流れる雲

さわりの紹介

 宇沢登志子は、翌日円山課長が出勤してからまもなく、二号応接室で話し合った。
「実は、ゆうべ銀座で佐波君に会ったのだが」
 円山課長がそこまでいうと、
「申しわけございません。実は、あたしも」
 と、登志子は、頭を下げた。
 その顔色は、睡眠不足のようにさえていなかった。
「ほう、どうして?」
「課長さんからはきょう佐波さんからのおことばが聞けるとわかっていたのですが、どうにも待ちきれなくなって、東京駅へお見送りに行ってしまったのです」
「だったら、いまさらぼくがくどくどいう必要がないわけだな」
 円山課長は、かえってそのほうが手数がはぶけてたすかるというような言い方をした。
「発車の時刻が迫っていたので、詳しくはあす課長さんからお聞きするようにということでございましたが、結論だけはちゃんとお聞きしました」
「結論だけでたくさんだろう?」
 登志子は、ちらっと円山課長を見て、
「はい」
「要するに、佐波君は、倉田君なんかダメな男だといっていた」
「それもお聞きしました」
「今後かりにきみたちが会う場合があっても、絶対に卑屈になるなということも?」
「それも・・・」
「じゃア、ぼくとしては、あらためて何もつけ加えることがない」
「ほんとうにいろいろとご迷惑をおかけして」
「まア、バカな部下を持った報いと思ってあきらめているから、きみは特別に気にすることはない。しかし、今後どうする?」
「倉田さんにお会いして、ほんとうのお気持ちをじかに聞いておきたいと思っております」
「まだみれんがあるということなんだな」
「みれんにはちがいありませんが、それだけではないつもりです」
「どういうことだね」
「こうなったら、あたしにも多少はいいたいこともございますから」
「わかるよ。反対をしない」
「きょうにも会っていただけるように電話してみるつもりです」
「会ってくれるかな」
「もしいやだとおっしゃったら、倉田商事の前に立っているつもりです」
「名案だな。ぼくとしては賛成でないが、しかし、きみの気持ちだってよくわかる。やりたいようにやっておくことだ。そして、そのあと、きれいさっぱりとしてしまうことだよ。うしろにはぼくがついている」
「課長さんのご恩は一生忘れません」
「そんなにおおげさにいってくれるな。これでもてれ屋のほうなんだから」
「ほんとうにいいてれ屋でいらっしゃいます」
「ひやかしているのか」
「とんでもございません」
「ぼくはね、ゆうべ佐波君にもちょっといっておいたんだが、だれかいい結婚の相手を捜してやろうか」
「あたし、当分の間、だれとも結婚いたしません」
 登志子は、きっぱりとしていった。おそらく本音であろう。が、円山課長にとって安心なのは、きょうの登志子が妙にめそめそしていないことだった。これでも佐波大造のことばを伝えるとき、涙ぐんだりされるのではあるまいかと気を重くしていたのである。が、その話は、ゆうべのうちに聞いたという。そして、ゆうべいろいろと苦しみを通して、ようやく何か胸に期すところができたのであろう。それならたのもしいのである。見上げてやってもいい。しかし、そういうたのもしさがいつまでも続くかとなると、円山課長は、うかつに安心していられぬと思うのであった。

Tの感想・紹介

 「流れる雲」は、1963年7月1日から翌1964年8月20日まで毎日新聞に連載された連載小説です。源氏鶏太の数ある作品の中でも、評価の高い作品の一つで、源氏最高傑作という人もいるほどです。私は、確かによく書けている作品ですが,女性を主人公とした一連の風俗小説の流れの中で見ると、同工異曲の作品が多く、この作品の持つ独自な魅力や味わいには乏しいと思っています。

 主人公は、両親と死別し、サラリーマンの弟・康吉と二人暮しのOL、宇沢登志子25歳です。登志子には恋人がいます。それは倉田商事の社長令息、倉田徳行です。徳行の父親徳造は、登志子が両親のいない貧しいOLであることを理由に徳行と登志子の結婚に反対しています。両親との反対を押し切ってでも登志子と結婚したい徳行は、ある土曜日、登志子と共に旅行に出かけることにして、午後7時、東京駅で待ち合わせます。

 しかし、登志子はその晩、東京駅に行くことはありませんでした。「失恋した」という弟の康吉が雷雨の中をずぶぬれで帰って来て、その世話を焼いているうちに、時間を逸してしまったためです。東京駅で登志子を待つ徳行は偶然、大学時代の友人・佐波大造の妹、周子と出会います。周子は一人旅をしようと出かけたものですが、予ねてから好きだった徳行が一人で待ちぼうけしていたことから、そのまま二人で旅行に出かけます。

 一方、倉田商事社長・倉田徳造は、K商事との宴会の途中、家からの電話で徳行が登志子と家出をしたことを知らされます。徳造は意気投合したK商事の営業一課長で、徳行の同級生・佐波大造に、この家出の顛末の解決を依頼します。大造は、あくる月曜日、登志子の会社に、予ねてから兄事していた登志子の上司・円山課長を訪ね、登志子の人となりを聞こうとします。そこに家出した筈の登志子が居て、これまでの顛末を聞くのです。

 大造は、登志子の味方になろうと決心いたします。そして、円山課長共々、登志子を応援します。5日ほどして、徳行が帰ってきます。周子と一緒に旅行してきた徳行は、登志子に別れを告げます。この理由を知った大造は、また苦悩するのでした。

 この作品で、源氏は大造を「坊ちゃんタイプ」のかっこいいヒーロー、徳行を悪役にしたてて見せますが、私は、徳行をそんな悪人には思えないのです。確かに偶然のタイミングはあるかもしれないけれども、一緒に旅行をしようと約束した恋人が現われず、代りに美人で自分を恋うている女性が来れば、一緒に旅行したからといって、大きく責められるべきでは無い様に思うのです。その意味で、徳行と登志子の恋は、タイトルの「流れる雲」そのもので、流れた雲がくっついたり離れたりするように、一寸したタイミングで人の気持ちなど、大きく変化するもの、と言えるのかも知れません。

 この作品では、前述の他にも何人かの登場人物がいますが、誰も完結しない、というのも特徴です。完全懲悪で悪が徹底してやっつけられることもなければ,ヒーロー・ヒロインが結ばれて幸福になるのでもありません。将来はともかく、作品の中の時間範囲では、状況の変化と明確化があるだけです。源氏は、作品の中身では、善悪二元説をとって、悪役を明確にしていますが、作品の構成全体では、善が勝ちもしなければ、悪が滅びもしない、ただ状況が流れて行くだけです。

 こういう作品の書き方をしたのは、それまでの勧善懲悪型サラリーマン小説からの脱皮を考えていた証左のように思えます。ただ、それが源氏の作品にとってよかったかというと、私はあまりよくわからないのです。 


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