万年太郎

さわりの紹介

 万年太郎が、九州のF工場から、東京の本社へ転勤になる、という噂は、その日のうちに、社内にひろまった。
「おい、万年太郎が、本社勤務になるそうだよ。」
 一人が駆け込んできていうと、
「何、万年太郎が?」
 そう答える顔は、人それぞれで違っていたけれども、ひとしく共通しているところは、如何にも、厄介者、乃至は、持て余し者を迎えるそれであったことであろうか。
「こんどは、おとなしくしていればいいが。」
「いやいや、あの男の性格は、そう簡単に変わるものか。」
「だろうな」
「だから、きっと、本社でも、何かの問題を起こすに違いない。見ものだよ。」
「しかし、ここは、花の東京だよ。しかも、丸の内だ。九州の田舎とは違うんだ。勝手な真似はさせない。」
「そりゃアそうだ。当然だ。たかが、田舎サラリーマンであった万年太郎に、東京のわれわれサラリーマンが牛耳られてたまるもんか。こんどこそ、おとなしくさせてやる。」
「勿論だ。」
「しかし、何課勤務になるのだろう?」
「そこまでは、わかっていない。が、F工場からの連絡では、確かに、汽車に乗せた、今夜の七時過ぎに東京へ着く筈だ、ということらしい。」
「F工場長は、ホッとしているだろうな。恐らく、ゆうべは、祝杯をあげたに違いない。」
「わかる、その気持。F工場長にしてみれば、まるで、時限爆弾を部下にかかえているようで、気が気でなかったろう。」
「しかし、F工場は、だいたい、わが社の中でも、殊に、封建臭の強いところだ。万年太郎は、それに腹を立てたのだ、という説も成り立つらしい。」
「何れにしても、明日は、万年太郎の顔が見られることになる。たのしみだよ。」
「そうだそうだ。どんな男か、よく見てやろうじゃアないか。」
 大昭和工業株式会社の社員食堂は、ひとしきり、万年太郎の噂で持ち切っていた。万年太郎は、いまだに現れる前から、すでにして、社内の注目の的になってしまった感があった。しかし、それは、決して、いい意味ではなく、寧ろ、悪い意味においてである。そして、大多数の社員たちは、万年太郎が、こんどは、どんな問題を起し、どんな失敗をするだろうかと、面白半分にそれを心待ちにしているらしいのである。

 総務課の若原若子は、食事をしながら、はじめのうちは、それを聞いても、たいして、気にとめなかったのである。何故なら、今日のあかずは、若子の大好物であるとんかつであったから。彼女は、万年太郎とかいうおかしな名の男によりも、とんかつを心ゆくばかり味わいながら食べることの方に、より多くの生甲斐を感じていた。
 しかし、とんかつを食べ終って、満腹感を覚えてから、こんどは、万年太郎の話の方に興味を感じはじめた。
 若子は、入社して三年目で、二十二歳であった。中肉中背で特別に美人ではないかもしれぬが、自分では、ちょうど手頃な美人だ、と思っていた。勿論、こういうことは、人にいえないし、いったこともない。しかし、秘かに、そのように信じていた。若子は、現在以上の美人にはなりたくない、と思っていた。何故なら、美人薄命という言葉は論外にしても、あんまり美し過ぎると、却って、男たちが近寄らないか、でなかったら、チヤホヤされ過ぎて、つい、男の選択眼に狂いを生じさせられてしまう恐れがあるから。同時に、若子は、現在以下に容貌が下がっても困る、と思っていた。何故なら、現在以下だと、男たちは見向きもしてくれないだろうし、それでは、せっかく、女と生れた甲斐がない、ということになるから。
 要するに、若子は、分ということを知っている娘なのである。あるいは、そうでありたいと思っている、と言い直していいかもわからない。そして、このことは、若子が育った中流家庭の程よいシツケの影響でもあったろうか。
 若子は、さきにも書いたように、入社三年目であるが、しかし、万年太郎という名を、今までに一度も聞いたことがなかったような気がしていた。それなのに、その男が、本社へ転勤するとなると、突如として、こんなにも話題にされている。
(万年太郎さんて、どんな男かしら?)
 噂の通りだとすれば、きっと、ゴロツキのような男であるに違いない。
(おお、嫌だ)
 若子は、眉を寄せた。

Tの感想・紹介

 「万年太郎」は、1959年1月より12月にかけて12回にわたり「講談倶楽部」(講談社)に連載された長編小説です。この作品は、非常に好評だったようで、1961年に続編となる短編、「北海道の万年太郎」も「講談倶楽部」に発表されました。源氏の作品は、新聞小説や週刊誌への連載小説に比べると、月刊誌に発表した作品は今一つつまらない作品が多いのですが、この作品は、例外的に面白くまとまっている作品です。

 大昭和工業株式会社の九州のF工場から、万年太郎が転勤になる。彼は、喧嘩早くて、酒と女に目がないという噂は、本社でも評判になっていました。総務課の若原若子は、万年太郎の学生時代からの友人、宮原に誘われて、東京駅で万年太郎を迎えることになり、二人で彼を日本橋のてんぷら屋で歓迎することになります。そのてんぷら屋で、万年太郎をとっちめてやろうと手ぐすね引いている、大昭和工業の大株主でもあり、大取引先の息子でもある村田と早速喧嘩をしてしまいます。

 勿論非は、村田にあるのですが、村田は社内であることないことを言いふらします。万年太郎は、初日の武勇伝もたたって、仕事は出来るが、上司との折り合いが悪くて出世できなかった人たちのいる参事室勤務となります。万年太郎のからっとして表裏のない性格に参事の青山らは、万年太郎を愛し、守りますが、村田の暗躍により、女子社員たちは「万年太郎の毒牙より女性を守る会」を結成して、太郎に通告します。

 純情多感な万年太郎は、九州から太郎を追いかけて上京してきた芸者金魚、おでん屋の娘多美子、若原若子、参事室の面々などに守られ、更に、金魚の旦那で、大昭和工業の大株主でもある鬼塚の応援もあって、村田一派を追放します。

 典型的な勧善懲悪作品で、徹頭徹尾そこだけに絞り込んで書いた作品のため、無駄がなくテンポよく作品がまとまったものと思われます。主人公の名前が「万年太郎」で、この名前の付け方こそが、源氏の勧善懲悪シリーズの主人公の名前の多くに××太郎、としたことを踏まえていることが分かります。典型的戯画的作品ですが、そこに徹したことが良かったと思います。

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