緑に匂う花

さわりの紹介

 六月の最後の日曜日になった。
 蕗子は山積みしている洗濯物に、午前中をついやした。良平にも、一週間分の洗濯物がたまっている。
 「いいわよ。ついでだから、あたしがしてあげるわ」
 と、蕗子が云った。
 「しかし、そんなにあるのに、その上、僕のものまでして貰ったんでは・・・・」
 と、良平が遠慮した。
 「あら、三上さんは、ご自分で洗濯をするの、大好き?」
 「とんでも無い。大嫌いだね」
 「それごらんなさい。だから、遠慮なんかしないで、こっちへお出しなさい。その代わり、交換条件があるの」
 「交換条件?」
 「ええ。そのバケツに水を五六杯汲んで運んで頂戴」
 「おやすいご用だ」
 「いつも、五郎にさせるんだけど、あの子、近頃、横着になって、水汲みをさせられる頃になると、うまい具合に行方不明になってしまうのよ」
 「無理もないね」
 「あら、三上さんも、そんな主義?」
 「そんな主義って?」
 「たとえばよ」
 と、蕗子は念を押した。それから、ちょっと、顔を赤らめたが、思い切って云った。
 「結婚してからの話よ」
 「僕が?」
 「勿論よ」
 「うん、それで?」
 「あたしも結婚するでしょう?」
 「誰と?」
 「誰とって、誰とでもいいじゃないの。要するに、この話は、全て仮定よ」
 「じゃア、僕と蕗子さんが結婚したと仮定しますか?」
 「それでもいいわ」
 「僕もいいですよ。仮定の話だからね」
 「ええ。あたしがお洗濯をしているでしょう?そんなとき、良人である三上さんは、奥さんであるあたしのために、バケツに水を汲んで来て下さる?」
 「うーむ」
 と良平は唸った。
 「あら、何も、唸ることなんかないじゃアないの。正直におっしゃいよ」
 「正直に云うと、僕は多分、そんな頃になると、どこかへ、うまい具合に行方をくらましそうだな。どうも、今からそんな予感がするね」

Tの感想・紹介

 「緑に匂う花」は、1952年7月より翌年6月にかけて1年間にわたり「講談倶楽部」(講談社)に連載された長編小説。源氏鶏太は1951年上期に「英語屋さん」他で直木賞を受賞しているが、本作は、受賞後、流行作家として各紙誌に初期の名作を続々と発表した時代の作品で、小説としての勢いに満ちている。

 主人公、桑野蕗子は二十二歳の会社員。五男三女八人兄弟の七番目で末娘。三人の兄と二人の姉は結婚して家を出ており、一人の兄は戦死しており、現在は両親と弟の五郎との四人暮らし。父親の謙太郎は58歳。55で停年になった後、そのあと嘱託で置いて貰っているが、その期限があと五ヵ月後に迫っている。蕗子の現在の心配事は、父が退職した後の両親の老後の生活と自分の結婚である。

 結婚している五人の兄姉の内、姉の伸子が夫の転勤で北海道にいるほかは、みな実家のある高円寺から自転車で受ける程度のところに住んでいる。長兄の太郎は、自分の勤める会社の重役の娘と結婚し、庭が100坪もあるような豪邸に住んでおり、女中もいる。次兄の次郎は、売れない画家で、妻の夏子がダンサーをして稼ぐ稼ぎで生活している。三男の次郎は、共稼ぎのアパート暮らし。姉の律子は阿佐ヶ谷に住む。

 蕗子は、父親の誕生パーティを企画し、集まった兄弟たちに、父親の生活費用の分担を提案する。三人の男兄弟で、毎月10,000円ずつ出すと云うもの。そして、太郎が5000円、次郎、三郎が各2500円ずつ負担することに決定する。でも、嫂の達枝は、新民法下、長男が、親の面倒を見る必要はないとして、弟たちが2500円ずつしか出さないのなら、長男も2500円しか出せないと、約束を反故にする。貧乏な次兄はお金を準備できず、集金は前途多難である。

 一方で、姉の伸子は、手紙をよこし、姉の夫の会社の三上良平が北海道から東京へ転勤するので、アパートが見つかるまでの間、桑野家に下宿させて欲しいと、頼んで来る。蕗子には、会社の同僚の野沢康治と兄の三郎の会社の同僚青山から結婚を申し込まれるが、良平の男らしさに惹かれ、承諾しない。

 兄の太郎は、重役の娘を鼻にかける妻との折り合いが悪く、小林道子という愛人を囲う。これが妻にばれて、妻は実家に帰る。一方、次郎は次郎で、夏子がダンスホールの客と浮気をするのではないかと気が気ではない。こう云った兄夫婦のトラブルを解決する手助けを、蕗子・良平のコンビが行い、父親の再就職先も良平の口利きでうまく行き、そして、最後には蕗子・良平が結ばれて大団円。

 本篇は、明かに桑野家という一家庭を真中において、その家庭の問題を描いた家庭小説である。ストーリーは、通俗的ホームドラマの範疇に入るが、本篇の面白さは、ストーリーそのものよりも、その時代背景が否応無しに分かることである。

 昭和20年代後半の作品で、まだ、戦争の影響が見えていること(四男の四郎が戦死している)。兄弟が多いこと(八人兄弟と云う設定は、当時はまだそれほど特別な兄弟数ではなかったことを物語っている)。女子事務員の給料が安いこと(蕗子の給料は7000円で、その内4000円を食費で家にいれるので、服を買うのに三ヵ月も四ヵ月もかかること)。洗濯は洗濯機が無いので、日曜日は午前中一杯かけて、洗濯をしていること、などが事例になる。

 ほぼ、半世紀前の作品になるが、当時の普通の家庭の問題がよく描かれており、楽しめる。

 映画化は、1963年に日活で、タイトルは「若い東京の屋根の下」になりました。主人公の蕗子役は吉永小百合、良平が浜田光夫。監督は斎藤武市でした。

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