歌なきものの歌

さわりの紹介

「昨夜、営業部の曽根甲斐子と飲んだのです」
 いいながら、小高次郎は、曽根甲斐子のアパートで泊まってしまったのだと思い出していた。血が熱くなってくるようであった。しかし、あのことだけは部長にいってはならないのである。何れいう時期がくるかもわからないが、当分の間、やはり二人だけの秘密にしておきたかった。
「曽根甲斐子?」
 船田大明は、小高次郎を見返すようにして、
「君たちは、以前からそういう仲であったのか」
「いいえ、以前に私が彼女の仕事のミスを指摘に行って、逆にこっちのミスであることが指摘されたことがあるくらいなんです」
「それなのに、どうして?」
「昨日、社員食堂で偶然に隣り合わせになったとき、彼女がうちの社員なんて腰抜けばかりだと言い出したんです」
「腰抜け?」
「徒らにM商事に戦戦兢兢とおびえてばかりいないで、こうなったら迎え撃つぐらいの気構えがほしいというのです」
「迎え撃つ、か」
「そして、彼女からヤケ酒を付き合ってもいいっていい出したんです」
「それで君は、そのヤケ酒とやらに付き合ったという訳か」
「そうなんです」
天丼が来た。
「まア、食べながら聞こう」
「ご馳走になります」
「ああ」
「ところがですよ、彼女は、M商事に関係があったのです」
「彼女の父親がM商事のためにひどい目に合ったということだろう?」
「やっぱり、部長は、覚えていられたんですか」
「彼女の入社試験の時に聞いた」
「彼女は、自分の両親がM商事のために殺されたと思い込んでいます」
「さア、それはどうかな。しかし、僕は、M商事から五千万円の融資を受けることになったとき、彼女のために、これはまずいことになったなと思った。あるいは、彼女は、そのことで辞めるといい出すのではないか、とも」
「いいえ、彼女は、辞めませんよ」
「ならいいのだ」
「だけでなしに僕と彼女は、同志になったのです」
「同志?君は、何をいい出すのだ」
「M商事を迎え撃つために、あくまで部長の意図にしたがって働こうということです」
「僕の意図?」
「部長は、こんどは逆にM商事を森山産業から追い出すことをお考えになっていられるのでしょう?」
「バカなことを言ってはいかん。君は、そのことで社長のお宅へも行ったらしいが、何か思い違いをしている。僕は、特別のことなんか、何にも考えていない。ただ、何とか森山産業をつぶしたくないということだけだ。その点、せっかく融資してくれるM商事に感謝しているくらいなのだ」
「嘘です」
「本人の僕がいうのだ。小高君、素直に信じることだ。そして、今後、M商事から派遣されてくる新部長におとなしく仕えることだ」
「しかし、私にはどうしてもその気になれません」
「考えてもみたまえ。僕一人が何を考えたところで、M商事に対しては、いってみれば蟷螂の斧にひとしいのだ。何が出来るというのだ」
「しかし、M商事は、結局において五千万円で森山産業を乗っ取ろうとしているのでしょう?」
「恐らくは」
「これを放っておいていいものでしょうか」
「では、どういう方法がある?」
「早く五千万円を返してしまうのです」
「その方法は?」
「・・・・・・・・・」
「しかも、その五千万円には、年に一割五分の利息がつくんだよ」
「それでしたら利息制限法の最高ではありませんか」
「だが、そこらの高利貸から借りるよりどんなにマシかもわからない。有りがたく思うことだ」
 二人は、天丼を食べ終わっていた。

作品の話

 本篇「歌なきものの歌」は、小説新潮の昭和43年1月号から12月号に連載された作品です。会社乗っ取りものの一作品です。形式的には、昭和32年の「社員無頼」と好く似ています。しかし、「社員無頼」と比較すると良く整理されており、構成もしっかりしていて読み易い作品に仕上がっています。

 主人公は、森山産業経理部長の船田大明。もうひとりの主人公が森山産業経理部員の小高次郎。経理部には他に、小高と同期入社のライバル高井英吉や、万年平社員の小山田直造がいる。船田は、一流企業の経理部長も勤まるといわれ、友人の会社社長・庄司金吾からスカウトを受けている。そして、小高は船田に殉じようとする快男児。

 森山産業は、取引先のK産業の倒産により、資金繰りがつかなくなり、黒字倒産せざるを得なくなった。そこに救助の手を差し伸べて来たのがM産業。五千万円の融資と引き換えに、経理・営業・総務の主要三部長のポストを要求する。新しく経理部長として来るのはM商事の経理係長田代理吉である。田代は酒乱で、船田の行き付けのバー「あり」で諍いを起したことがある。

 小高は営業部のオールドミス、30歳の曽根甲斐子に「うちの社員なんて腰抜けばかりだ」と言われ、一緒に自棄酒を飲みに行って、そのまま彼女のアパートに泊まる。甲斐子は処女で、それに感激した小高は彼女に結婚を申し込むのだが、断られる。甲斐子の父は、曽根商事の社長だったが、M商事の子会社のM機械の不渡手形の為につぶれた。M機械の倒産は計画倒産であった。当時それを実行したのは、現M商事専務取締役の伊勢大三である。甲斐子の父親は、大三を恨みながら死んだ。甲斐子は父の怨みを晴らすべく、大三と付き合って、敵状を調べている。

 田代新部長によって、旧森山産業社員はいじめられる。船山前部長は平社員に降格された上、完全に干される。船山は、五千万円を肩代わりしてくれる会社を探すが、悉く伊勢専務に邪魔され、うまく行かない。そこに、拾う神が現われ、M商事による森山産業乗っ取りは失敗に終わり、大団円となる。

 最後に拾う神となる浜谷弘造を、最初から登場させて伏線とするところ、冒頭、小高次郎の机の上に置いてあったハンカチが、曽根甲斐子のものらしいことなど、設定をきちんとして書かれた小説でまとまりは良いです。しかし、現実の会社乗っ取りは、浜谷弘造のような救世主は登場しませんし、また悪役として描かれている田代のような人物を、傘下に収めた会社に送りこむこともないでしょう。そういう意味で、源氏鶏太の御伽噺として楽しめば良いのでしょう。

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