停年退職
さわりの紹介
「そうね。そして、あたしでお役に立ちそうなことがあったら、いつでもおっしゃって」
「その節は、よろしく、頼む」
章太郎は、軽く頭を下げた。そんな章太郎を、郡司道子は、しみじみとながめて、
「結局、矢沢さんって、明治の生れ、ね」
「いまさら、何をいい出すのだ」
「大正生れならともかくとして、昭和生まれの課長さんでは、矢沢さんのようにはなさらないでしょうね、ということ」
「こっとう品だ、ということでもあるんだな」
「違います」
「わかっている。が、あと十年で、六十五歳なるのだ」
「そして、あたしが三十九歳」
二人の話題は、しぜんに、勝畑が電話をかけてくる以前に戻った。
「ところで、君の相談というのは?」
「さっきからいってるじゃァありませんか」
「すべて、本気だったのか」
「冗談や思いつきだとでも思っていらしったんですの?」
「でもないんだが」
「あたし、ね」
そのあと、郡司道子は、しばらくためらっていてから、
「今、二つの問題に引っかかっているのよ」
「二つの?」
「一つは、ここのマダム、といったところで、雇われなんだけど、それにならないかといわれているんです」
「あとの一つは?」
「・・・・・、結婚」章太郎は、自分でも顔から血の気が引いていくのがわかるような気がしていた。しかし、それを郡司道子にさとられたくなかった。ビールを飲むことで、それをかくそうとしながら、落ちつきをうしないかけていた。
「結婚・・・・、するのか」
「矢沢さんのご返辞によっては」
「いやないい方だよ、それは」
「ごめんなさい。ちょっと、からかってみたかったんです」
「・・・・・・・・・」
「二つの話は、ほとんど同時に持ち上がったのよ」
「・・・・・・・・・」
「ここのママさん、もう四十五歳なんです」
「僕は、まだ三十七、八かと思っていた」
「だって、大学にお入りになる息子さんがおありですよ」
「そうだったのか」
「もちろん、パトロンは、おありよ」
「当然のことだろうな」
「ところで、ママさんとしては、あと五年ぐらい今のままで、と思ってらしったんですけど、息子さんが、この商売をいやがるんですって」
「わかる」
「やめてくれ、というんですって」
「それも、わかる」
「で、パトロンさんとも相談して、やめる決心をなさったんです」
Tの感想・紹介
「停年退職」は、1962年1月24日より11月23日まで、302回にわたって「朝日新聞」に連載された長編小説。源氏鶏太中期の代表作である。
主人公、矢沢章太郎は北陸T市の旧制高等商業学校を卒業して、直ちに東亜化学工業に勤めたサラリーマンで、現在厚生課長。妻は5年前に病死。月給80,000円。半年後に停年退職の日が迫っている。
ある夜、中学校時代の同窓会の帰りに、章太郎は、会社の部下の坂巻広太に会い、すでに停年退職した先輩・田沢が愛人と経営するバーに案内される。章太郎は、広太を日頃から好ましく感じており、密かに娘ののぼるの結婚相手にと空想している。しかし、のぼるは、勤め先の赤倉商事のエリート社員・青島謙吾に失恋し、その悲しみに打ちひしがれている。
章太郎の現在の悩みは、停年退職後の就職先がまず第一である。章太郎にも後にバーの雇われマダムになる郡司道子という愛人がいる。章太郎は、就職出来なかったら、田沢のように道子にバーをやらすか、それとも碁会所でも開くか、と思案している。一方では、部下の女事務員・小高秀子が、妻子ある建築技師・井筒雅晴と不倫しており、秀子は井筒より捨てられようとしている。秀子は、井筒と別れるようになるのは章太郎のせいであると誤解して、逆恨みしている。
小高秀子の不倫問題は、章太郎と道子、広太の活躍で解決する。しかし、停年まで三箇月に迫った時点で、章太郎は厚生課長から参事室勤務に移される。章太郎のかすかな希望は課長の現職で停年を迎えたいと云うことであったが、会社の派閥争いの犠牲になる。
広太は、遊びに行った章太郎の家で、のぼるを見初める。のぼるは、失恋の痛手から抜けることができず、はじめ断るが、広太の一途な思いに心を動かされ、最後は結ばれる。章太郎の再就職先は、思いがけない縁から、東部製薬のクラブの管理人に決まる。
傷心の小高秀子は会社を辞め、大阪の叔母の家に寄寓するが、そこで良縁に恵まれ、結婚することになる。9月1日。章太郎の停年退職の日。退職慰労金363万円。これを貰い、挨拶回りを済ませ、社員食堂で最後のライスカレーを食べ、郡司道子と共に、小高秀子の結婚式に出かけるのであった。日本のサラリーマンの終身雇用制度を維持する車の両輪が、年功序列の給与制度と定年制度である事は、よく知られています。終身雇用制度は、昭和の戦前期に大企業を中心に始まり、戦後は広い範囲に広まりました。戦前の日本の男子の平均寿命は47歳ぐらいでしたから、55歳で停年退職する、ということは、ほとんど人生を全うすることに等しい事でした。一方、戦後日本人の平均寿命は急に延び、この作品が書かれた昭和30年代半ばには、男子の平均寿命が約65、女子は70になろうとしていました。即ち、停年退職しても10年以上、人生が残っている、ということでした。この当時は、まだ年金制度も充実していなかったので、停年で会社を辞めるということは、サラリーマンにとって非常に大きな転機であったと思われます。その転機に臨んだ男のつらさとあきらめ、そして、それに負けない元気が本作には溢れています。
源氏鶏太は、元々住友に勤めるサラリーマンで、この作品を書いた1962年は丁度50歳。自分の会社の先輩たちが、定年で辞める時期でした。この身近な状況が、矢沢章太郎の焦燥感にリアリティを与えています。
しかし、一方で、当時の大企業の課長の生活の水準の高さもよく書かれています。章太郎の家には住みこみのお手伝いがおり、更に、愛人の郡司道子には、毎月定期的に小遣いをあげているわけです。
その後の停年延長で、現在多くの企業の定年は60歳となりました。しかし、男子の平均寿命は80歳に近づき、定年後20年の人生を過ごすことが必要になります。その意味で、章太郎が感じていた焦燥感は、現在のサラリーマンにとってますます身近でしょう。それに対して、課長の経済的地位の低下は、著しいものがあります。会社から貰う自分の給与だけで、お手伝いを雇ったり、バーのママにお手当てを払える課長さんはもういない筈ですから。
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