでしたが、その踊りが音楽を軽薄にしないところが凄いと思いました。

 一番よかったのはマーラーでした。褒めては見たものの前2者は聴きなれた曲では全く無いので、あの演奏でよかったのかどうか、判定しようが無いのですが、マーラーは間違いなく名演でした。マーラーの4番に限ってみれば、私の聴いた最上の演奏でした。何がよかったかというと、細かい表情づけが自然で、曲の盛り上げ方に説得性がある、ということです。言いかえるならば、聴かせ所の作り方を本能的に知っているということかもしれません。だまされないぞ、と身構えても、思わず乗せられてしまう、そんな演奏でした。

 一種のマジックかもしれません。しかし、あのマーラーのように快適に心のひだに入ってくるならば、マジック大歓迎。


ロイヤルオペラハウス(コヴェントガーデン)公演
ロッシーニ作曲「ラ・チェネレントーラ」
オペラ2幕、英語字幕付原語上演
会場 ロイヤルオペラハウス(コヴェントガーデン、ロンドン)
日時 1990年4月24日

指揮:カリオ・リッツィ 管弦楽:The Orchestra of the Royal Opera House  
合唱:The Royal Opera Chorus  合唱指揮:ロビン・スタレトン  
演出:アンドレアス・ホモキ  美術:マウロ・パガノ  照明:ハンス・トゥエルステード

出演者

ドン・ラミロ  ディオン・ファン・デア・ウォルト
ダンディーニ  フランチェス・レ・ルー
ドン・マニフィコ  クラウディオ・ディスデリ
クロリンダ  ダニエラ・ロジャーロ
ティースベ  エイリアン・ジェームス
アンジェリーナ  アグネス・バルツァ
アリドーロ  ドナルド・マックスウェル

感想
 
1990年は、外国づいていた年で、1月にはプライベートでヨーロッパに出かけたのに続いて、4月には仕事でまたヨーロッパに出かける事になりました。丁度ロンドンで時間が取れましたので、飛び込みでバルツァの歌うチェネレントーラを聴きに行きました。Stalls Circle C20という席で55ポンドでした。当時の為替レートからすると約20,000円位。何も事前調査なしで行ったのですが、このプロダクションはザルツブルグ音楽祭でミヒャエル・ハンペが制作したものをコヴェントガーデンに移したものと云うもので、私が聴いた当日が新演出のプレミエ。運がよかったというしかありません。

 指揮者のリッツィは当時日本でもようやく名前が知られて来たイタリアものに強い若手指揮者で、全体をよくまとめて中々の力量を見せてくれたと思います。あと微かな記憶に残っているのは、ブッフォ役のディスデリさんです。コミカルな歌唱で大いに舞台を盛り上げていました。しかし、それだけで思い出の名演に足るとはとても言えません。やはり、本当の大立者はバルツァでした。

 このときのバルツァのうたは要するに肉食民族の歌でした。どこまでも脂がのっていて艶やか。最初から絶好調でした。メリハリが利いていて余裕がある。第ニ幕のアンジェリーナのアリア「悲しみと涙に生まれ育ち」の素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものがありました。脊髄がぶるぶると震えました。プリミティブなエクスタシーを感じました。耳で得られる感動、頭で得られる感動は何度も経験があります。アンサンブルのきれいさとか、精妙にコントロールされたアリアとかですね。それはそれで非常にいいことな訳ですが、声それ自身の力が素晴らしいと、耳や頭ではなくもっと根源的なものを揺り動かすのだと言うことを知りました。まだ大してオペラ経験がある時期ではなかったので、一流歌手の歌とはこういうものなのだ、とも思いました。実はこのような快感は、滅多なことで得られることはなく、その後実演で接したバルツァの歌唱でも得ることは出来ませんでしたし、その他でもなかったように思います。私の次の経験は結局2000年のウィーン国立歌劇場の「シャモニーのリンダ」におけるグルヴェローヴァの歌唱まで待たねばなりませんでした。

 終演後楽屋口でサインを頂きました。バルツァ、リッツィ、クラウディオ・ディスデリ、エイリアン・ジェームスです。このサインの入ったプログラムは、私の数少ないお宝です。


NHK交響楽団第1352回定期演奏会 

会場:NHKホール
日時:1998年5月9日(土)

指揮:アンドレ・プレヴィン

曲目 オール モーツァルトプログラム

歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492

ディヴェルティメント ヘ長調 K.138

ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491

交響曲第39番 変ホ長調 K.543

感想
 
N響のメンバーたちに一番人気がある指揮者がプレヴィンであるという話を聞いたことがあります。その理由は色々あるのでしょうが、一つには音楽の作り方がとても自然だ、と云うことだろうと思います。

