家庭との戦い

さわりの紹介

 そのとき、バケツ一杯の水が門を越えて、岩瀬の頭の上から一瞬の滝のように降ってきた。
 岩瀬は、完全に不意を衝かれた。逃げるヒマなんか勿論なかった。いや、それ以上に岩瀬は、頭から水ビタシになりながら、いったい何事が起こったのか、その理解に苦しんだのである。
 「ほッほッほ」
 門のうち側から花子の笑い声が聞えた。すこしの反省もない勝ち誇ったような笑いであった。
 「・・・・・・・・・」
 岩瀬は、あまりのことに声が出なかったのだ。
 「すうっとしたでしょう?」
 「・・・・・・・・・」
 「さア、ご希望通り、門を開いて上げましてよ」
 「・・・・・・・・・」
 カンヌキをはずす音が聞えて、やっと門が開かれた。花子の姿が岩瀬の目の前に現われた。その岩瀬は、頭髪からも洋服からも雫をポタポタたらしながら唇をかみしめるようにして立っていた。
 「お入りになって」
 「・・・・・・・・・」
 「これであたしって、どういう女か、よくおわかりになったでしょう?」
 「・・・・・・・・・」
 「これからは妙なムホン気を起さないことですよ」
 「・・・・・・・・・」
 「今夜は、バケツの水一杯でかんにんして上げますが、この次からはそうは参りませんからね。その覚悟でいて頂戴」
 「・・・・・・・・・」
 「いくらお睨みになっても、あたし、ちっとも恐くないんですからね」
 「・・・・・・・・・」
 「あら、お入りになりませんの?」
 いつまでも黙っている岩瀬に、花子は、すこし不安になって来たようだ。しかし、ここでそういう容子をしてみせては、増長するだけであろう。それではせっかくのさっきからの努力が水の泡となるだけだ。
 「嫌なら無理に入って頂かなくてもいいんですよ」
 「・・・・・・・・・」
 「朝までそこに立っていて頂戴。そのかわり無用心ですから門を閉めますよ」
 「・・・・・・・・・」
 「カゼを引いても、あたしは、知りませんからね」
 「・・・・・・・・・」
 「あなた、ツンボになったの?あたしにばかり喋らせないで、何とかおっしゃったらどうですの?」
 「花子」
 岩瀬は、やっと口を利いた。しかし、それはさっきまで門の前でわめいていたときとは、まるで別人のような声になっていた。が、花子だって、負けていなかった。
 「はい、何んですか」
 「君のいいたいことは、それだけだね」
 「いいえ、たくさんありますけど、今夜のところはそれだけです。あなたは?」
 「そんなことよりも、僕に対してあやまろうとは思わないのか」
 「あやまる? あたしが、ですか」
 花子は、思いもよらぬといういい方をした。
 「そう、君がだ」
 「あたしには、あなたにあやまったりする理由は、すこしもありませんよ」
 「いや、ある」
 「ありません」
 「ある。あやまりたまえ、そこで。あたしが悪うございました。以後、今のようなはしたない真似は絶対にいたしません。どうかお許し下さい、というのだ」
 「嫌です。あなたこそ、門限を三時間も過ぎて悪かった、今後は、今まで通り午後十時の門限をまもりますと誓って頂戴」
 「亭主として、そんな阿呆らしいことがいえるか」
 「いいえ、いって頂戴」
 「もし、いわなかったら?」
 「この門を閉めてしまいます」
 「よかろう、閉めてしまえ」
 「何んですって?」
 「愚図愚図いわないで、その門を閉めてしまえ」
 「すると、あなたは?」
 「そんなこと、君の指図を受けぬ」
 「まッ」
 花子は、信じられぬように岩瀬を見た。が、そこで岩瀬は、ぐっと胸を張りかけたのだが、ついくしゃみをしてしまったのはまずかったようだ。
 「あなた、カゼを引きますよ」
 「覚悟の上だ」
 「気でも狂ったんですか」
 「それは君に対していいたい言葉だ」
 「わかりました。こうなったらもう談判決裂です。あたし、この門を閉めてしまいますからね」
 「その前にいうことがある」
 「何かしらないが早くおっしゃい」
 花子は、すこしいらいらするようにいった。
 「別れよう」
 「何んですって?」
 「別れよう、といっているのだ」
 「別れるって、夫婦別れということですか」
 「そうだ」
 「あなたは、本気で?」
 「勿論だ」
 「よろしゅうございます。そんなにおっしゃるんなら別れて差し上げます。たった今から赤の他人になりましょう」
 「・・・・・・・・・」
 「ただし、この家は、あたしの物ですからあなたに出て行って貰いますよ」

