時計台の文字盤 

さわりの紹介

 「お宅の総務課に畠山俊彦さんという方がいらっしゃるでしょう?」
 「畠山俊彦・・・・・」
 古沢新介は、すぐ、あの男か、と思い出した。一応、仕事の出来る男、であった。背も高いし、顔立ちだって悪くない。若い女に好かれそうなタイプ、と見て来た男であった。
 すでに約束の十分は、過ぎかかっていたが、古沢新介として、席を立つ訳にはいかなくなっていた。
 「いるでしょう、部長さん」
 青野は、おっかぶせるようにいった。
 「います」
 古沢新介は、答えた。
 「悪い奴ですよ、畠山俊彦という男は」
 「悪い奴」
 「だって、うちの季志子を自殺未遂においやったんですからね」
 「・・・・・・」
 「正直にいって、殺してやりたいくらいに思っているんです」
 「・・・・・・」
 「嘘だとお思いなら部長さん、どうかあの男をここへ呼んで下さい。私は、対決してやります」
 青野は、次第に自分の言葉に自分で興奮してくるようであった。放っておいたら手に負えなくなるようである。勿論、ここで古沢新介は、畠山をすぐ呼びつけることを考えぬではなかった。しかし、それは下策というべきであろう。この場で二人が面と向かったのでは、恐らくお互いにいいたいことを勝手にいって、結局は、醜悪な泥試合に終るだけであろう。ということは、古沢新介が、立場を失うことになる。公平な第三者になり得ないことになる。古沢新介は、ここでは青野のいい分だけを聞いておこうと思った。その後で、畠山のいい分を。そして、場合によっては、季志子の。古沢新介は、この問題に関しては、そこまで必要になるような気がしていた。

 「いや、その前に、あなたのおっしゃりたいことをお聞きしておきましょう」
 「部長さん、責任を持って下さるでしょうな」
 「責任? どういう意味ですか」
 「勿論、この会社の取締役総務部長としての、そんな悪い社員を持った責任です」
 「どういう意味かよくわかりませんが、お話を聞く以上、善処することをお約束します」
 「安心しました。やっぱり、思い切って、会いに来てよかったようです。そのことをいちばん心配していたのです」
 「そう軽々しく安心されると困ります。とにかく、どうしてうちの畠山が、そんなに悪い奴なのか、お話し下さい」
 「おお、そのことでした。娘と結婚の約束をしてホテルに連れ込んでおきながら急に結婚は困るといい出したのです」
 「で、困るといった理由は?」
 「要するにホテルへいったん連れ込むことに成功したら結婚が厭になったのでしょう。いや、初めから娘を騙す魂胆であったに違いありません。それで娘は、完全に傷物にされたのです。だから、憎いのです」
 「そのことは、娘さんがおっしゃったのですか」
 「そうですよ。初めはなかなかいわなかったのですが、叱ったりなだめたりしているうちにとうとう泣きながら白状したのです」
 「勿論、畠山の名もおっしゃったのですね」
 「最後に」

 「そのことで畠山に何んとかおっしゃったのですか」
 「あの男、いくら電話をかけても会う必要がないというのです。それで私は、本当に憤ったんです」
 「で、私のところへいらしたんですね」
 「当然でしょう、部長さん」
 「わかります」
 「だからといって部長さん。私がいくら貧乏暮しをしていても慰藉料を出せなんて言っているのではありません。誤解しないで下さい。自殺未遂まではかった娘に対して、誠意を見せて貰いたいのです。そうです。お金のことは、ニの次です。私は、そういう男なんですからね」

Tの感想・紹介

 「時計台の文字盤」は、1973、4年ころ連載された新聞小説で、単行本は1975年3月に新潮社より出版されました。源氏鶏太晩年の作品のひとつです。源氏鶏太は、長く「サラリーマン小説」を書く作家、とされてきました。この「時計台の文字盤」に登場する人物も、バーのマダムなど数人の例外を除けば、全てサラリーマンかOLです。しかし、ここに登場するサラリーマン達には具体的な仕事が与えられている訳ではなく、設定が「サラリーマン」というだけに過ぎないことに注目すべきでしょう。