 私のプレヴィンファン歴は割りと古く、1970年代前半からだと思います。自分のお小遣いで最初に買ったクラシックのLPが、プレヴィン指揮のチャイコフスキーバレエ音楽「くるみわり人形」(全曲)で、そのエレガントな演奏に惹かれて以来です。そのころ既にプレヴィンはスター指揮者の一人でした。当時の奥さんは女優のミア・ファーローで、スター指揮者と性格派女優との組み合わせに憧れを感じたことを覚えています。しかし、私がファンになってからの来日はしばらく無く、88年のロサンジェルス・フィルを率いての来日公演が、彼の指揮の実際を見た最初の経験です。この時のプログラムは、ブラームス三番、コープランドのクラリネット協奏曲、ダフニスとクロエ第二組曲と云うものでしたが、正直なところ、あまり感心出来ませんでした。それで、私のプレヴィン熱は少し下がったのですが、N響を客演するようになり、また熱が上がった様です。

 95年のオール・モーツァルトプログラムがまず素敵でした。ト短調40番を主体とするプログラムでしたが、小編成のオーケストラから精妙でかつ艶やかな音を引き出していたのです。この時の評判がよかったことから、98年再度N響の指揮台に登りました。98年のプレヴィンの演奏はどれも出色の出来でしたが、とくに、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲14番の弦楽合奏版の演奏と、ここに取り上げるオールモーツァルトプログラムは素晴らしかった。後者は、私がこれまで聴いた全てのN響の演奏の中でも一、二を争うような名演だったと思います。

 とても情緒的な表現で、わかってもらえるかどうか心配ですが、精妙にしておおらか、闊達で自在な演奏でした。フィガロの結婚のスピード感、デェヴェルティメントの愉悦、どちらも素敵でした。しかし、本当に凄かったのはハ短調のピアノ協奏曲です。プレヴィンの弾き振りでした。プレヴィンはジャズトリオでピアノパートを受け持ち、室内楽でもピアノパートを受け持つほどのピアノの力量をもってはいますが、有体に云えば、ピアニストとしての腕はそう大したことはないと思っていました。また、彼はハ短調のピアノ協奏曲をすでに録音しており、そのCDを聴いたことがありますが、細かい表現のニュアンスなどは、ブレンデルや内田光子の敵ではありません。しかし、当日の演奏はなんとも言えない素晴らしい味がありました。デモーニッシュな情熱を秘めた曲ですが、その情熱を細かく制御しながら、艶やかな美音でおおらかに演奏しました。ラルゲットの素晴らしさとラルゲットが終わりロンド楽章が始る時の愉悦感、筆舌に尽くしがたいものがありました。

 39番の交響曲も最高でした。この曲はしばしば演奏される曲ですが、なかなか極め付けの演奏は聴けないのです。そこがモーツァルトの難しさなのでしょうが、この日のプレヴィンは、この名作を完全に手中に収めて、演奏して見せてくれました。オーケストラの精妙な美音をうまくドライブし、のびやかで柔軟さが持ち味のこの作品の魅力を、一杯に引き出していました。

 プレヴィンは99年に再度N響の指揮台にのぼり、更に2001年の5月にもN響を指揮する予定でした。しかし、突然の眼疾のため来日不能となり、5月の定期演奏会はキャンセルになりました。それがとても残念です。


1988年ミラノスカラ座日本公演
ヴェルディ作曲「ナブッコ」
オペラ4部、字幕付原語上演
会場 NHKホール
日時 1988年9月4日

指揮:リッカルド・ムーティ 管弦楽:ミラノスカラ座管弦楽団  
合唱:ミラノスカラ座合唱団  合唱指揮:ジューリオ・ベルトラ  
演出:ロベルト・デ・シモーネ  美術:ジョルジョ・クリスティーニ  
装置:マウロ・カローシ  衣装:オデッテ・ニコレッティ

出演者

ナブッコ  レナート・ブルゾン
イズマエーレ  エッツィオ・ディ・チェーザレ
ザッカーリア  パータ・プルクラーゼ
アビガイッレ  ゲーナ・ディミトローヴァ
フェネーナ  ルリアーナ・ディンティーノ
大司教  ルイージ・ローニ
アブダルロ  レナート・カッツァニーガ
アンナ  フランチェスカ・ガルビ

感想
 
私は、小学生の時からクラシック音楽が好きでしたが、最初はいわゆるライトクラシックやポピュラー名曲から入って、オペラを聴くようになったのはかなり後のことです。最初カルロス・クライバーの音楽の作り方が好きになり、彼の録音を片っ端から聴くようになりました。とはいえ、ほとんど正式の録音のない彼のことですから、あっという間にオペラの録音も全部聴いてしまいました。当時の彼のオペラの録音は、正式なものは「魔弾の射手」と「椿姫」そして「こうもり」だけだったと思います。この3種類の最上の録音を聴き、オペラの素晴らしさに目覚めたと思います。

