見事な娘

さわりの紹介

 翌日の朝の出がけに、母親の豊子が、
 「もし、毛利鈴子さんが、今日もお休みだったら、会社の帰りに、ちょっと、お見舞いに寄ってあげたらいいね」
 と、桐子に云った。
 「ええ、そのつもりでいます」
 奥から、父親の耕造が出て来て、
 「桐子、そこまで、いっしょに行こう」
 「まア、お父さんたら、今日は、バカに早いのね。あたし、傘を持っていこうかしら?」
 「ついでに、雨靴もはいていったら、どうかね」
 と、耕造が、笑いながら云った。
 しかし、豊子は、キョトンとして、
 「こんなに天気がいいのに、雨靴なんか、いるもんですか」
 桐子は、それにさからわず、
 「そうね、行ってきまーす」
 と、耕造といっしょに、外へ出た。
 父と娘が並ぶと、ほとんど、背たけが違わないのである。
 (よくこそ、こんなに美しく、すくすくと、成長してくれた)
 耕造は、桐子と歩くときに、いつも、そう思うのだ。すれ違いしなに、振り向いてくれる人があったりすると、ほこらしい感じさえいだくのである。まして、今日のように、心に憂いがあったりすると、よけいに、そんな風に、思えてくる。
 しかし、桐子は、それとは知らずに、久しぶりに父といっしょに歩けるので、浮き浮きしていた。渋谷に近い、坂の多いこの町の朝は、家々の前が、すでに掃き清められて、空気も爽やかに澄んでいるようだ。
 桐子は、父のカバンを持ってやっていた。そのうちに、両肩をすぼめるように、クスンと笑って、
 「お母さんて、カンがにぶいのね」
 「何?」
 父は、ほかのことを考えていたらしく、聞き返した。
 「だって、さっきの傘と雨靴を、お母さんたら、本気にとって」
 「あゝ、あのことか」
 と、父も、笑って、
 「昔から、あんなところがあったな。そのくせ、人一倍、心配性なんだよ」
 「だから、あたし、お母さん、大好きだわ」
 「すると、わしは?」
 「勿論よ」
 「ありがとう、安心したよ」
 父は、立ち止まって、煙草に火をつけた。桐子は、風上にまわった。最初の一ぷくを吸ってから、父は、
 「桐子の貯金、いくらになった?」
 と何気ないように云った。

Tの感想・紹介

 「見事な娘」は、1954年7月号から1955年12月号まで、「婦人倶楽部」に連載された連載小説です。源氏鶏太は1951年に第25回直木賞を受賞して、一躍流行作家にのし上がったわけですが、その創作活動の頂点は、1950年代の10年間にあったことは疑いのないところです。1954年は、連載小説として、源氏の代表作の一つとして指を折られる「天下泰平」、「青い果実」、「奥様多忙」、そしてこの「見事な娘」が発表されています。この年の長編小説の特徴は、「天下泰平」を別にして、主人公を女性においた作品を多く執筆しました。

 源氏はサラリーマン小説を書くユーモア作家、という括られ方をするわけですが、一方で、日本のユーモア小説の伝統でもある家庭小説も多く手がけました。女性を主人公とする作品の多くは、会社を舞台とするよりも、家庭小説、あるいは恋愛小説的な趣を大とする作品が多いのですが、「見事な娘」は、彼の本流であるサラリーマン小説と、女性を主人公とした恋愛小説の折衷点を見出そうとした野心作です。

 主人公の高原桐子は、22歳の丸の内の東亜商事に勤めるOLです。元気の良い子で、消防訓練の脱出ホースでの救出訓練に自ら手を上げ(なお、この作品が書かれたのが昭和29年であることに注意)、そのおてんばぶりは皆に知られています。そんな桐子にもいくつもの悩みがあります。まず第一は、親の許さぬ結婚に怒って、家出した兄の消息のこと。第二に父親の経営する会社の経営不振。一方、会社の中では同僚の毛利鈴子が、プレイボーイの雪村達夫にもてあそばれて、妊娠させられ捨てられてしまったことを知ります。正義感あふれる桐子は、達夫に文句を言います。そんな達夫の行動に心を痛めるのは弟の雪村志郎です。このほか、会社の男の同僚には、通称西郷さん、新井弥太らがいます。
 
 これらの周囲のトラブルの解決が縦軸とするならば、、桐子の恋愛が横軸になります。雪村達夫と嫂の久美が悪役として登場するのですが、その悪役ぶりがあまりに類型的で、そこがこの作品の底の浅さに繋がります。また、作品の構成的にも、源氏鶏太の作品の多く登場する快男児的主人公は、「西郷さん」だと思うのですが、この作品では、チョイ役の脇役で、そういう点では、多分、源氏が当初考えていた構成では完成しなかった作品ではないかと想像いたします。

 さて、この作品の縦軸が桐子の周囲で起こるトラブルですが、その解決にはお金の力が不可欠です。源氏は、お金のことを細かく書いた作家ですが、この作品もその例外ではありません。父親の事業の助けのために、桐子は、志郎の両親から30000円を借ります。それを返すためにお給料から4000円を毎月雪村家に届けます。この時代の4000円は、かなりの高額ですが、その桐子の真面目さが、お金持ちの雪村家の両親に認められて行くのでした。


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