まだ若い

さわりの紹介

 「ここまで来たら僕の迷惑なんて、一切問題にしないで、君の思う通りにやって貰いたいですな。その方が、僕にとって嬉しいですよ。」
 「有りがとう」
 いっておいて早田節雄は、
 「僕は、今夜にも左千子さんにお会いして、もっとよく話し合ってみます。」
 「ということは、場合によっては、君は左千子さんをあきらめる?」
 「・・・・・・。」
 「いや、あきらめられるの?」
 「・・・・・・。」
 「僕は、もしこういうことになって、たやすくあきらめられるのであったら、はじめからあきらめておいて貰いたかったな。」
 「・・・・・・。」
 「こんなことをいうと君を責めているようになるかもわからないが、左千子さんが家出したときには、君の面影が胸の中にあったからですよ。」
 「・・・・・・。」
 「そのことなら君にだって、わかっていた筈だし、それが今頃になって、そんな弱気になるなんて、僕は、男として卑怯、といいたいですよ。」
 それまでうなだれるようにして聞いていた早田節雄は、
 「卑怯ですって?」
 と、さも心外そうに顔を上げた。
 「そう。」
 「僕は。」
 「まァ、ここでよく考えて貰いたいんですよ。かりに左千子さんがあの皆川君と泣き泣き結婚することになったとします。しかし、その皆川君は、左千子さんが君を慕って家出したことはすでに知っている。知っていて、あきらめない。もう意地になっているんですよ。愛情からではなしに。」
 「・・・・・・。」
 「その結果は、どうなります?」
 「・・・・・・。」
 「左千子さんの不幸は、もう目に見えています。」
 「・・・・・・。」
 「君は、それでもいいんですか。かまわないというんですか。」
 矢沢五平の舌鋒は、次第に鋭くなってくるようであった。自分で自分が制御出来なくなっているようなところもないではなかった。しかし、自分のいっていることはまちがっていない、と信じたかった。が、そのくせ、一方で、ひそかに、
(本当に、俺は、間違っていないだろうか)
 との疑惑も感じていたのである。
 いちばん無難なのは、ここまで来た以上、すべては二人の気持にまかせてしまうことかもわからないのである。一切よけいな口出しをしないことなのである。その方が秋山常務に対してもいい訳が立つ。すくなくとも、これ以上、秋山常務から憎まれずにすむかも・・・・。そして、自分は、瀬田三枝子との結婚について、もっと積極的に、もっとしんけんに考えることである。矢沢五平の頭の中には、あの夜、奥村茂子のいった、瀬田三枝子が会社の小川とやらと何度も旅行しているということが、その後もしつこくからみついていた。ということは、矢沢五平は、それほど瀬田三枝子を愛していることになるのであろうか。ひょっとしたら矢沢五平は、自分で思っている以上に、瀬田三枝子を深く激しく愛しているようになっているかもわからなかった。勿論、そうであっても、何の不満もない。今は、今夜にも会って、その純潔さをたしかめてみたかった。しかし、たしかめてみて、かりに純潔でなかったとしても、自分は、瀬田三枝子と別れることが出来ないだろうとは、以前にも考えたことであった。
(純潔のままであったに越したことはない。が、純潔であることが女のすべてではない)
 矢沢五平は、自分にそのようにいい聞かせていた。万一の場合の用意のためでもあったろうか。
 二人の間に沈黙が流れた。早田節雄は、今矢沢五平に問い詰められたことについて、考え込んでいるようだった。
 「早田君。」
 矢沢五平がいった。早田節雄は、顔をあげた。矢沢五平は、その顔を真ともに見つめて、
 「僕たちは、若いのだよ。」
 「若い・・・・。」
 「今のうちから妙に分別臭い、物わかりのいい男になるのはよそうじゃないですか。」
 「物わかりのいい・・・・。」
 「そんなのは僕は、青年の屑だ、と思うな。末が思いやられる。」

Tの感想・紹介

 「まだ若い」は、「週刊文春」1966年11月27日号から40週間に渡って連載された長編小説です。単行本は1969年文藝春秋社より刊行されました。正義派の熱血ヒラ社員が活躍して、いくつかの恋愛が成就する、典型的な源氏鶏太スタイルの作品です。しかし、中後期の作品だけあって、一番売れっ子だった1950年代に書かれた作品からみると、若干屈折している作品であるといえると思います。

 主人公・矢沢五平は、28歳、独身のA化学工業勤務のサラリーマン。あまり有名でない私立大学を卒業しています。A化学工業はT大学を卒業しないと出世できない、という会社で、彼も出世に関しては諦めていますが、「人生の生きがいは毎日を男らしく充実して行くことだ」と考えています。彼には、取引先に勤めている奥村茂子という恋人がいます。又、バー「ケンポ」には夏子というベッドを共にしたことのあるホステスがいます。

 この五平が銀座を歩いていると、同じ会社のOL坂口信子に声をかけられます。信子は、五平の同期入社のT大卒のエリート、皆川勝夫に婚約解消された、ということで自棄酒を付き合わせます。この婚約解消の理由は、皆川がA化学の秋山常務の娘・左千子と結婚することになったためです。皆川はA化学の大株主の親戚で、秋山常務にも皆川にもこの婚約はメリットがあります。

 泥酔した信子を介抱しているところを、五平は奥村茂子に見られ、誤解されます。五平は弁明しようとしますが、茂子は、友人の瀬田三枝子と共にやってきて、五平をののしります。この出会いで、五平は瀬田三枝子に惹かれて行きます。一方、皆川の正体を信子から聞かされた秋山左千子は、皆川ではなく、かつて付き合っており、親から反対されて別れた早田節雄と結婚しようとして家をで、学校時代の友人の瀬田三枝子のアパートに転がり込みます。

 五平は、節雄と左千子を結婚させるために尽力し、一方、会社では、T大閥に嫌気をさしていた富川浅夫や玉井広吉と共に「冷や飯会」を作り、会社の学閥を批判しようとします。これを邪魔するのが、恋人を五平のおかげで逃がしてしまった、皆川です。五平と皆川・秋山常務は、色々なところで対立しますが、五平の行動を影で支えてくれるのは、五平の上司である十平課長と秋山常務とライバル関係にある井沢常務でした。

 結局、秋山常務は夫人の抵抗で左千子と皆川を結婚させることは諦めます。五平の活躍の結果と言って良いでしょう。一方、「冷や飯会」についても不問に付されます。しかし、新たな恋人として、ベッドも共にした瀬田三枝子は、田舎で親の選んだ人と結婚するのだと言って、五平の元から去って行きます。

 結局、好漢・五平は、最愛の恋人・三枝子に振られます。源氏鶏太は、最後の四行を次のように書いています。

『矢沢五平は、瀬田三枝子に去られた後の自分の青春を想った。むなしいだけであった。灰色に思われた。
(しかし、俺はまだ若いのだ)
矢沢五平は、そう思った。いや、そう思おうと努めていた。それにしても矢沢五平は、これからどのような道を歩いて行くのであろうか。』

かつてのように、大団円で終らせることなく、一寸皮肉な終り方。晩年へ入りかけの源氏鶏太の特徴がよく出ています。

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