Tの感想・紹介

 「家庭との戦い」は、1964年8月15日より翌65年1月31日まで、産経新聞に連載した新聞小説です。テーマは難しく言えば、サラリーマンの会社に対する貢献と家庭のあるじとしての役割をどう分担して行くべきか、ということですが、要するに夫婦喧嘩です。

 源氏鶏太は保守的な作家でした。というよりも、彼の倫理観、家庭観は、彼が生活してきた時代の常識が反映しているといってよいでしょう。昭和30年代末に書かれた本作品は、実質的な女権の拡張が始まった時代の男の目によるあるべき家庭観が描かれています。それは言うなれば家長の権威主義ともいうべきものです。源氏は、主人公である南沢勇造にこういわせています。

 「勇造は、元来父親とは、多少頑固であるべきだし、多少横暴であるべきだと信じていた。何故ならそれによってのみ父親としての権威が保てるからである。そして、この権威とは、一家の責任者としての権威であり、家族を外敵からまもるのは父親なのだ。いい直せば、この権威とは、家族の切々たる愛情の裏返しとなっているのである」

 このような強い父親観は実際は滅亡寸前でした。本作品が小説として成功しているとすれば、作者の本音とも言うべき「強い父親像」を作者が突き放して客観的に見ている所です。強く見せたがる家長も内心は不安の塊であることを、この作品は終始訴えています。

 登場人物は、南沢商事社長・南沢勇造とその妻・郁子、長男・勇一郎、長女・真世子、次男・孝次郎の一家と南沢商事営業部社員・岩瀬進一とその妻花子です。資本金10億円のニ流商事会社・南沢商事の社長・南沢勇造は、最近の業績不振が社員の家庭重視のあまり、業務がおろそかになっているせいではないかと考えています。昨日も営業部の岩瀬が、妻との約束を優先して、K商事との約束を忘れたため、折角成立していた取引を破談にしてしまうというミスをしでかします。岩瀬は、何人かのライバルを蹴落として、花子と結婚しました。花子の実家は、結婚のとき100万円の持参金と家をプレゼントしてくれましたが、その負い目と生来の性格とで岩瀬は完全に花子の尻に敷かれています。そして、妻を恐れるばかりに仕事がおろそかになっています。岩瀬は、勇造に叱られ、『一人前の男になり、亭主関白になり、会社の仕事を一所懸命にやる』ことを誓います。

 一方、勇造と郁子夫婦も陰湿な関係です。昔、南沢商事が南沢商店と言っていたころの、取引先の銀行の重役の娘が郁子です。勇造と郁子とが結婚したおかげで、銀行の融資が受け易くなるなどのメリットがありました。しかし、完全にリタイアした郁子の父は、郁子を通じて勇造に人の採用などをねだります。現営業部長の笹野は、そうやって採用しました。勇造はそういった情実人事を排したいと思っていますが、奥さんとの関係でなかなか踏み切れません。勇造は亭主関白の頑固親父と思われていますが、本人はそうなりたいとは思っていますが、現実は会社の人事すら奥さんの意向を無視できません。

 岩瀬は、『亭主関白宣言』を早速実施し、門限を破るという行動に出ます。その結果、花子に水をぶっ掛けられ、家から追い出されます。その岩瀬は、社長の家に転がりこみます。社長の家族は表面上は岩瀬に親切にしてくれます。ここで岩瀬は、長男の勇一郎が、バーのホステス克子に引っかかり、やくざから不当の金を要求されるのをたすけることになります。ここで、力を発揮するのは突然現われた花子です。また、長女・真世子の恋愛も花子の尽力で成就します。岩瀬と花子との関係も花子が譲歩する形で恐らく解決し、岩瀬は仕事に燃えるようになっていきます。

 岩瀬夫妻や岩瀬夫妻の対照として描かれる早田夫妻は、極端に誇張され、戯画化されています。はなしの内容が会社と家庭の相克というシリアスなものなのに、ストーリーが軽快でシリアスにならずに進むのは、この戯画化のせいです。また、悪役の筈の花子が現実には悪役として描かれず、岩瀬と相対的に描かれていることも後味を良くしていると思います。

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