 これは、別にこの作品に限ったことではなく、源氏鶏太はサラリーマンを主人公にしてその人間関係は書いて来ましたが、ビジネスはほとんど描いてきませんでした。多くの場合、源氏の小説に出てくるサラリーマンは総務部か人事部の所属であり、営業、企画、開発といったビジネスの最前線で活躍するサラリーマンを主人公や主要登場人物に置かなかったことが、その証拠のひとつと申し上げましょう。

 日本で、サラリーマンという職業が成立したのは、1920年前後と言われ、この階層が成立したことにより、男女の職業分離が進み、一般家庭においても専業主婦が出現しました。即ち、お父さんの収入だけで生活を営める階層ですね。この階層は、ある時期まで平均的な日本人にとっては理想の階層であり、女性にとって、専業主婦は当然いきつくべきゴールであったわけです。源氏鶏太は、国民の多くが目指していた、そして現実にそうなっていったサラリーマン社会を舞台にすることにより、その社会の持っている標準的なあるいは理想の形を示すことによって、サラリーマンに憧れをもった階層に、その倫理観を示して行きました。それは勧善懲悪作品として昭和20年代後半から30年代前半に結実したのですが、サラリーマン社会の成熟に伴って、昔の規範がそのままで維持できなくなってきました。特に性的な側面に関しては、「結婚まで処女でいる」という倫理観が、崩れてきました。

 「時計台の文字盤」は、そのような倫理観の崩れが進行する中で、男にしてみれば、結婚の相手は処女が当然、という感覚がまだ生き残っていた時代の作品です。

 この作品には、沢山の女性が登場しますが、その全てが、結婚前に処女を失ったか、失ったと疑われる人です。青山季志子は、畠山俊彦とホテルに行きますが、その前に瀬沢修平と旅先で「一回の過ち」を犯します。俊彦は、結婚を口実に季志子をホテルに誘うのですが、処女でなかったことを理由に婚約を解消します。季志子は妊娠し、自殺未遂をはかります。

 小沼悠子は、この作品の主人公ともいうべき古沢新介の息子の新太郎と肉体関係を持ちながら、母の勧めで大金持の男と結婚します。菱田素子は、有田との新婚旅行中に、山で遭難死した昔の恋人戸田との関係を疑われ、夫のもとを飛び出してきます。新太郎の親友、三原康吉は社内結婚でしたが、妻の成子が結婚前に付き合っていた岡山が、成子との閨房の様子を酒席で言いふらしたため、夫婦関係がこじれていきます。新太郎に思いを寄せる末岡久代も一見清純そうですが、男とホテルに行っているという噂があります。35歳のオールドミス、山村実子は姉御肌で大変魅力のある女性ですが、彼女が未婚でいた理由のひとつに、婚約者とホテルに行ってその後捨てられた、ということがあります。

 こういった傷ついた女性たちの間を取りもって全体に関るのが、古沢新介です。大手企業の取締役総務部長で55歳。すでに妻を亡くした男やもめですが、世間のことを良く知ったヒーローです。息子の新太郎も、爽やかな若者に描かれています。この二人に山村実子を加えたトリオが、処女を失った女性たちと彼女達と結婚した或は結婚しようとする男性達を応援します。登場人物達は、それぞれ纏るようにまとまり、新介と実子は結ばれて大団円となります。

 女性の社会進出がますます進み、性的なバリアーが下がってきた現代において、この30年前の感覚は、表だって語られなくなっています。しかしながら、男性の処女崇拝は表面的には見られなくなったとしても、深い所ではまだ残っているかもしれません。一方、女性たちの感覚に関していえば、今になってみれば、古くなっていることは間違いないようです。

 作品としては、なかなか楽しめるものですが、21世紀の感覚で読めば、古さを感じずにはいられません。風俗小説の難しさ、と申し上げる所です。

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