永遠の眠りに眠らしめよ

さわりの紹介

 田原は、総革張りの廻転椅子に深深と腰を降し、身構えるようにして片山の入ってくるのを待っていた。田原は、負け犬が鞠躬如として入って来て、更にこの社長室の豪華さに一瞬度肝を抜かれるだろう姿を想像していた。その愉しみのために一種の悪い予感をおさえる気になった。しかし、片山は、先に扉を開いた滝沢を押しのけるようにして入ってくるとまるで社長室の豪華さなんか眼中にないようにつかつかと近寄ってくると、
「よう。」
 と、机越しに乱暴に手を延ばして来た。

 かつての同期生であってみれば、それぐらいのことは当然であったかも知れない。しかし、田原は、
(無礼な・・・・)
 と、感じたし、つられて片山の手を握ったのだが、そのあまりの冷たさにぞうっとし、まるで死人の手のようだと急いで手を引っ込めようとしたのだが、しかし、片山は、
「久しぶりだな。」
 と、ますますその手を強く握りながらしげしげと田原の顔を眺めるのだが、その眼は、すこしも笑っていなかった。寧ろ、冷たく光っていた。

 しかも、その顔色は悪く、痩せ細っていて、くたびれ切った洋服から何かの臭気が感じられそうな異様さであった。田原は、強引に片山の手を振り払いながら、その何ともいえぬ陰気さに、
(貧乏神どころか、まるで死神のようだ)
 と、腹立たしかった。

 秘書の女がお茶を持って来たので、席を応接用のテーブルに移して向い合った。
「どうだね、社長になった感じは。」
 片山がいった。
「責任の重大さを日日に痛感している。」
 田原は、無愛想に答えた。
「でもあるまい。」
「何のことだ。」
「嬉しいんだろう。大いに満足しているんだろう。」
「皮肉をいいに来たのか。」
「とんでもない。俺は、そんな料簡の狭い男ではない。」
 片山は、その後、初めて社長室を眺めまわして、壁の画に眼をとめると、
「ふん、シャガールだな。しかし、俺は、この画が好かん。妖気が漂っている。いや、この部屋その物にな。」
 と、味も素気もない厭がらせたっぷりのいい方をして、せっかくの豪華な社長室の威圧感なんかすこしも感じていないようであった。
「君、どっか躰が悪いんではないのか。」
「どうして。」
「顔色がよくないようだし、痩せ過ぎている。わたしの眼にはただごとでない感じだ。」
「そんなことは君の勝手だな。しかし、俺は、このようにピンピンとして、現に君の前で生きているし、喋ってもいる。」
「ならいいんだ。ただ、昔の同期生として気になっただけなんだ。」
「そうだ、お互い昔の同期生であった。あの年の大学出は、会社の規模もちいさかったし、五人だけであった。おぼえているかね。」
「勿論。忘れる筈がなかろう。」
「感心感心。ついでに、名前がいえるかね。」
「君と私、それから山内一郎、平岡順一・・・・。」
「それで四人だ。もう一人いた。いちばん肝腎な男だ。」
「・・・・・・・・。」
「思い出せないのか。奥田陸平だ。」
「そう、奥田陸平だ。」
「やっと思い出したのか。そんな薄情なことでは奥田陸平が化けて出てくるぞ。」
「化けて出る。」
「そうだ。君ですら社長になれたんだ。」
「君ですら。」
「気にするな。単なる言葉のアヤなんだ。しかし、俺は、君が社長になったと新聞で知ったとき、先ず四十いくつかの若さで死んだ奥田陸平のことを思い出したな。奥田は、何としても社長になりたかったんだ。そのことがあの男の執念であった。だから死ぬときにそのことで未練が残って、死んでも死に切れぬ思いであったに違いない。あの世からこんな社長室を見たらなおさら怨念を燃やしているだろうよ。」
「いったい、君は、何をいいたいんだ。」

作品の話

 源氏鶏太の長編小説は、ほぼ全てが雑誌または新聞の連載で発表されているのですが、唯一の例外がこの「永遠の眠りに眠らしめよ」で、1977年8月、彼唯一の書き下ろし作品として、集英社より出版されました。 執筆にほぼ2年の年月が費やされているそうです。

 申し上げるまでもなく、源氏鶏太は明朗サラリーマン小説で一世を風靡した方ですが、1965年ごろからそれまでの作風に行き詰まり、源氏自身が次への展開を相当模索した節が認められます。その結果行きついたものが、従来の「快男児が登場して勧善懲悪で終る」作品とは全く正反対のサラリーマンの恨みつらみを背景とした「妖怪変化」ものです。

 その最初が1970年に発表された短編「幽霊になった男」であり、この作品は長編「口紅と鏡」と共に、第5回吉川英治文学賞を受賞しました。この点からも、1970年代は、源氏の作風から言えば、「妖怪変化時代」と言うべきであり、実際にこれらが登場する短編小説を数多く執筆しています。その妖怪変化ものの到達点が、「永遠の眠りに眠らしめよ」です。

 主人公は東京丸の内の新築高層ビル15階にある一流機械メーカー、東和機械工業の社長田原宇一郎です。田原は、もともと周囲からは社長の器ではないと考えられており、また自分でもそう思っていたのですが、前社長の今西が不慮の急死を遂げたことで、思いがけず社長に就任します。

 田原は、同期入社が五人おりましたが、何れも、戦死したり、女性問題でしくじったりして、今会社に残っている人は誰もいません。ところが、田原が社長に就任してまだ二か月だというのに、かつての同期が次々と田原の前に現われては嫌がらせをします。これは勿論同期たちの嫉妬ですが、調べてみると、この同期は、全て死亡しており、田原の前に現れたのは全員亡霊でした。

 田原は、彼と共に亡霊をみる秘書・滝沢と共に、亡霊の出現の原因とその対峙の方法を考えます。そして、前社長の今西、田原、かつての同期で早く亡くなった奥田がそれぞれ淡路島に関係し、また、田原の前に現われた幽霊全てが淡路島と関係することが判明して来ます。そして、それらの先祖の墓が数年前の豪雨で流されて、荒廃していることが分ります。そして、田原は、荒廃した墓を修復し、亡霊たちを、「永遠の眠りに眠らしめる」のでした。

 源氏鶏太は明朗小説から「妖怪変化時代」へ移行し、ブラック・ユーモアを含む毒のある笑いを提供しました。そして最晩年は、また普通の作品に戻って行きますが、「永遠の眠りに眠らしめよ」は、その「妖怪変化時代」の代表作となりえています。

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