御身

さわりの紹介

 目を覚ましたとき、自分がどこにいるのかわからず、ちょっととまどってしまった。いつもの自分の部屋でないことだけは、たしかなのである。しかし、すぐにホテルなのだ、と気がついた。ホテルのダブルベッドの上なのだ。ああ、とかすかなため息を漏らして、
(とうとう、外泊してしまったのだ!)
 まず、弟になんと弁解したものであろうかと思いわずらった。
 長谷川は、向こうむきになって、おだやかな満ち足りたような寝息を立てていた。私は、その背中にしがみつき、顔を埋めるようにして寝ていたのだ。自分でも思いがけぬ姿勢であった。そのことが、自分の長谷川への偽らぬ感情を現しているようだった。思えば、こんなはずではなかったのだし、あくまで「事務的」で通すつもりであったのだ。
(しかし、今日で、何もかも終わりになるんだわ)
 しかし、まさしくその日を迎えた私の気持ちは、そのことを喜んでいないのであった。むしろ、悲しんでいる・・・・・・そういう自分を、私は、憎みたくなっていた。
 長谷川が目を覚まさないように、私は、そうっとベットから降りた。スリッパがひやりとする。まだ、六時を過ぎたばかりであった。渋谷の高台にあるこのホテル全体が、ひっそりと寝静まっているようであった。
 テーブルの上には、昨夜飲んだビールびんとか、食べ残した物をのせたさらなどがおいてあった。きたならしいだけだ。それらを音のしないように片づけておいて、すこしカーテンを開いてみた。
 五月の朝空は、さわやかに晴れ上がっていた。目黒一帯の家々が、窓の下の方にひろがっていた。しかし、どの家もまだ眠っているようであった。じいっと、それを見ているうちに、何かやるせない思いがひたひたと押し寄せてくるようだ。
 うしろで動く気配がした。振り向くと、長谷川が寝返りを打ったのである。何か口の中でいっていたようだが、そのまま静かになってしまった。たしか、四十歳なのである。決して美男子ではないが、憎めない顔をしていた。不潔でもなかった。
(もし、あたしのこういうことが和気さんに知れたら?)
 私は、身ぶるいを感じた。長谷川とこういう関係になるとき、私は、和気年久をあきらめようと決心したはずなのである。その決心は、今でも変わらない。しかし、知られることはいやだった。死んでもいやだ、と思っている。けいべつされるに違いないであろうから。私は、だれにけいべつされようともかまわないが、和気年久にだけは、けいべつされたくなかった。虫がいいとはわかっている。
 私は、ふろ場へ行って、昨夜の湯を捨てて、新しい湯と入れかえた。長谷川は、その音にも目覚めぬようであった。私は、一人で浴槽に体を沈めた。
(二十四歳のあたし・・・・)
 私は、自分の体を他人のような目で、ジロジロとながめまわしていた。長谷川は、いい体をしているな、とほめてくれた。だからといって、乱暴に扱ったりはしなかった。やさしく、いたれり、つくせり、であった。とはいうものの、私は、長谷川以外の男を知らないのである。和気なら、どのように扱ってくれるであろうかということは、ひそかに思ってみたことがあるけれども。長谷川の愛撫を受けているときにそういう空想をして、二重の喜びを味わったことがないとはいい切れないのである。
 私は、石けんをたっぷり使って、体のすみずみまでも洗った。胸底から何かが込み上げてきて、目頭が熱くなってきた。
(ああ、泣くんだわ)
 私は、涙の流れるにまかせておいた。自分ながら感傷的になっているとわかっていた。こんなことは、はじめてなのである。今ごろになってこういう感傷に襲われようとは、思ってもみないことだった。けれど、それはそれで、悪くなかった。涙の玉は、石けんのあわの中に、次々に吸い込まれていった。

作品の話

 「御身」は「婦人公論」(中央公論社)1961年6月号から翌62年9月号まで連載された長編小説です。

 源氏鶏太の初期の作品のヒロイン像は、細かいところに異同はあっても、基本的に中流家庭の子女であり、明朗活発な女性というのが相場でした。影のある女性や悪女は、ヒロイン達のカウンターとして登場することはあっても、主役にはなりえませんでした。ところが、1960年ごろから単なる明朗な女性だけではなく、傷を背負った女性たちを主役に作品を発表するようになってきました。その嚆矢がこの「御身」です。

 「御身」は源氏鶏太の小説にしては珍しく、主人公の矢沢章子が一人称で語る形式をとっています。「鏡」、「僕と彼女たち」など、そういう形式の作品は他にもあるのですが、少ないです。この主人公の目で語るというスタイルは、主人公に対する感情移入をしやすくするという点、並びに作品のリアリティの無さを補うという意味で、この作品では成功しています。また、主人公矢沢章子の心の動きを容易に示すという点でも成功していると思います。

 主人公の章子は24歳。両親は既になく、弟の利夫と二人、六畳一間のアパートに暮らすOLです。章子は虎ノ門の商事会社に、弟は浅草の玩具会社に勤めています。あるとき、弟が、上司の課長のお金30万円を落して無くすという事故が起してしまいます。月給12000円の姉と10000円の弟にとって、30万円などという大金は、どうしたって返せるものではなく、自分の身体を30万円で買ってくれる人を探すのです。

 京橋のバー「K」のマダムに相談したところ、長谷川電器の社長、長谷川を紹介してくれました。長谷川は奥さんとは死別していて独身ですが、銀座のバーのママと渋谷の料亭のおかみの二人の愛人がおり(二号と三号)、更にお金持ちで美人の未亡人から結婚を申し込まれているという艶福家でした。章子は、事情を知った長谷川に、30万円先払い、愛人契約期間6箇月という条件で買われることになりました。

 章子には、既に接吻を何度もして、将来は結婚するだろうと思われる和気年久という恋人がいました。長谷川とこういう関係になった以上、章子は和気と結婚することは出来ないと思い、和気と別れようとします。和気は、諦めようとはせず、章子に付きまといます。章子は、和気に対する未練もあるのですが、愛人長谷川にも大いに引かれます。この辺の葛藤は、現在の性感覚からするとかなりナイーブです。

 この間、弟の利夫にも恋人ができます。名前が咲子。咲子は母親と二人暮しなのですが、咲子のOLとしての収入だけでは到底暮らして行くことが出来ず、会社の部長の愛人となって、手当てをもらっています。このことを知った章子は、自分のしていることは咲子と何ら変わりが無いと思いながらも、利夫と咲子は別れて欲しいと願います。咲子の姿を、姉に頼まれた長谷川が弟に知らせます。弟は大いに苦悩しますが、結局咲子を選ぶ、と言います。

 そうこうしている内に、章子と長谷川の関係も6箇月になり、契約期間満了になります。6箇月の関係でお互い大きく惹かれるようになった二人は、結婚したいと思い始めます。しかし、最初の30万円のことが頭に引っかかり、そのまま愛をはぐくむことが出来ません。そこで、半年間お互い別れて暮し、半年後もお互い好きだったら結婚しようということになります。メデタシメデタシです。

 話の設定にはかなり無理があり、所詮おとぎ話です。しかし、おとぎ話の枠の中でみれば、章子の心の動きを見事に描いています。

映画化

映画は、1962年10月20日に封切られています。大映(東京撮影所)の作品。白黒。シネマスコープ。島耕二監督。舟橋和郎・石松愛弘脚本。叶順子、宇津井健、六本木真、弓恵子、岸正子、他の出演でした。

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