青年時代

さわりの紹介

 これでも伊勢次郎は、小笠原満子とあんなことになった以上、相沢舞子のことを忘れて、小笠原満子のいう相沢舞子の亡霊から解放された伊勢次郎となって、一日も早く結婚すべきだと思っているのである。日々にその努力を続けているつもりであった。しかし、そういう努力を続けるということは、逆にいえば、日々に相沢舞子のことを思いつづけているということにもなってくる。
 (いったい、あんな女のどこがいいのだろうか)
 自分でそう思ってみる。たしかに美しい女であった。美しいという点では、あるいは小笠原満子よりも上といっていいだろう。が、如何なる事情があったにしろ、あんな有井時三のような男とつき合っていたのだ。しかも、別に婚約者がありながら。婚約者こそ、いい面の皮ではないか。また、縁もゆかりもない伊勢次郎に、いきなり一夜の道化役者になってくれといったのだ。心ある女のなすべきことではなかろう。あげく、伊勢次郎から身体を要求されて、
 (あたし、結婚出来なくなりますわ・・・。せっかく幸せになれかかったのに・・・・)
 と、いうような虫のいいことを涙声でいい、その涙を伊勢次郎に吸わせることでゴマ化してしまったのである。
 こういうふうに考えてくると人間としての相澤舞子には、いいところなんか一つもないことになってくる。エゴイズムのかたまりのような女であった。もうそう断定しておいて間違いないようだ。
 (しかし・・・・)
 またしても伊勢次郎は、そういいたくなるのであった。なるほど、相沢舞子は、そういう意味では悪女であったようだ。それは認めていいのだ。しかし、相沢舞子の身辺に漂うていたあの憂愁の気配は、大きな魅力となっていた。しかも、彼女は、女としても一流の風格をそなえていた。百人の中の一人の女、といっていいだろう。相沢舞子には、小笠原満子が持っている母性的で、しかも、庶民的なよさはすくない。だから、結婚するのなら、小笠原満子のような女というのが常識であろう。しかし、相沢舞子には・・・・。
 伊勢次郎は、そこまで考えて来て、
 (よそう、これ以上考えるのは)
 と、思った。
 考えれば考えるほど、胸が苦しくなってくるだけだし、自分自身を軽蔑したくなってくる。こうなったら時の経過をたのみにするの他はない。このままで、一か月二か月と過ぎていけばしぜんに相沢舞子への思いも薄れて行くだろう。そして、その上で、小笠原満子との結婚に踏み切ればいいのである。

作品の話

 「青年時代」は、月刊女性誌「マドモアゼル」に1964年1月号から翌65年3月号まで15回にわたり連載された長編小説です。単行本は65年6月に集英社から出版されました。

 源氏鶏太の一番典型的な作品は、サラリーマンの快男児が登場して、最後は勧善懲悪に終るというものですが、このようないかにも大衆受けする作品は、1950年代に最も多く量産されました。そのため、源氏はサラリーマン小説家、ユーモア小説家というレッテルを貼られるわけですが、初期作品は、ユーモアよりもペーソスや悲哀のある作品も少なくなく、最初の長編小説である「火の誘惑」などは、時代が背景としてある風俗小説です。人気作家になるにつれて、源氏鶏太自身のもっていた毒の部分は表に強く出さないようにして、ニーズに対応した作品を多く発表しました。しかし、60年代になり、彼も自分のスタイルに飽き足らなくなった部分があったのでしょう。色々なスタイルの作品に挑戦しています。この「青年時代」も、源氏鶏太模索の時代の一作と位置付けられると思います。

 主人公は伊勢次郎、28歳。S物産の総務課に勤めている。健康で、その若さを持て余しているような青年で、酒に強く、身体つきも堂々としており、どこか爽やかな青年といったイメージを与えるサラリーマン、と書かれている。これまでの源氏作品で、こういう好印象の青年が出てくると、彼は、「坊ちゃん」的活躍をする、と相場が決まっていたのですが、この作品では、この好青年が道化を演じます。

 次郎には、将来結婚するかもしれない高野品子という女友達がいます。ただ、次郎は漠然と結婚は30まではしたくないと考えていたので、彼女の攻勢に逃げ腰です。ある日、彼女から「重要な話があるのであって欲しい」と言われたときも、いやいやながら十時過ぎに会う約束をします。しかし、その夜、銀座の雑沓の中でミステリアスな美女、相沢舞子に時間を訊かれたとき、彼女に一目ぼれします。品子との約束をすっぽかし、その夜だけ舞子の婚約者として振る舞うことになります。

 舞子は、妻子ある有井時三・有井建設専務と深い関係にあったのですが、ある男との結婚を決意したとき、有井が邪魔になったので、次郎を婚約者に仕立てて、有井と別れる口実にしようとしたのでした。

 次郎はこの役を上手くこなしましたが、その日から舞子のことを忘れられなくなります。この次郎のありさまを見て、かねてから次郎に好意を持っていた小笠原満子が、次郎の「臨時恋人」として立候補するのです。次郎の心は、「幻の」舞子と「現実の」満子との間で揺れ動きます。その最中、舞子から電話が来、次郎は舞子の元に行ってしまいます。この時、満子は身を引きます。しかし、舞子の婚約者・吉野栄一と次郎との間の揺れ動く気持を見て、次郎は自分でも訳の分らぬ空しさに襲われて、舞子から離れていくのです。こうして、彼の青年時代は、三人の女性との別れで終りを告げたと感じるのでした。

 主人公を、これまでの源氏作品の典型的青年として描きながら、実際の中身は、ミステリアスな女性を追いかける恋愛小説です。設定自身は現実離れしており、かつある意味ではニヒリスティックな作品でありながら、戯画化もされているという点で、ちぐはぐな作品に仕上がっていると思います。その意味で「青年時代」は、源氏鶏太の晩年のブラックユーモア的作品に至る、過渡的な作品と言ってもいいのかも知れません。

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