よい婿どの
さわりの紹介
それから三人は、食堂へ行った。
なんでも、南村君の会社では、きょう、創立何十周年記念とかで、思いがけぬ特別賞与が出たとか。だから、小島君におごることにしたそうであった。愛子さんは誘われた。南村君のような、女性に対して無礼な男にごちそうになるのは、多少心外であったが、いちばんの重要問題がまだ未解決である。したがって、このまま帰ってしまっては、第一、愛子さんに対して悪い。第二に愛子さんは、そのとき、非常に空腹であった! だから、いやいやみたいな顔で、いっしょに食堂に行ったのである。
二人の男はビール。愛子さんはジュース。
「なア、南村」
と、小島君が、チラッと愛子さんのほうを見てから、南村くんのほうへ顔を向けた。
「なんだい?」
「ぼくの恋人の信子さんのことだがね」
「ぼくの恋人って、きみ、信子さんは、恋人だったひとだろう? 過去はそうだったかもしれんが、現在は違うんだろう?」
「まア、そうだ」
「うん、よろしい。とにかくだな、女私立探偵なんか絶対に女房にもらうな。悪いことは言わぬ」
「わかってるよ」
「きみが女私立探偵を女房にもらってみろ。どうせ、そのうちに、ぼくも結婚するだろうが、そうなると、亭主どもが友達なら、女房どもも友達になるにきまっている」
「うん」
「そうなれば、きみのみならず、女房の依頼によって、たまにはぼくの行動まで手軽く調査をされることに、ならんともかぎらん」
「うん」
「そんなの、今から想像しただけでも、ぞうッと身ぶるいする。とたんに、男に生れたかいがなくなる。だから、きみのためにも、ぼくのためにも、あんな信子女史なんか、過去の恋人にしてしまえ、と言うんだよ。わかるか?」
「わかるよ、そのとおりだよ」
しかし、小島君は、言うほどにはわかっていないようである。そこを南村君は、強引に、
「では、乾杯だ」
と、コップをあげた。
とたんに、さっきから口をいれるチャンスをねらっていた愛子さんが、
「その乾杯、ちょっと待ってちょうだい」
「なぜですか?」
「あたしは、いまの南村さんの御意見には、絶対反対ですわ」
「ハッハッハ。もちろん、あなたは反対でしょう。なぜなら、あなたは女性であり、ぼくたちは男性です。立場が違うんです」
と南村君は、平然としている。これはどうやら、煮ても焼いても食えぬ、という男の一種かもしれない、と愛子さんは、警戒した。変な理屈を言わないで、あっさり立場の相違と割り切って答えるところは、たしかに小島君より役者が数枚上であるようだ。こういう種類の男には、理論でいく正攻法では損だ、と愛子さんは考えた。
「わかりましたわ」
「ほう。あなたは、女性としては、珍しく頭がいいし、ものわかりが早い」
「どういたしまして。ただね、信子さんがほんとうにかわいそうなんですのよ。小島さんの絶縁状をもらってからというもの、毎日、思い出しては泣いてばかり。ごはんもろくろくのどを通らず、二貫目もおやせになりましたわ」
「え、ほんとうですか」
と、小島君は、心配そうに言った。愛子さんは、しめた、と思ったが、そのとき、南村君は、またしてもいらぬ口をいれた。
「いや、そんなはずがない。ぼくはきのうもチラッと有楽町で見たんだが、やせるどころか、張りきって、それこそ、目の色を変えて、だれかも尾行していましたよ」
作品の話
「よい婿どの」は「主婦之友」に1953年1月号から12月号まで12回にわたり連載された長編小説です。単行本は連載終了と同時に主婦之友社から出版されました。
源氏鶏太は、1951年直木賞を受賞し、また同年の「三等重役」のブームにより、一躍流行作家の仲間入りをします。1952年には「向日葵娘」、「緑に匂う花」、「明日は日曜日」、「坊ちゃん社員」の4長編と数多い短編小説を発表し、53年には「丸ビル乙女」、「幸福さん」、「鶴亀先生」などの作品を発表しました。「よい婿どの」には、後年のような複雑な物語の展開こそありませんし、特別に書き込まれている作品でもありませんが、上昇気流に乗りつつあった作家の勢いが見て取れる作品です。
小説を一言でいえば、わりと単純な「ボーイ・ミーツ・ガール」の作品と申し上げることができます。
主人公は館林愛子さん。22歳。高円寺で歯科医院を開業している家の娘で二男二女の二番目で次女です。お姉さんの慶子さんは、恋愛結婚すると言っていたのですが、あっけなく見合い結婚してしまいました。娘一人を嫁にやったお父さんは、愛子さんにも「よい婿どの」を世話して欲しい、と色々な人にお願いする手紙を出します。これを知った愛子さんは、絶対に自分で結婚相手を探そうと心に決めるのでした。
愛子さんには、私立探偵をやっている信子さんという友達がいます。信子さんはかねて付き合っていた小島君から絶縁状を貰い、悲嘆にくれて、愛子さんに小島君が信子さんを避ける理由を聞き出してくれるように頼みます。小島君は信子さんを嫌っているわけではないのですが、親友の南村君から私立探偵をやっている女と結婚すると、将来大変になるから止めた方がいい、という助言にしたがって、手紙を出したのです。
愛子さんと小島君とが会うと、そこに一緒に来たのは南村君。愛子さんと南村君とは喧嘩をしてしまいます。しかし、その後の軽い紆余曲折があるものの、愛子さんと南村君とは見事にゴールインし、愛子さんの両親は「よい婿どの」が得られた、と喜んで大団円。
他愛もない恋愛小説で、読みごたえのある作品でもありませんが、初期の源氏鶏太の雰囲気をよく伝える作品です。
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