川は流れる

さわりの紹介

 志奈子は、どうしても、そのままふすまを開く気にはなれなかった。足音を忍ばせて、引っ返した。引っ返しながら、心の動揺を鎮めようと努めていた。
 小松が、自分を愛してくれている。が、やはり、彼は、自分の過去にこだわっているのだ。が、伊勢もまた自分に関心を寄せていてくれようとは、思いがけなかった。しかも、伊勢の場合は、自分の過去を知らずに、しかし、ある程度、見抜いてのことなのである。
 志奈子は、大きなため息を漏らした。うれしいような、悲しいようなどうしていいかわからぬ思いであった。
 二人の男に愛されている、ということは、その二人が、親友として許している間柄であるだけに、つらいことだった。しかし、もっとつらいのは、結局、二人とも、自分の過去にこだわっているのである。
(いったい、あたしは、どうすればいいのだ)
 志奈子は、そう叫びたいくらいだった。
 過去とは、そんなに重大なことであろうか。そうもいいたかった。しかし、彼女が小松にすがろうとした気持ちの底には、その過去を、彼によって忘れたい、という虫のいい思いがなかったとはいい切れないのである。とすれば、二人の男が、彼女の過去にこだわるのも、あるいは当然のことかもしれないのである。
 志奈子は、あの久恵を思い出した。つらくなると、いつでも、久恵を思い出す。久恵なら、こういうとき、どういうであろうか。一年、我慢しなさい、といっていた。が、一年どころか、まだ、半年もたっていないのである。今が、苦しい絶頂なのかもしれない。そして、久恵なら、「相手が、あんたの過去にこだわる、ということは、あんた自身が、まだ、自分の過去にこだわっているからよ」と、いいそうな気もする。
 それにしても、久恵から、いまだに便りがないのは、なんとしても、恨めしかった。すっかり、忘れられてしまっている様で、心細かった。
 もし、久恵の住所がわかっているなら、このまま、東京へ行きたかった。久恵の下でなら、バーの女給になってもいい。思い切り、その胸であまえてみたかった。久恵になら、しかられても、ちっとも、腹が立たない。しかられてみたいのである。
 志奈子は、こんどは、足音を立てて、引っ返した。ふすまを開くと、いっせいにこっちに向けられた二人の視線を避けるようにして、自分からいった。
 「ごめんなさい。すこし、外の風で、冷やしてきたんです」
 「酔い過ぎた?」と、小松がいった。
 「大丈夫。もっと、飲めますわ」
 「それは、たのもしい」と、伊勢が志奈子を見直した。

作品の話

 「川は流れる」は「産経時事」に1956年11月16日より57年9月3日まで連載された新聞小説です。源氏鶏太は、新聞連載小説に最も力を発揮した作家で、彼の代表作には新聞小説が多いのです。「川は流れる」もその例に漏れず、なかなか味のある作品で、源氏鶏太随一の作品である、という人もいるようです。

 主人公は滝井志奈子22歳と、大崎久恵29歳です。志奈子は富山でOLをしていたのですが、失恋をし、その痛手で会社を止め、阿蘇までやってきて自殺をしようとさまよいます。そこで出会ったのが芸者の染弥こと大崎久恵でした。久恵も七年前、失恋して阿蘇で自殺をはかり、死にきれずに芸者になったのでした。七年間の芸者生活で昔の男の思い出を断ち切った久恵は、芸者を止めて、故郷の東京でバーでも開こうと考え、芸者を止める日に出会ったのが志奈子でした。

 志奈子は、久恵の説得で自殺を思い止まり、叔母の住む大阪に久恵と一緒に出て来ます。大阪駅で出会ったのが、かつて久恵を棄てた福井正治とその部下の小松小太郎でした。福井が久恵を棄てたのは、会社の監査役の娘と縁談が起きた為ですが、その監査役が亡くなったいま、夫婦関係に隙間風が吹いています。その原因は、福井の女遊びです。小太郎は、そんな福井の生活態度に批判的です。小太郎は、久恵と一緒に歩いていた志奈子に興味を持ちます。

 叔母の家に落ちついた志奈子は、アルバイトとして、商店街の福引を手伝います。そこに現れたのが小太郎です。小太郎は志奈子の境遇を知ると、彼女の自立に手を貸し、親友で出版社を経営する伊勢の会社に入社させます。小太郎と伊勢は共に、志奈子に恋愛感情を抱きます。しかし、富山の父親が亡くなると、志奈子は、ろくに勤めぬまま会社を止め、東京でバーのマダムになっている久恵を頼って上京します。

 一方、久恵は、東京に戻ると早速将来のためにバーに勤めます。久恵の家庭は、実父が女を作って満州へ出奔し、母親は、男やもめの義父の元に嫁ぎました。即ち、久恵には血のつながりのない兄弟と母親が同じ兄弟がいるという複雑なものですが、この実家の人達は、精神的に貧しく、バーを開くために貯めた久恵のお金をあてにします。一方、バーのマダムは、パトロンに隠れて大学生の恋人を作り、それがばれて、マダムをやめることになります。久恵は、バーテンの協力もあって、前のマダムのパトロンから安く店の権利を手に入れます。

 久恵の店に来た客の草鹿は、久恵の家のゴタゴタをうまく整理してくれます。これを機に、久恵と草鹿は恋人になります。草鹿は、草鹿産業の社長で、久恵を頼ってきた志奈子を会社に入れてくれます。一方、小太郎も転勤で上京しています。小太郎は志奈子を積極的には探さずにいたのですが、伊勢が出張で上京した時を機に、久恵の店を探して再会します。志奈子と小太郎の恋愛はいかに?

 以上のようなお話です。不幸な女性、それも年齢こそ違うけれども、似たような経験をした二人の女性の、ロマンチックな小説です。土地も阿蘇、大阪、富山、東京と大きく動き、二人の女性が近づいてまた離れるという流れ、傑作と言う人がいてもおかしくないと思います。しかし、私はこの作品を余り買わない。なぜならば、私はヒロインの志奈子に全く魅力を感じないからです。志奈子は失恋により自殺を思うほどの弱い女性だから仕方がないのでしょうが、自分の気持ですぐに会社を辞め、上京するなど社会性に欠けています。良く言えば、恋愛至上主義ということなのでしょうが、こういう女性に魅力を感じる男、も私はよくわからない。私にとって、この作品にはリアリティが感じられないのです。源氏鶏太の作品の多くはおとぎ話で、リアリティの面で秀でている作品は余り無いのですが、それにしてもこの作品はどうかと思います。

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