鬼の居ぬ間

さわりの紹介

 やがて、南平は、田部家の奥座敷で、雪子の父親、田部左門と向かい合っていた。なるほど、左門は、見るからに、一徹者らしい、鍛え上げた風貌をしていた。もう、五十五、六歳であろう。しかし、はじめに、青山工業専務取締役の肩書つきの名刺を出してあるので、南平は、丁重に扱われた。
「実は、今夜、お伺いしたのは、お嬢さんのご縁談のことですが。」
「それは、わざわざ、恐れいりまする。」
 左門は、謹厳にいった。
「わが社の社員が、かねがね、お嬢さんを、遠くから見そめていまして、ぜひ、結婚したいのだが、と私まで相談に来たのです。」
「なるほど。」
「ご承知の通り、近頃の青年は、好きだと思うと、すぐ、誘いあわして、かの城跡へ行って、接吻をしたりするんですが-。」
「さよう。まことに、苦々しき世相と、わしは、思うとります。」
「全く、同感ですな。ところが、その社員は、若いに似ず、軽挙妄動を慎しむタチでして、先ず、ご両親の許可を得てから、交際なり、婚約なりをしたい、といっているのです」
「いや、その一言、痛く気に入りました。」
「しかも、その社員は、品行方正、人物もしっかりしていますし、末は重役・・・・。まアそういったところです。」
 南平は、真面目な顔でいった。今までは、仲人口というものを軽蔑していたが、自分だって、その衝に当れば、同じことなんだな、と流石に心の中で、苦笑していた。
「不束かな娘のために、専務さんが、それ程の人物をご推薦してくださるとは、光栄至極と思いますぞ。」
「いやいや、それも、要するに、お嬢さんが美しくて、おしとやかだからです。」
「いや、美しいなどとは、決して思っとりませんが、しかし、専務さん。」
「ええ。」
 田部左門は、膝をすすめるようにして、
「世間の娘のようなふしだらな真似だけは、絶対にさせてありません。この田部左門の娘です。清浄潔白、ご信用下さい。」
「勿論です。」
「ところで、何かの約束をするにしても、やはり、わしが、一度、その人にお目にかかってからでないと。」
「勿論ですとも。」
「お名前は、何んといわれますか。」
「鎌田正八です。」
「何?」
 田部左門が、急に、顔色を変えたので、却って、南平の方が、ドキッとなった。
「鎌田正八、間違いありませんか。」
「間違いありません。しかし、どうかしたんですか。」
「すると、すぐそこの角田さんとこに下宿している?」
「そうです。ご存じですか。」
 とたんに、田部左門は、わッはッは、と笑ったのである。
「専務さん。鎌田正八が品行方正とは、あきれ返りますぞ。」
「何んですって。」
「もし、専務さんが、ご存知でないなら、おしえてあげましょう。あの男は、半年程前に、中華料理店のアバズレ女に惚れて、あげく、捨てられたんですぞ。」

Tの感想・紹介

「鬼の居ぬ間」は、昭和30年1月〜12月、「小説新潮」に連載された。12回の連載をそれぞれ、第一話から第十二話と12のエピソードに分け、それぞれが一話完結でありながら、全体としてストーリーがつながるという形式をとっている。

タイトルの「鬼の居ぬ間」の「鬼」とは女房のこと。昔から『鬼の居ぬ間の命の洗濯』というが、主人公の丹木南平も、単身赴任を機会に浮気を欲する。しかし、この主人公、欲するだけで、それを実行に移す勇気は全くない。二号志願の女が、自分の寝床に入って来るだけで、びっくり仰天して逃げ出すという小心者である。

丹木南平は、大阪の財閥大友工業の一課長に過ぎなかったが、大友工業が傘下に入れた青山工業の専務取締役として、瀬戸内海沿岸の人口7万人の城下町M市に単身赴任してきた。彼は、M市に赴任する時、『単身赴任することが、あたかも、社命であるかの如き言辞を弄して』奥さんを大阪に置いて来たのは、折あらば、の好機を狙ってであったが、折角の好機も醜態を示すのがおちである。

しかし、丹木南平は正義の人であり、人情家でもある。ミスMコンクールでは、当選したい女性たちが、審査員である南平のところに尋ねて来ては、キスまでしようとするのだが、役得を拒否して、断固公正な審査にこだわる。社員が不正をして売り掛け金の回収に手心を加えている時は、勇気を奮い起こして、土地のやくざの親分と折衝する。一方で、頑固親父の娘と恋愛した若手社員のためには、一肌抜いて、恋愛の成就に力を尽す。

この南平の強い味方が、万年平社員の目崎勝次郎である。目崎は現営業課長の田島と同期入社であったが、田島の計略に乗せられて、社長には「無責任な男」との烙印が押されている。しかし、その評価にもめげず、誠実に仕事をしている。これを南平は見ぬき、最も困難と思われる売掛金回収に同行させ、回収を成功に導く。

古い田舎的エピソードと、南平の正義感と小心ぶりとがない交ぜになって、そこはかとないおかしみが漂っている。昭和30年当時の地方の下宿屋は、となりの部屋とふすま一枚で隔てられているに過ぎず、また、男女がとなり同士で住むことがあるという設定だが、現在と比較してプライバシーの意識があまりなかったことが窺える。

映画は、昭和31年4月公開。東京映画の作品で、制作が滝村和夫、瑞穂春海監督、白黒。主な出演者は、森繁久弥、小暮実千代、嵯峨三智子、淡路恵子、松島トモ子、藤木悠であった。


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