娘の中の娘
さわりの紹介
「どうしたら、お二人が、ご結婚できるだろうか、と考えていたもんですから。」
桂子は、うまく、ゴマ化したが、石岡は別に、気を悪くしたようでもなく、
「そうなんです。僕は、解決策として、先ず、細川君が、もう一度、東京へ戻って来ることが第一だ、と思うんです。今のまま、田舎にいたんでは、きっと、結婚させられます。そうなってからでは、遅いですからね。」
「そうですわ。」
「次は、野村が、お母さんを説得することです。しかし、この方は、ヒマがかかりそうだし、あとまわしにすることにして、その前に、細川君の上京を促すことです。細川君が、結婚をすすめられている相手というのは、細川君のお父さんが、深い義理というか、恩というかそういうもののある人の息子なんです。が、相当道楽者らしい。細川君にとって、先の不幸が見えているような結婚なのです。細川君は、嫌なんです。細川君のお母さんは、細川君に気持ちを汲んでくれているらしいのですが、お父さんの方は、頑として、聞かないんだそうです。」
「そういうこと、どうして、わかりましたの?」
「細川君から野村に、手紙が来たんです。ということは、僕は、細川君が、野村に、一大決心をしてくれ、といっていることだ、と思うんですよ。」
「あたしも、そう思いますわ。」
「ところが、野村には、まだ、最後の決心がつかないんです。」
「ダメねえ。」
桂子は、つい、そのようにいってしまった。じれったいくらいだった。
「そうですよ。だから、気の弱いってことも、悪徳だといってやっているんです。お母さんには、これから、いくらでも親孝行をするチャンスがあるから、一時的に、親不孝者になってしまえ、といっているんです。そう思いませんか。」
「思いますわ。もし、野村さんが、本当に、細川さんがお好きなのなら。」
「野村は、細川君以外の女とは一生、結婚しない、といっているんです。それはいいとして、万事に消極的です。どうして、そういう決心を、積極面にまわさないかと、歯痒くて仕方がない。」石岡の口調は、熱を帯びている。青年らしい情熱が、溢れているようであった。桂子は、その情熱をまともから浴びて、いつか、陶然とした気持ちにすらなっていた。
Tの感想・紹介
「娘の中の娘」は、1958年1月より12月にかけて月刊誌「小説サロン」(講談社)に連載された長編小説。
主人公、西方桂子は高校を卒業した二十歳の娘。父親の西方道介は大手企業の部長職で、家族は、弟の道夫がいる。他に姉の愛子がいるが、愛子は父親の反対を押し切って3年前に結婚し、行方知れず。母親は、姉の結婚の心労で死去。家庭内に問題はあるものの、西方家は経済的には恵まれ、桂子が働きに行く必要はない。
しかし、桂子は勤めに出る。父親の紹介してくれた会社ではなく、学校時代の親友の細川英子が田舎へ戻るのを機に退職した東亜電気工業に入社する。東亜電気工業には、細川英子と相愛の野村と、野村の親友の石岡宏がいる。石岡には桂子の先輩の阪本淑子が片思いをしており、桂子を牽制する。東亜電気工業の取引先の社長の息子関口俊太に結婚を前提につきあって欲しいといわれ、石岡との間で思い悩む。
桂子は、石岡と共に、野村と細川英子との間の恋愛をうまく解決し、その間に姉の愛子を探し出し、父親に許してくれる様に頼み、自分自身も石岡と結ばれる。昭和30年代のサラリーマン社会と社会風俗とがよく描かれている作品。この頃は、大企業の部長の家にはまだ女中がいたし、良家の子女にとっては、結婚にまだ父親の影響が強く残っていたし、会社の女子事務員の仕事は、お茶くみと新聞の切り抜き、それに帳簿への記帳、だったということも分かる。東亜電気工業は社員50人ほどの会社なのに、総務部に15人も社員がいるのは、現在の感覚からいえば、かなり多い、というところだろう。
源氏の作品は、どれも発表当時の社会風俗をうまく捉えていて、そのディーテイルの違いが時代の変化を感じさせる。本篇は、登場人物が、普通の中流家庭の人ばかりなので、現在と40年前の社会の違いがよく分かって興味深いものがある。
一時講談社文庫でよめた。現在絶版か?
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