奥様多忙

さわりの紹介

「まア、羨ましい」
と、直子さんは、いかにも羨ましそうな顔をして、
「あなた。たまには、あたしにも、おすしぐらい食べにつれていってよ」
「よしよし」
「よしよしって、いつなの?」
「そのうちに、だ」
「いつも、そのうちにで流れてしまうんだから、奥様って、本当に損よ、悠子ちゃん」
「あら、そうかしら?」
「そうですよ。だから、悠子ちゃん、今のうちよ」
「しかしだよ」
と健太郎さんが云った。
「世の中で、奥様稼業ほどラクなことはないと云うぜ」
「まア、ひどい」
「だって、考えてごらん。亭主は、外で一所懸命に働いて、毎月、ちゃんちゃんと月給を持って帰るんだ。奥様は、それを使えばいいのだ。上役にペコペコする必要もないし、満員電車にすし詰めにされながら、出勤する苦労もいらない。食べていく、と云う点では、こんな気楽な稼業はないよ」
「あなた!」
「何?」
「あなたは、本当にそう思っていらっしゃるんですか」
そろそろ、直子さんの表情がおだやかでなさそうだ。それを見ると、健太郎さんは、しまった、と云う顔をした。
「いや、おれ自身は、別に、そう思っているわけでないんだ。ただ、会社の連中が、よくそう云っているんだよ」
「あなたさえ、そう思っていなさらないのなら、あたし、安心ですわ」
「うん」
「でも、御参考までに奥様とは、いかに多忙で、気苦労の多いものであるか、と云うことをくわしく申し上げてみましょうか」
「いや、わかっているよ」
「どう、お分かりですの」
健太郎さんは、苦笑した。いつでも、やりこめられてばかりいる。それが残念でならないのだが、しかし、ここで反撃に出たら、その三倍ぐらい、更に、逆襲される恐れがある。どうやら、沈黙に限るようだ。

Tの感想・紹介

「奥様多忙」は、昭和29年から30年にかけて、婦人雑誌「主婦と生活」に連載された。

本篇は典型的なホーム・ドラマ。源氏鶏太は、サラリーマン小説の大家だったが、軽妙なホーム・ドラマもよく書いていた。「七人の孫」と本篇がその代表作である。

時代は昭和20年代末。「もはや戦後ではない」と言われたものの、神武景気に始まる日本の高度成長時代の直前であり、奥様は多忙であった。テレビも、電気冷蔵庫も、電気洗濯機もまだ普及する前の時代で、普通の主婦は、「掃除、洗濯、子供の勉強、おやつの心配、靴下の修繕、そして食事の心配」で休む暇もなかった。私は、この文章を1985年刊行の講談社文庫版によって書いているのだが、カバーのイラストが電気掃除機を持った婦人の絵である。昭和20年代末に掃除機はほとんど一般家庭に普及していなかった筈であり、内容とは一寸そぐわない。

登場人物は、丸の内の永楽商事庶務係長桜井健太郎さん33歳と、奥さんの直子さん27歳、長男の健一君(小1)の一家に山田さん、青山さん、太田さん夫妻が隣人として絡む。健太郎さんには次郎さんと云う独身の弟がいて、お小遣いが足りなくなると、お兄さんのところに借りに来る。直子さんには妹の悠子さんがいる。悠子さんは、親の決めた婚約者を嫌って、田舎の富山から家出をして上京し、義兄の家に居候している。
忙しい、奥様稼業に反発した直子たちは、山田夫人を中心に4人で「日本主婦連盟」を結成する。これに恐れを成した亭主達もまた「日本亭主連盟」で対抗する。
山田氏がある晩酔っ払って、おでん屋の女将に送られて帰ったところを、山田夫人に見つかったところから夫婦喧嘩が勃発。山田氏は家出をする。彼は、夫人と離婚して、おでん屋の女将と再婚しようとするが、女将に亭主がいることが分かり断念。夫がいなくて淋しくなった夫人と仲直りする。
一方、喧嘩友達だった悠子さんと次郎君とは接近して最後には結婚にいたる。

登場人物に悪人はおらず、一寸した行き違いがトラブルになる、古典的なホームドラマである。

映画は、昭和30年5月公開。松竹京都の作品で、制作が市川哲夫、穂積利昌監督、白黒。主な出演者は、大坂志郎、水原真知子、七浦弘子、田浦正巳、伴淳三郎であった。


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