地上七階
さわりの紹介
どうやら津島高治は、和子と東田を結婚させたがっているようだ。それほど、東田を高く評価したのであろうか。しかし、私にはそのように思われなかった。かりにそうだとしたら、私と似ていることになる。私は、嬉しかった。
しかし、津島和子が、果して、東田と結婚する気があるかどうかである。恐らく、今は、その気がないのではあるまいか。それも結局は、津島高治が好きであるために。更にいえば、私という女を見て以来。
しかし、思えば、私よりも津島和子の方が、余ッ程、純情なのである。私の方は、人妻なのだ。人妻でありながら津島高治に好意を寄せている。しかも、現に、自分の良人を横において、いろいろと不逞のことを考えているのである。これは、ある意味で、恐ろしいことなのだ。許されぬことなのだ。私は、ここへ出る決心をしたとき、深沢と津島高治の二人を前にして、自分の心がどのように動揺するかをたしかめたいと思った。それによって、今まで自分の気のつかなかった本心が覗かれるかもわからない、と。そして、私が知ったのは、良人には、まだまだ未熟なところがあるけれども、津島高治の前に出して、すこしも恥ずかしくない人間であること。更に、私が愛している良人であること。しかし、同時に、私は、津島高治のよさをあらためて感じさせられたこともたしかであった。恐らく、こん後、私は、ますます、津島高治に惹かれていくのではあるまいか。かつての私は、その危険を感じて、避けようと努めてきたのである。が、今は、避けようとの努力を放棄したくなっていた。勿論、そういうことはいけないに決まっている。
(でも、あたしの場合は、あくまで精神的であって、それ以上には、決してすすまないんだわ)
しかし、精神的だからいいという理由は、成り立たないのである。ある場合、肉体的な間違いよりも、寧ろ精神的な間違いの方が、罪の重いことだってあり得るのだ。それに、今のところ私は、あくまで精神的のつもりでも、どういうキッカケから、それを踏み越えんとも限らない。私は、決して聖人君子ではないのだ。平凡な女に過ぎないのである。
こういうふうに考えてくると、今夜の津島和子の方が、遥かにまっとうである。とにかく、彼女は、独身なのだ。二人がその気になったら結婚の可能性があるのだ。彼女は、さっきりからどちらからかといえば私の味方になってくれている津島高治に対して、深い悲しみを味わっているかもわからない。しかし、だからといって、私には、同情する気が起こらないのであった。ライバル意識ばかりが旺盛になってくるのであった。
作品の話
「地上七階」は「主婦の友」に1963年6月号から翌64年12月号まで19回にわたり連載された長編小説です。単行本は65年2月に集英社から出版されました。
源氏鶏太が一番活躍したのは1955年から1960年過ぎの数年間で、その間に、彼の代表作の多くが執筆されています。また、彼の作品のパターンの多くは、それまでに殆どが出尽くしています。そのピークが終焉した1962-3年ごろになると、次の作風の模索が始まりました。この「地上七階」は、そのような模索の中から生まれた作品のように思われます。
タイトルの「地上七階」とは、マンモス団地の七階建てのアパートのことで、作品の主人公は、その最上階に住む若い共働きの夫婦の妻。この妻、深沢亜古は25歳。出版社に勤める婦人雑誌の編集者。夫は、化粧品会社の宣伝部に勤める28歳のサラリーマンで、三年前に恋愛結婚して以来、円満な夫婦生活を送っています。
「地上七階」は、この深沢亜古の一人称小説です。彼女の心の動きで作品が進行していきます。その意味で一種の心理小説です。
亜古は深沢と結婚する時に、もう一人の候補東田がいました。深沢と東田は親友同士でしたが、親友同士で亜古を取り合い、亜古はより寡黙で誠実な深沢を選んだいきさつがあります。亜古は深沢を深く愛してきましたが、半年程前から、夫婦の聴きの予兆が出現しました。すなわち、亜古の心の奥に、いつしか津島高治の名が刻み込まれ、亜古が深沢と夫婦の営みを行っている時にも、津島の面影が現れ、彼女は津島を密かに愛しはじめていることに気付きます。
津島はグラフィック・デザイナーで、まだ33歳の若さですが、既に一流の地位に迫りつつあり、殊に亜古の上司の編集長は彼の才能を高く買っていて、何かと仕事を頼み、亜古もその関係で、しばしば彼の家を訪れます。彼は代々木の高級アパートに、一人で住んでいます。結婚経験はあるが、妻とは結婚一年後に離婚し、その後その妻は自殺しています。半年程前、亜古が仕事で津島を訪ねたところ、彼は、39℃の高熱を出して苦しんでいました。見るに見かねて亜古は、編集者の立場を越えた親密さで津島を看病しました。それが密かなる愛のきっかけかも知れません。
といって、亜古は深沢を裏切ったという訳ではありません。彼女は夫を深く愛していたし、彼の妻であることに誇りすら感じることがあるのですが、それでも津島を思う気持はつのります。他方、夫の浮気の疑いに対しては、嫉妬で気が狂わんばかりになります。そういう非論理的なエゴイスティックな感情は、亜古の人間的な部分をよく表していて秀逸です。
結局、津島と亜古との関係は、二人が大阪に取材出張を行ったとき急速に接近して、接吻するところまでいきますが、これを津島を愛している和子に見咎められ、それを機に、亜古の津島への思いは急速に冷えていきます。しかし、津島と亜古との関係は、夫の深沢に知れることになり、破局の危機に至ります。この夫婦の危機は、亜古の父親の矢代徹と彼をひそかに慕う河岸節子の助けで回避され、亜古は、深沢との愛の巣である地上七階の部屋に帰って行きます。
このように、「地上七階」では妻の精神的不倫を取り上げており、源氏鶏太的なユーモア小説とは完全異なった作品です。シリアスな雰囲気が作品全体を支配しています。しかし、源氏鶏太の良識は、亜古を悪女にすることを拒否しています。また、一方で、「主婦の友」という雑誌の特性と、時代の要求も、それ以上の徹底したストーリーも求めなかった、ということがあると思います。そのため、21世紀の今日的目から見ると、作品としての物足りなさが残ります。結局、源氏鶏太は、このような実験的な作品を書いてはみたものの、この方向での発展をすることはありませんでした。
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