大願成就

さわりの紹介

 三室は、これ以上、敬子にいわせてはならぬ、と思った。でなかったら、話の方向が、自分の方へまわってくるかもしれない。三室は、高森から、その愛情を告白されたときから、この敬子を自分もまた、好きになっていると自覚していたのであった。
 「今夜は、そういう話、よそうじゃアないか」
 「あたしは、聞いていただきたいんです」
 敬子は、後へは退かれぬような口調で、
 「恥ずかしいけど、あたし、いいます」
 「恥ずかしいことは、いわない方がいい」
 「でも、いわずにはいられないのです」
 三室も、こうなったら、聞いておこう、と思った。聞くだけは聞いて、はっきり、引導をわたせばいいのである。三室にとって、それはつらいことだった。しかし、いくらつらくても、実行すべきなのであった。
 「いってみたまえ」
 「あたし、部長さんが大好きなんです。」
 間髪をいれないで、三室がいった。
 「しかし、ことわるよ」
 しかし、敬子は、負けていなかった。
 「いくらことわられても、好きです」
 「いくら好かれても、ことわる」
 「意地悪ねえ」
 「そうなんだ」
 「あたし、泣きたくなったわ」
 敬子の声は、涙ぐんでいた。もとより、覚悟していたことだが、こうも冷酷無残に拒絶されると、やっぱり、絶望的にならずにはいられなかった。
 「泣くのは、よせ」
 「泣きません。だから、あたしを好きになって」
 「好きになりようがないじゃアないか」
 「いいえ、好きにさえなってくださったら、いくらでも、方法があります」
 「いっておくが、僕には、子供もあるし、年も違い過ぎる」
 「そんなこと、あたしは、かまいません」
 「結婚してくれ、というのか」
 「いけません?」
 「冗談じゃない」
 「あたしは、本気です。きっと、いい奥さんになります」
 「駄目だ」
 「では、あたしを、米林妙子さんのようにしてください」
 「米林妙子?」
 「あのひと、杉野さんと・・・・・」
 さすがに、敬子は、あとをいいよどんだ。
 「君は、正気か」
 「正気ですわ」
 「米林妙子のような女を、軽蔑していたのではなかったのか」
 「軽蔑していました。だけど、今は、違います。うらやましいくらいに思っています」
 「もっと、自分を大事にしろ」
 「大事にしています。だからこそ、三室さんに、こんな恥ずかしいことを、お願いしているんです」
 「君には、高森君が、いちばん、ふさわしいのだ」
 「部長さんは、あたしの心を知っていて、どうして、そんなことをおっしゃいますの?」
 敬子は、責めるようにいった。三室は、答えられなかった。
 「あたしは、部長さんが好きなのです。そういうあたしを高森さんに押しつけるなんて・・・・・」
 「押しつけているわけではない」
 「結局は、いっしょですわ。高森さんに、悪いとお思いになりません?」
 「しかし、高森君は、君が好きなのだ」
 「あたしは、部長さんが好きなのです。いっしょに死んでもいい、と思っています」
 「死ぬのは困る」
 「だったら、あたしを好きになって」
 こうまで愛されては、それこそ、男冥利につきる、というべきであろう。まして、三室は、この女が好きなのだ。

Tの感想・紹介

 「大願成就」は、1958年に261回に渡って、「高知新聞」他九紙に連載した新聞小説。昭和30年代前半は、源氏鶏太が最も作品を量産していた時期で、脂の乗り切った傑作が多いです。この作品は、会社乗っ取りを題材にした作品ですが、源氏が書いた全ての乗っ取り物の中で一番の傑作といって良いと思います。

 日新工業株式会社総務部長三室大麓は38歳で、奥さんが昨年亡くなった男やもめです。ものすごい汗っかきで、冷房のない会社にいると、ハンカチを1日4枚必要とします。自ら洗面所でハンカチを洗っているのですが、これを代わりにやるのが小宮敬子24歳です。敬子の父は、明和工業の経理課長をしていたのですが、上司の平田常務と吉井経理部長のために不正を行い、その責任をとって辞職したのですが、その後復職することなく、二人を恨んで亡くなります。母親もその後を追うようにして亡くなりました。この敬子に思いを寄せる青年が高森章造です。

 日新工業は関連会社の倒産により、資金繰りがたちいかなくなります。一度は三室の活躍で立ち直ったものの、財務状態が良くありません。これを回復すべく、三室は増資を主張しますが、社長の豊島や、営業部長の杉野は明和工業からの資金受け入れを選択します。敬子の敵である平田と吉井は、社長と常務に出世しています。最初は、無条件の資金貸与というふれこみだったのですが、実際は、明和工業から主要部長と重役を受け入れ、日新工業は実質的に明和工業の傘下に入ります。社員は皆降格。三室も総務部次長。例外は社長と杉野営業部長だけでした。

 乗りこんできた社員は、肩で風を切り勝手のし放題。生えぬきの社員達の不満が募ります。しかし、生えぬき社員にも、新上司にすりよって、スパイ役をするものもおり、社内の雰囲気は殺伐とします。明和工業は、生え抜き派のリーダーである三室を止めさせるべく画策し、高森ら、生え抜き社員の人事異動の中止と引き換えに三室は退社します。

 退職後も三室は、明和工業から平田、吉井を追い出すべく二人の不正を探りだします。その結果、二人は、下請け企業にリベートを沢山要求するという背任行為を行っていることが分りました。また、杉野も社長のために裏金作りに精を出していました。三室はこの事実を持って大株主の支持を取りつけ、株主総会で、4人を退任に追いこみ、三室は日新工業の専務として復帰します。

 敬子は、三室をずっと慕います。一番の苦境の時でもその思慕の念は変わりません。三室もそんな敬子を本当は好きなのですが、高森と敬子のことを思って、その思いを断ち切ります。

 所詮は勧善懲悪の非常に形式化された作品です。しかし、主人公の三室大麓の造形が非常に魅力的であること、敬子を初めとする女性達が、悪役の米林妙子を含め皆魅力的であること、悪役達を会社から追い出す方法が、彼らの背任行為を証明すること、と弱者が強者を打ち破るのに、リアリティがあることなどがあって、作品に奥行きと膨らみが感じられます。源氏鶏太の代表作の一つといえます。

 映画化は1959年松竹大船による。11月29日封切り。深沢猛製作。生駒千里監督。高橋貞二、佐田啓二、桑野みゆき、石浜朗、小山明子他の出演であった。

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