私にはかまわないで

さわりの紹介

「まア、杉山さん。」
 信子にとって杉山太郎丸から電話がかかってこようとは思いがけないことであった。しかも、たった今まで、志奈子と杉山太郎丸のことで話していたのである。もっとも、その結果は、あんまりかんばしくなかったけれども。
 あるいは杉山太郎丸は、たまりかねて志奈子のことで電話をして来たのであろうか。それならそれで信子の気持ちが違ってくるのだ。
「その節は・・・・。」
「その後、お元気ですの?」
「まアまアですよ。」
「ダメですよ。杉山さんのような若い人が、そんなことでは。」
「どうも。」
「あたし、たった今、北沢さんとお食事をして戻って来たところですよ。」
「・・・・・・・・。」
「何か・・・・。どうか、遠慮なくおっしゃってちょうだい。」
「実は、昨夜、銀座へ出たんですよ。一人でしたが、そこでいろいろのことを偶然に見たり聞いたりしたんです。」
「たとえば?」
「内田茂太君と北沢さんが仲良く歩いているところをうしろから見たり。」
「まァ。」
「いや、そんなことはどうでもいいんです。そんなことでお電話をしたのではありません。もっと重大なような気のすることを耳にしたんです。」
「・・・・・・・・。」
「勿論、僕としては放っておいてもいいことなんですが、しかし、せっかく聞いたんだし、やっぱりいっておいた方がいいような気がして、いろいろと迷ったあげく、本間さんには直接あんまり関係がないことばかりのようだけど、一応お耳に入れておいた方がいいと思ったんです。」
「・・・・・・・・。」
「勿論、聞き流していただいて結構なんです。」
「どういうことですの?」
「厚田先生が結婚なさることになっている梅崎晴子さんに関するスキャンダルです。」
「まァ、杉山さんは、それを聞いて下さったんですの?」
 信子の声は、はずんだ。それこそこの際、最も知っておきたいことであった。
「そして、もう一つ。」
「もう一つ?」
「北沢さんのお母さんのことです。」
「何ですって?」
「北沢さんのお母さんの居所がわかったのです。」
「ちょっと杉山さん。そんな重大な話、こんな電話なんかで出来ませんわ。今夜にでも会ってちょうだい。」
「僕は、かまいませんよ。」
「そのとき、北沢さんも連れて行きましょうか。」
 杉山太郎丸は、しばらく考えてからいった。
「いや、今夜は、あなたとだけの方がいいと思います。」 

Tの感想・紹介

 「私にはかまわないで」は、1973年8月2日より1974年7月18日まで、『京都新聞』等の地方紙数紙に連載された長編小説です。源氏鶏太の晩年の作品ながら、内容は彼が昭和30年代前半までによく書いていた女性を主人公にした作品と本質的には大同小異で、手堅くまとまっているが、新しさを感じられる作品ではないようです。源氏は新聞小説に秀でた作家で、新聞小説にこそ彼の本領を発揮したと思うのですが、その中では凡作と申し上げてよいでしょう。プロットをしっかり考えている割には詰めが甘く、虚構としてのリアリティに欠ける作品、というのが私の評価です。

 主人公は、北沢志奈子23歳OLで、K精機工業に勤めています。彼女は幼いときに父を亡くし、母は彼女を残して再婚してしまい、祖父の偉一郎に育てられました。偉一郎は現在73歳。現役時代はN車輛の専務取締役まで勤めました。現在もかくしゃくとしていますが、最大の望みは志奈子が幸せな結婚をしてくれることです。しかし、偉一郎にも恋人らしき女性がいます。即ちかつての部下、酒井若子が夫に先立たれ、自立するために渋谷に喫茶店を出すとき、偉一郎が口をきいてやります。それ以来、若子の店「ヘッセ」が偉一郎の散歩の行き付けの店になり、小説の進展の舞台となります。

 志奈子の相手役が杉山太郎丸。S金属工業に勤めていて、決して美男子ではないが背が高く、どこか飄々としているところが皆に好かれる好青年。先輩の浅井は、彼のことを「普通なら杉山太郎でいいところなのに、丸だけ余計についているような人物」と評しています。彼には原田協子という婦人記者をしている遠縁の娘と、同じ会社の同僚で、学校時代の親友・内田茂太の妹・典子が心を寄せているのですが、太郎丸自身は、会社に御使いで来る志奈子を自分の理想の女性だとして、二人のモーションを受けつけません。だからといって、志奈子に積極的にアプローチするわけでもないのです。

 業をにやした原田協子が、K精機工業に志奈子を訪ねて行くところからこのお話ははじまります。一方志奈子の母方の叔父は厚田次郎という高名なグラフィック・デザイナーで、協子がこの叔父を良く知っているところから、二人は意気投合します。志奈子は会社の先輩のOLで、志奈子をよく可愛がってくれる本間信子と叔父が結婚すればよいのではと考えています。

 この基本的な枠組みの中に悪役が何人か登場し、志奈子と太郎丸の恋愛に影響を与えます。そういう中で、志奈子の「私にはかまわないで」という強い意志と、廻りの暖かい目のお蔭で、二人は結ばれることになりそうな印象で終わります。

 粗筋は以上の通りですが、話の展開はかなり御都合主義です。銀座を歩くと必ず知人と出会う、という源氏鶏太御得意のパターンはまだ許されるとしても、志奈子の再婚した母親が55歳というのはどうでしょう。弟の次郎が40台、娘の志奈子が23で、彼女が10歳の時再婚したという設定です。とすると、この母親は32で志奈子を生み、42で再婚したことになります。もう一つ言えば、亡くなった夫の父親が現在73ですから、結婚した時妻の年齢は、夫よりはるかに高齢だったということになり、あり得ないことではないとしても、通俗小説の設定としては、いかにも御都合主義的です。こういった詰めの甘さが目に着きます。話の展開の巧みさは流石源氏鶏太ですから、もっと丁寧に書けば、もっと読者を楽しませられる作品になったのではないかと思います。

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