三日三月三年

さわりの紹介

 ドアがあいて、秀子が帰ってきた。
「お待ちになったでしょう?」
「いや、思っていたより早かったくらいだ」
「なら、よかった」
「それより、電報が来ているよ」
「まあ、電報が?」
 秀子は、緊張した面持ちで、京助から電報を受け取った。京助は、電文を読む秀子の横顔をじいっと見ていた。秀子は、くちびるをかみしめるようにした。
「さっき、ぼくが、このへやのドアのかぎをあけていたら、向かいのへやの女の人が、これを預かっていて、わたしてくれたんだ」
「そう・・・・・」
「で、ぼくは、悪いと思ったけど、読んでしまった」
「そう・・・・・」
「すぐ、帰らなくちゃあいけないんだろう?」
「今夜は、もう、汽車もないし、帰るとしてもあすだわ」
「きみの郷里は、どこ?」
「福岡よ」
「じゃあ、たいへんだね」
「何が?」
「何がって、汽車賃やなんかがさ。あるの?」
「ないけど、なんとかなるわ」
 秀子は、投げやるようにいった。
「ぼくだって、今夜は文なしだし、この腕どけいでも、あす、質屋に入れたらどうだろう?」
 京助は、自分の腕どけいをはずして、秀子の前に置いた。秀子は、そのとけいと京助の顔を見比べていた。どうせ、京助の持っているようなとけいだから、たとえ、質屋に持っていったところで、わずかにしかならないだろう。それにしても、秀子にとって、その京助の心根がうれしかったにちがいない。感動しているようだった。
 しかし、秀子は、
「バカねえ、そんなに心配してくれなくてもいいのよ」
「でも・・・・・」
「だいじょうぶ」
 はじめて、秀子は、笑顔を見せてから、
「おすしを買ってきたんだけど、おなかすいていない?」
「実は、ペコペコなんだ。だから、今も、水をガブガブ飲んだところだ」
「じゃあ、よかったわけね。あたしも、たぶん、そうだろう、と思っていたの。すぐ、お茶をいれるわね」
 そういって、秀子は、炊事場のほうへ立っていった。京助は、じいっとしていた。これから起るであろうことを空想していた。そのうちに、さっきの安井章子のことが思い出され、さらに、会社の派閥のことが気になりだしてきた。
(おれは、こんなところにいていいのだろうか)
 ぐずぐずしていられぬような焦燥感が襲ってくる。秀子のほうを見ると、ガスの炎を見つめながら、何か、考え込んでいるようである。やっぱり、電報のことが心配なのであろうか。京助は、急に、秀子が哀れに思えてきた。そして、気をきかして、ちゃんとおすしを買ってきてくれた秀子と結婚したら、きっと、しあわせになれるのではあるまいか、とも思った。
 秀子は、振り向いた。
「さきに、お着替えになるでしょう?」
「このまえのように、ゆかた貸してもらえる?」
「貸して、などといわないで、出せ、とおっしゃるものよ」
 秀子は、整理だんすから洗いたてのゆかたと細ひもを出してきた。京助が洋服を脱ぐと、それをハンガーにかけて、まめまめしく、てつだってくれた。
「ぼくたち、まるで、ご夫婦みたいだね」
 京助は、思い切って、いってみた。秀子は、ほおを赤らめたが、
「だって、今夜は、そうでしょう?」
「今夜だけ?」
「そうよ、今夜だけ」
「しかし、ぼくは」
「ちょっと、待って。お湯が沸いたわ」

Tの感想・紹介

 「三日三月三年」は、雑誌「財界」に、1958年4月1日号から翌年8月1日号まで連載された長編小説。1958年は、源氏鶏太の最も充実した時期で、この年には、「新三等重役」、「実は熟したり」、「大願成就」という、源氏鶏太の代表作として重要な作品を発表しておりますし、それ以外にも「娘の中の娘」、「湖畔の人」の連載があり、そしてこの「三日三月三年」がありました。作品の出来としては中途半端で、彼の代表作とするような作品ではないのですが、勢いのある時代の作品だけに、迷いのない作品に仕上がっています。

 主人公の小鷹京助は、二流大学を卒業して入社し、総務課に配属されたばかりの新入社員です。配属三日目に、京助は、係長の南田健太郎の定年退職送別会に出席します。南田は、上司がトイレの個室で用を足しているとき鍵のかかっていなかったドアを明けてしまった、という過去を持っています。そのため、総務課長と同じ大学を出て、5年先輩であるにもかかわらず、係長までにしかなれませんでした。

 送別会で意気統合した南田と京助は、南田の女がやっているバー「ヒルトン」に出掛けます。京助は、ヒルトンでアルバイトしている女子大生の秀子と出会います。京助は酔っ払い、結局秀子の部屋に泊まります。秀子はバーで働いてはいましたが、身持ちが堅く、京助がはじめての男性でした。京助は美人で優しい秀子に一目で惹かれ、恋に落ちます。

 一方、総務課には三年先輩の勝畑庄三や五年先輩の川久保栄一、OLの菱山愛子がいます。勝畑は愛子と結婚したいと思っていますが、愛子は、勝畑を嫌い、京助にモーションをかけて来ます。愛子は、京助に算盤を教えるなど積極的に迫りますが、秀子という恋人がいる京助は愛子の愛情を疎ましく感じます。

 川久保と勝畑はあまり仲良くありません。それは、川久保が専務派、勝畑が社長派だからです。両派から誘われた京助はどのように対処すべきかを南田に相談します。そして、敢えて派閥に属さずに中立をまもり、両派の解体に力を注ぎます。

 会社の派閥争いを横軸に、新入社員の恋愛を縦軸に置いたこの作品は、きわめて源氏鶏太的作品だといえます。同工異曲の作品も多い。その中で,この作品があまり優れているとは言えないのは,十分に書き込んでいないということです。例えば,愛子の友達で安井章子が出てきますが、この章子の役割が全くはっきりしません。また、派閥争いが会社であるにしても、まだ右も左もわからない新入社員を派閥に誘い込むということが、現実ににあったのだろうか、というのも不思議です。その辺の疑問点を、もっとしっかり書き込むことで解決してくれていれば良かったのになあ、と感じます。 


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