 就職後、東京勤務になって、オペラの実演を割と気軽に見られるようになって、最初の大規模な外国オペラ団の引越し公演が88年のミラノスカラ座日本公演でした。この年の演目は、ヴェルディ「ナブッコ」、ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」、プッチーニ「ボエーム」そして「トゥーランドット」でした。指揮者は最初の二つがムーティ、「ボエーム」がクライバー、「トゥーラン」がマゼールという世界的な人気指揮者の揃い踏みです。どれも見逃せない演目です。当時は独身でしたし、今思えばセット券を買って全演目を見るべきでした。しかし、当時はそこまで頭が廻らなかった。とにかくクライバーの「ボエーム」が見たくて、一般発売日には電話をかけまくりました。でもずうっと繋がらず、やっと繋がった時には「ボエーム」は売りきれ、仕方無しに選んだのが「ナブッコ」でした。

 当時は「ナブッコ」がどんなオペラであるかは全く知りませんでした。でも、前評判を聞く限り、非常にすばらしいものらしい、ということでベローナの公演のLDを購入し、事前学習を始めました。ブルゾンがナブッコを、ディミトローヴァがアビガイッレを歌っています。しかし、このLD、妙に散漫で、音もいいとはいえず、ブルゾンやディミトローヴァの魅力を十分に示したものでは無いようです。私は、このLDでは「ナブッコ」の真の魅力に気付くことなく、本番の日を迎えたのでした。

 引越し公演があんなに素晴らしい物だとは思っても見ませんでした。それまでオペラ公演と言えば、仙台オペラ協会の公演と東京二期会の公演しか見たことのない田舎者にとって、スカラ座の演出・舞台装置は圧倒的な迫力で迫りました。そして歌手の実力。ブルゾンのバリトンの魅力もさることながら、一番驚いたのは、ディミトローヴァの声でした。LDで聴いていたのとまるで違う迫力。本物のドラマティコがどういう歌い方をするのかを、はっきりと見せていただいたと思います。第二部一場のアビガイッレのアリアは最高でした。そして、例の合唱「ゆけ、我が思いよ、金色の翼に乗って」の高揚感。

 私がオペラの実演にはまり、年に何度もオペラ公演に出かけるようになったのは、この経験を何度でもしてみたいと言う気持ちの表れです。その意味で、私にとって忘れられない公演となりました。


NHK交響楽団第1245回定期演奏会 

会場:NHKホール
日時:1994年11月11日(金)

指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ

曲目:ブラームス ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調作品83
    ピアノ独奏 アンドラーシュ・シフ

   ブラームス 交響曲第4番ホ短調作品98

感想
 
サヴァリッシュがN響にとって、一番関係の深い外国人指揮者であることは明らかです。私も何回聴いたことか。でも、サヴァリッシュ/N響のコンビは、いつもいい演奏をするわけではない。詰まらない演奏も少なからずある、と申し上げてよいと思います。そのようなサヴァリッシュ/N響のコンビでも壷に嵌ると、絶妙の演奏を聴かせてくれます。その最良の例が、1994年ブラームス・チクルスで演奏された、ピアノ協奏曲第2番と交響曲第4番のプログラムです。この年のブラームス・チクルスはどれも素晴らしい演奏だったのですが、最も感動させられたのがこのプログラムです。

 ピアノ協奏曲は、シフの自然なピアノが良かった。この曲は、全てのピアノ協奏曲の中で最も技術的な難しさをもつ協奏曲で、演奏会で実演を聴くと、芸術的な感銘を得る前に、技術的なあらが気になることが多く、楽しむのがなかなか大変な曲です。しかし、このときのシフは、受けを狙うようなけれんのある演奏ではなかったと思うのですが、技術的には高レベルで、その自然なピアノからは、ブラームスの味わいがよく醸し出されていて、私はとても気に入りました。

 メインのブラームスの第4交響曲も良かったと思います。サヴァリッシュの指揮は基本的には中庸なもので、特に目だったところのある演奏ではなかったと思うのですが、ドイツの伝統とはこういう演奏を言うのだ、と言わんばかりの説得力のある演奏で、私の耳を釘つけにしました。寂寥感と色気とがバランスした演奏で、大いに満足したことを覚えています。

 私は88年からN響の定期公演に通っているのですが、94年のブラームスを聴くまで、サヴァリッシュはオペラは良いけど、オーケストラは今一つの指揮者だと思っていました。しかし、このブラームスチクルスで、サヴァリッシュがN響と永年にわたって、良い関係を続けて来た意味がはじめてわかったような気が致しました。その後もサヴァリッシュは何度も聴いていますが、結局私にとっての彼のベスト・パフォーマンスは、この演奏会に留めをさします。 


