爽やかな若者

さわりの紹介

 課長が外から帰って来て、
「おい、矢貝君。」
 と、呼んだのは午前十一時半頃であった。
 しかも、その顔色が変わっていた、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。この課長が一平太にこんな顔をすることは珍しいのであった。それを見ただけで一平太には、おおよそ察するところがあった。
「何でしょうか。」
 一平太は近寄って行っていった。
「今、社長に呼びつけられて聞いて来たのだが、君は、社長の息子さんに向って、昨夜実にひどいことをいったり、したりしたそうではないか。」
「とんでもない。ひどいことをいったり、したりしたのは、寧ろ洋一くんの方ですよ。」
「しかし、社長は、そういってなかったぞ。もう、カンカンなんだ。」
「それは要するにダメな社長ということです。」
「君、社長に向ってそんなことをいっていいのか。本当に馘になるぞ。」
「馘?」
「社長がそういっていられるのだ。だから僕は、とにかくあやまらせるからといって引き下がって来たのだ。」
「私は、あやまったりしませんよ。」
「では、馘になる。もう決ったようなものだ。君は、それでもいいのか。」
「よくありませんが仕方がないでしょうね。そのかわりついでに社長にも辞めて貰いますよ。」
「社長に辞めて貰う? 君は、たかが平社員の癖に気でも狂ったのか。」
「いいえ、正気です。ただ、あのバカ息子のいうことを一方的に聞いて、こっちのいい分を聞かないようでは、社長としての資格がないと思ったのです。」
「君のいい分とは?」
「そもそもですよ、課長。」
 一平太は、簡単に過去の経緯を話した。課長は、流石に信じかねているようであったが、一平太の平常からして嘘をいう筈がないと思ったらしく、
「すると、バカ社長にバカ息子だ、ということになると君は、いうのか。」
 と、低い声でいった。
「そうですよ。」
「しかし、社長は、君がその女のことで、せっかく洋一君との間で話が円満についていたのに、横から邪魔を入れるどころか、更に洋一君を脅かしたと信じ込んでいる。そんな社員は、この会社においておけぬといっているのだ。」
「課長、私は、これから社長のところへ行ってきます。」
「おい、大丈夫か。」
「大丈夫にも何も、このままでは腹の虫がおさまりません。また、洋一君と女の問題の解決にもなりません。」
「まァそうだな。」
 しかし、課長は、曖昧にいっただけで、では自分もいっしょに行ってやろうとはいわなかった。よくよく社長が恐いのであろう。一平太にしたところで、こういうことで課長にこれ以上の迷惑をかけたくなかった。

 一平太は、部屋の外へ出ると、昇助にバッタリ会った。
「おお、君に話したいことがあって来たんだ。たった今、僕は、課長にさんざん叱られたんだ。」
 そのことで昇助は、興奮しているようであった。
「叱られた?」
「昨夜のことでだ。だからむしゃくしゃして、どうしてくれようかと君に相談に来たのだ。」
「僕だって課長から叱られたんだ。それでこれから社長のところへ談判に行くつもりなんだ。行って本当のことをいってやろうと思っているんだ。」
「よーし、一平太。こうなったら二人で社長のところへ行こう。」
「行ってくれるか?」
「その方が君だって、一人で行くよりも心強いだろう?」
 一平太は、昇助といっしょだからといって、殊更に心強いとは思わなかったが、しかし、どうせ二人共馘になるのならこの際、昇助にもいいたいことをいわせておいてやろうと思った。その方が心残りがなくてすむに違いない。
「頼む」
「いいってことよ。」
 昇助は、胸をポンと叩いてみせた。
 二人は、秘書室の方へ歩き始めた。何か勇気凛々としてくるようであった。しかし、それだって裏を返せば、緊張と不安からくる戦慄であったかも知れない。
 向こうから、庄司専務が歩いてくる。庄司専務は、一平太を見ると、
「どうだね、その後、木戸さんのお嬢さんとつき合っているんだろうな。」
 と笑顔でいった。
「つき合っておりません。」
 一平太は、ぶすっとしていった。この男が木戸大介と組んで、密かに会社合併を考えているのだと思うと、腹が立ってくるだけであった。
「どうしてなんだ。」
「好きになれないからです。」
「君、そんな勿体ないことをいっていいのかね。」
「仕方がありません。」
 庄司専務は、しばらく一平太を見ていてから、
「そうか。」
 と不機嫌にいって、歩いて行ってしまった。
 その後姿を見送りながら昇助は、
「ふん、裏切者めが!」
 と吐き出すようにいった。

作品の紹介

 「爽やかな若者」は、『週刊ポスト』の1972年3月17日号から12月22日号まで連載された作品で、彼の後期の作品の一つです。内容は、源氏の最も得意とした、快男児の若きサラリーマンの主人公が登場して、勧善懲悪で終るというものです。源氏鶏太は作家生活の初期から中期にかけてこのような勧善懲悪の作品を量産しておりましたが、昭和30年代後半から、このような勧善懲悪の作品はあまり書かなくなってきました。彼の晩年は、名作「幽霊になった男」で始まるブラックユーモアの世界に足を踏み入れ、そこでも新たな境地を見せました。

 そのような時期に書かれた昔ながらの勧善懲悪作品。大家が『お仕事』として書いた、安心して読める作品ですが、同工異曲でもありマンネリでもあります。しかし、戯画的作品ではありますが、単純な善ではないが軽薄で憎めない雁部昇助のようなキャラクターを出したところが、後期の後期たる由縁でしょう。

 主人公の矢貝一平太は、本社の人間が150人ほどのニ流の印刷会社「極東印刷」の社員です。総務課勤務で、同期入社の雁部昇助と親友の間柄です。一平太は両親が早く亡くなったため、祖母の月子と二人暮しですが、この祖母がはっきりした気性の女性で、一平太に対し、「人生の垢を身につけることは仕方がないが、石鹸で洗い落とせぬような垢は身につけてはならぬ」というような人で、一平太はこの祖母を深く尊敬しています。

 昇助は軽薄で女性に惚れっぽく、これまでも色々と問題を起こしてきたのですが、今度は出張先の札幌で懇ろになったホステスゆり子を妊娠させてしまいます。昇助は、ゆり子との関係を何とか清算しようと、その処理を一平太に頼みます。一方、課長からは、社長の息子とその恋人である藤江祥江を別れさせてくれるように頼まれます。社長の息子洋一は、祥江と別れることを拒みますが、祥江が妊娠していることを知ると、一方的に別れを宣言します。

 ゆり子と祥江の相談相手は、二人の友人で義侠心の強い小松稚加子です。昇助は、稚加子にこてんぱんにやられますので、あのでしゃばり女、と評判が良くありませんが、一平太は彼女に惹かれます。一方、昇助と見合をした木戸みどりは、昇助の親友である一平太と知り合うと、さっさと一平太に乗り換えます。みどりの父親は大金持で、極東印刷の大株主でもある木戸です。木戸は息のかかった重役・庄司専務を通じて一平太を呼び出して、みどりと付き合う様に頼みますが、一平太は、会社の合併を画策する木戸を信頼出来ません。

 結局、一平太は会社の中での立場は悪くなるのですが、その大車輪の活躍で、祥江に対して社長に謝らせることに成功し、更に、昇助とゆり子との関係もうまくまとまるのでした。


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