丸ビル乙女

さわりの紹介

 ある日、三人は、皇居前広場の草の上に足を投げ出して、結婚の理想について、話しあっていた。会社へは、午後一時まで帰らねばならぬのだが、まだ十五分ばかりある。
 初夏の太陽が、惜しげもなくふんだんに光を降らせていた。
「あたしは、好きなひとと結婚できるなら、手ナベ下げてもいいわ」
 と、信子が主張する。
 そういって、信子は、うっとり、目を閉じた。マブタの裏に、そんな結婚生活を描いている。ちいさい家、夫の月給は、とても安いのだが、しかし、かわいい子どもがふたりぐらいある、つつましい暮らし。映画にも、月にいっぺんいけたら、いいほうなのだ。しかし、せめて庭には、美しい花を植えよう。都会の片すみに、ひっそり、夫婦が寄り添うて、子どもの成長を見まもっていくおだやかな一生・・・・。
 しかし、せっかくの信子の夢は、
「ダメよ、そんなの!」
 と、吐き出すようにいった達子の声に、無残に破られた。
「あら、どうしてよ」
「だって、だいいち、古いわ」
「じゃア、あんたは、お金持ちの相手でないと、結婚しないというの?」
「そうよ。せっかく、結婚するのに、ヌカミソくさい女房になるなんて、まっぴらだわ」
「相当のアプレだわ」
「ううん、あたりまえのことよ。だから、あたしは、お金のある人でないと、絶対に恋愛しないの」
「だって、いまごろの若い人で、お金のあるひとなんか、そんなになくってよ」
「だったら、あたしは、中年の人と結婚するわ。あたし、中年のひと、大好きだわ。教養があって、思いやりがあるし、たのもしくって、なかなか、魅力的よ。若い男なんか、軽薄でいやだわ」
「でも、中年の人には、たいてい、奥さんがあるわ」
「あってもいいわよ」
「まア」
 と、信子は、ほんとうにあきれた、というように、達子の顔を見た。しかし、達子は、ケロッとしている。なにが、そんなにおかしいのだ、といわんばかりの表情である。
 そこで、万里子が、はじめて、口を開いた。
「じゃア、あんたは、二号さんになってもいいつもりなの?」
「そうよ。どうしても好きだ、というひとに奥さんがあったら、あたしは、二号さんになるわ。平気よ」
「不健全だわ!だいいち、親泣かせよ」
 と、万里子が強くいった。
「あたしは、絶対反対よ」
「じゃア、あんた、信子さんの手ナベ下げてもの説に賛成なの?」
 と、達子も、負けていなかった。
「ええ、場合によったら」
「ダメねえ。そんなの、戦争以前の思想よ」
「まア、聞きなさい。あたしのおねえさんは、実をいうと、手ナベ下げても式の結婚をしたのよ。だけど、近ごろになって、しみじみ、あたしにいうの」
「どんなふうに?」
「結婚してみると、やっぱり、ある程度、経済的に豊かでないと、うまくいかないんですって」
「だって、ほんとうに愛し合っていたら」
 信子が、不満そうに口をいれた。
「いくら愛していても、その愛情が長続きしないんだって」
「そんなこといって、いったい、あんたは、どっちの主義なのよ」
 と、達子がいった。
「あたしはね」
 と、万里子は、ニッコリして、
「この世の中で、あたしと結婚することによって、いちばんしあわせになれる男のひとの奥さんになってあげたいのよ」

Tの感想・紹介

 「丸ビル乙女」は、1953年8月より翌年1月にかけて6回にわたり「平凡」(平凡出版)に連載された中篇小説。源氏鶏太は1951年上期に「英語屋さん」他で直木賞を受賞しているが、本作は、受賞後、流行作家として各紙誌に初期の作品を続々と発表した時代の作品でのひとつです。

 学校時代からの仲良しトリオ、滝井万里子は丸ビル5階の東京物産、宮本達子は6階の東和貿易、風速信子は4階の関東電気に勤めていて、昼休みになると、三人は万里子のところに集まって、丸ビル三人組と呼ばれています。この三人は、それぞれ恋愛観がことなり、信子は好きな人と手ナベ下げても結婚したいと思い、達子は、若い男よりお金のある中年の男と恋愛したいと思い、万里子は自分と結婚することによって一番幸せになれる男の人の奥さんになりたいと思います。

 この三人の恋愛観は現実のものとなります。信子は、信子を叱った課長から彼女を助けてくれた同僚、古橋を好きになります。しかし、課長と悪い関係になった古橋は、北海道に転勤させられることになります。信子の家は貧しく、彼女の給料で助かっている部分があり、古橋と共に北海道に行くわけにはいきません。また、信子に条件の良い結婚話も持ち上がり、二人は愛し合いながらも別れることになります。

 達子は、彼女たちに絡んだ不良をやつけてくれた紳士、矢代を追いまわします。矢代は達子に優しく、御馳走してくれたり、お酒を飲ませたりしてくれます。しかし、矢代には病気で伊豆の施設に入院している奥さんがおり、この奥さんを裏切って達子に手を出すということをしません。結果として達子も失恋します。

 万里子は、彼女の会社の隣の会社、日東機械に入社した若林とひょんなことから知り合い、若林が古橋の大学時代の同級生であったことから、信子と古橋の中を何とかとりもとうとします。これは結局失敗するのですが、その関わりあいの中、二人の間に恋愛感情が生まれ、三組の中で唯一恋が成就しそうです。

 ストーリーはある意味で他愛もない恋愛小説ですが、こういう作品を読むと源氏鶏太の本領は長編小説にあるとつくづく思います。この作品もストーリーの骨子がしっかりしているのですが、短い作品で終っているので、肉付きが薄いです。もっと長い連載で、話を膨らませられれば、もっと源氏らしい作品になっていただろうに、と思います。

 尚、源氏は実在のビルや会社を作品の舞台にすることは珍しいのですが、「丸ビル」という実在の建物をタイトルに持って来ているこの作品は、例外的と申し上げてよいのでしょう。ところで、この作品の舞台の丸ビルも、既に新しい高層ビルの丸ビルになっています。50年前の作品なのだなあ、と時代の変化に感慨も一入です。

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