ずこいきり
さわりの紹介
「二人でたくさんとは?」
「この上、あなたのお腹の中にいる子供までいりません、ということよ」
「では、あたしのお腹の中の子供は、どうなるのよ」
「お産みになったら?」
「産んで、どうするのよ」
「今泉にお渡しになったらいかがですの?だって、今泉の子供に間違いないんでしょう?」
「正真正銘の勿論よ」
「だったら、どうぞ」
「どうぞだって?」
「今泉は、自分の子供なんですし、何んとか育てていくんじゃアございません? ああ、名案がございましてよ」
「名案?」
「今泉とは、あたし、もうすぐ別れてしまいます。ですから、あなた、その後釜にお坐りになって、産まれてくる子供をいっしょにお育てになったら?」
「冗談じゃアない。誰が、こんなへなちょこ男といっしょになるもんか」
「ああ、へなちょこ男。全く、あたし、同感でございましてよ」
目の前で、二人の女からへなちょこ男といわれて、今泉は、苦笑を洩らしていた。勿論、憤る元気なんかなかったろう。今は、一刻も早く、この問題の解決を祈っているに違いあるまい。そして、事態は、祥子の努力によって、たしかに有利に進んでいると思っていた。その点では、庄平も、ちあきも、おんなじであった。
「それじゃアあんた、何のためにここへやって来たのよ」
「離婚の裁判を有利にするために、一応、あなたの話をじかに聞いておいた方がいいでしょう? ですからですわ。どうも有りがとうございました」
「いっときますが、あたしは、子供なんか産みたくないんですからね」
「何故ですの? せっかく妊娠なさったのに、勿体ないじゃアありませんか」
「勿体ない? おふざけでないよ。あたしは、慰藉料として百万円を貰いたいといっているんだよ」
「そうだ、百万円だ」
「慰藉料って?」
「妊娠させた、よ」
「だって、お二人は、合意の上でなさったことでしょう?」
「何が、合意なもんか。しつっこく口説かれたから仕方なしにつき合ってやったんだよ」
「何度ですの?」
「五度よ」
「嘘をつけえ。三度だぞ」
今泉がいった。それをおさえるように、
「あなたは、黙ってらっしゃい」
と祥子は、ぴしゃっといっておいて、
「で、そのつど、お金は?」
「そりゃア貰ったよ。この男、ケチなんだ。五千円のときもあったわ」
「まッ、五千円も?」
作品の話
「ずこいきり」は1972年9月に新潮社より出版されました。
この時期の源氏鶏太は、オカルト作品に傾斜した時代とされ、彼の後期の代表作である「幽霊になった男」や「永遠の眠りに眠らしめよ」が書かれた時期と丁度重なるのですが、新聞小説や週刊誌の連載小説で、旧来の源氏鶏太スタイルを捨てることは出来なかったようで、この作品も、「快男児が登場して、勧善懲悪で終る作品」となっています。
タイトルの「ずこいきり」とは、富山の方言で、「ずこ」とは頭であり、「頭がすぐいきりたつ人」のことを言うそうです。源氏鶏太は、出身地・富山の「ずこいきり」という性格を、「正義のために燃え立ち、弱い者の味方となってがんばる男」の意味で用いています。そして、この作品で「ずこいきり」とは、主人公の青山庄平を指しています。
青山庄平は、同期入社の吉田政治から、吉田の恋人であった池田洋子と別れたい、ついては自分の代りに洋子側と話をつけて欲しいと頼まれます。一方、鴨井ちあきも同僚の洋子に頼まれ、洋子のかつての恋人・吉田の代理人、庄平と会います。ちあきは美人ながら勝気な女性で、庄平とちあきの代理戦争が勃発します。この吉田と洋子はお互いどっちもどっちの人間です。
この二人の別れ話が纏らないうちに、庄平は先輩で堅物と思っていた今泉忠三が、性悪のバーのホステス、みどりにひっかかり、子供を生ませて認知するか、それとも百万円払うか、とみどりのヒモであるいやくざ「荒馬」に脅迫されている問題にものめりこんで行きます。今泉は妻子持ちで、もちろんこんな慰藉料を払える訳はありません。庄平は、「荒馬」を「自分はもと空手選手である」と牽制したり、あるいは持ち上げたりして、この慰藉料をどんどん値切って行きます。
結局庄平は、ちあきの会社の先輩で未亡人の小野田祥子の助けを借りて、この二つのトラブルを解決し、庄平もちあきと結ばれてハピーエンドで終ります。
「ずこいきり」の基本的な線は、確かに従来路線の勧善懲悪小説ですが、ここに描かれている男たちは、皆卑小です。悪役の吉田政治、今泉忠三は当然ですが、彼らの尻拭いを進んで行う「ずこいきり」青山庄平にしても、正義に殉じている、と言うよりは、単なる便利屋に過ぎない。かつての源氏ならば、ヒーローはもっとヒーローらしく造形したと思いますが、この作品で源氏は、「ずこいきり」といういかにもヒーローらしい呼び名を与えながらも、現実には、主人公を便利屋として描いています。
恐らく、オカルト時代の源氏鶏太は、もうかつてのようなスーパーマン的ヒーローは書きたくなかったのでしょう。その結果、いかにもヒーローに見せかけて、実際は単なる便利屋を書いてみせる。これが、この時代の源氏の読者に対する挑戦だったような気がいたします。
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