1994年ウィーン国立歌劇場日本公演
リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」
オペラ3幕、字幕付原語(ドイツ語)上演
会場 東京文化会館
日時 1994年10月15日

指揮:カルロス・クライバー 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団  
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団  合唱指揮:ディートリッヒ・ゲルファイデ
演出:オットー・シェンク  照明:ポール・ピアント  
装置:ルドルフ・ハインリッヒ  衣装:エルニ・クニーベルト

出演者

元帥夫人  フェリシティ・ロット
オクタヴィアン  アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
ゾフィー  バーバラ・ボニー
小間物売り  オリヴィエラ・ミリヤコヴィッチ
アンニーナ  マルガリータ・リロヴァ
帽子売り  ロッテ・ライトナー
オックス男爵  クルト・モル
ファーニナル  ゴットフリート・ホルニック
ヴァルザッキ  ハインツ・ツェドニク
ヴェルデンベルク家の家令  ヴァルデマー・クメント
ファーニナル家の家令  フランツ・カーゼマン
公証人  ヴォルフガング・バンクル
歌手  キース・イカイア=パーディ
警官  ペーター・ウィムベルガー
動物売り  ウルリッヒ・グロースルバッチャー
居酒屋の亭主  ぺーター・イェロシッツ

感想
 
2004年7月13日、私の音楽のカリスマ、カルロス・クライバーがスロベニアで亡くなったそうです。74歳。長命が当たり前の現代にとって、残念な死と申し上げるしかありません。

 彼は、極端に指揮する回数の少ない指揮者で、レパートリーも狭い。ほぼ名声が固まり始めた1970年代以降指揮しているオペラ作品は、「ヴォツェック」、「エレクトラ」、「ばらの騎士」、「魔弾の射手」、「トリスタンとイゾルデ」、「こうもり」、「椿姫」、「オテロ」、「カルメン」、「ボエーム」の10演目に限られ、そのうち、「ヴォツェック」、「エレクトラ」、「魔弾の射手」は、1974年以降振っていませんから、実質7演目を繰返し振ってきた、と申し上げてよいでしょう。その音楽は、誤解を恐れずに申し上げればまさに音を楽しむものでした。精気に溢れ、自在に流れる音楽は、カルロス独自のものであり、その息遣いを楽しむ為に、私は随分努力を致しました。

 そういうカルロス・クライバーの正式のオペラ演奏の最後が、1994年10月、東京での「ばらの騎士」でした。この演奏は、日本のクラシック音楽会の歴史に残る名演奏とされているのですが、実際彼の作り出す音楽を目の当たりにした聴き手としては、それは間違いない本物で、「歴史」となったのも当然と思える演奏でした。当日私の坐った席は、1列目の中央という、カルロスの指揮を眺めるのには絶好のポジション。その位置にいると、どうしても舞台に集中することが出来ず、カルロスの指揮姿に目が行ってしまいます。まさにその姿は流麗そのものでした。音楽の流れと指揮の動きが見事に一致して、手をぐるぐる回す独特の指揮姿が、音楽に全く溶けこんでいて、なんらけれんを感じさせない所は、正に神業。ただただ驚きと感動とで一杯でした。

 カルロスの実演は、ロンドンで「オテロ」を聴いており、その素晴らしさは十分予想していたものですが、このウィーン国立歌劇場の演奏は、ロンドンでの「オテロ」の出来を完全に凌駕していました。本当に完璧な演奏があるとすれば、この午後の「ばらの騎士」こそ、そういって許される演奏だったように思います。

 歌手も抜群。私は、元帥夫人といえば未だフェリシティ・ロット以外は考えられませんし、オクタヴィアンはアンネ・ゾフィー・フォン・オッターですし、ゾフィーはバーバラ・ボニーです。第三幕の有名な三重唱がいかに素晴らしかったか。もう筆舌に尽しがたい、と申し上げるしかありません。ばらの騎士の持つ保守的な爛熟の美をこれまでに美しく表現する事は不可能なのではないか、と思えるほどでした。

 今考えて見れば、そのときカルロス・クライバーが自分にとっての最後のオペラ演奏になるので、彼の渾身の力を振り絞って演奏した結果だったということかもしれません。勿論、その時点で、彼がそう考えていたとは思えないのですが、そう思って演奏していたとしてもおかしくない、名演奏でした。

 伝説の名演は、私にとって幻ではありませんでした。まさにこの目で見、この耳で聴いた事実でした。クラシック音楽ファン歴35年になろうとする私ですが、その自分のコンサート歴中で、何ら躊躇せずにナンバーワンと申し上げられる名演奏でした。

音楽のページTOPへ戻る


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送