家内安全
さわりの紹介
佐伯忍と勇吉が伊吹家を訪問したのは、けっきょく一月もだいぶん押しつまっての日曜日の午後であった。
その数日前に、わざわざ志村が、その報告に来てくれたのである。かれは徳子さんのへやへ通ると、
「こんどの日曜日に、あのふたりを連れてきますからね」
「そうですか。いよいよ来てくださいますか」
徳子さんは満面にえみを漂わせ、ただせさえしわくちゃの顔を、ますますしわだらけにしながら、
「わたしはね、志村さん、一日千秋の思いで待っていましたよ」
「まあ、そうでしょうが」
「このうえは、忍さんが、洋二郎を好きになってくださるといいんですけれどね」
志村は答えなかった。
「そして、ついでといっては悪うございましょうが、あの勇吉さん、なかなかしっかりしたおかたのようでしたから、雅子をお嫁にもらってくださるといいと、思っているのですよ」
「そうですよ。ぼくは、その可能性ならある、と思うんです」
「すると、志村さんは、洋二郎のほうは見込み薄だ、とでもおっしゃるんですか」
徳子さんはもう目の色を変えかけている。志村は苦笑しながら、
「なにも、見込みがない、といってるんじゃありませんよ。しかし、なんといっても、昔あんな病気をしたということが」
「だけど、何度もいうように、洋二郎には別の良さがありますよ」
「しかし、おばあさん。ぼくはこの際、はっきりいっておきますが、洋二郎君の良さがわかるのは、やっぱり特別の人だけですよ。現に、この家でも、おばあさんだけでしょう?」
「それは、世の中には盲が多いということです。でも、忍さんは盲ではありませんよ。ちゃんと、心の目を開いている人です。その証拠に、わたしの『空飛ぶ円盤』の話を、とても熱心に聞いてくれました」
「また『空飛ぶ円盤』ですか」
「いけませんかね」
徳子さんはちょっとふきげんになった。
「いえ、そういう意味ではなく、その後現れませんか、とおききしているんですよ」
「志村さん、年寄りをごまかしてはいけませんね」
「バレたかな」と、志村は頭をかいた。
「わたしにとって、忍さんは『空飛ぶ円盤』なんですよ、近ごろでは」
「どういう意味です?」
「わたしと洋二郎だけが、忍さんを信じているんです」
「なるほど」
志村は、わかったようなわからぬような顔になったが、
「しかし、おばあさん。これだけはいっておきますが、こんどふたりがこの家へくるのは、結婚という堅苦しいことを考えないで、ただなんとなく、ということになってるんですよ。ぼくは佐伯君からもそういわれているんです。とにかく、若いものの自由意志は、あくまでも尊重することにしてあるんです」
「けっこうですよ。忍さんが洋二郎を好きになってくださったら、ご両親やおじさんたちに文句がいえない、ということでしょう?」
「しかし、万一、ここのひとたちが忍さんを気に入らない、といったら?」
「そんなこと、いうもんですか」
「いえ、かりに、ですよ」
「いわせませんよ。志村さん、わたしは洋介の母親ですよ。孝子のしゅうとですよ。平常はいろいろとがまんをしていますが、これでも、まさかとなれば、開き直る術を知ってるんですからね」
「恐れ入りました」
志村としては、暗に、徳子さんがどたん場になって、それこそ身も世もあらぬ失望をしないように、あらかじめ忍と洋二郎の結婚に可能性のすくないことをほのめかしたつもりだが、すでに手の負えないところまで来ているようだ。こうなれば、自分としても、もう一度思いをあらたにして、ふたりのために努力してやらねばなるまい、と考えさせられてしまった。
Tの感想・紹介
「家内安全」は、昭和32年1月号から12月号にかけて、「オール読物」に連載された作品です。源氏鶏太は、サラリーマン小説で一世を風靡したわけですが、実際は、家庭小説とでもいうべき作品もたくさん執筆しています。「七人の孫」、「幸福さん」、「奥様多忙」などです。「家内安全」もそのような系列で捉えるべき作品でしょう。
主人公は伊吹徳子さん75歳。ご主人には10年前に先立たれましたが、三男四女の子宝に恵まれ、今は長男の洋介一家と暮らしています。子供達のうち、三女の季子は、若いときに駆け落ちし、生死も不明。末娘の敬子は、主人に先立たれ、旅館の仲居をしながら暮らしていますが、最近好きな男が出来た様子。洋介の子どもたちは三人。洋太郎、洋二郎、雅子の二男一女で、男兄弟は父親が社長をしている伊吹商事に勤めています。洋太郎は総務課長。しかし、洋二郎は8歳のとき脳性まひに罹り、その後遺症で高校はお情けで卒業させてもらったものの、大学には進学できず、25歳になる今、伊吹商事の総務課で雑用をしています。
徳子おばあさんの最大の願いは、この軽い障害を持つけれども、純情で純真な孫洋二郎にお嫁を見つけることです。
徳子さんの願望は「家内安全」ということなのですが、勿論そうは参りません。まず最初に起きるトラブルは、徳子さんの次女・恭子さんの主人・志村の浮気問題です。これは、徳子さんが恭子さんの家に遊びに行ったとき、恭子さん不在のところに、見知らぬ男から電話がかかってきて判明します。志村さんが、大阪出張帰りに浮気相手と熱海に一泊するというのです。
この電話を恭子さんの代わりに受けた徳子さんは、早速洋二郎を同伴して熱海に向かいます。熱海では、志村さんの浮気問題を解決するのですが、同じ旅館で、洋二郎が電車の中で見初めた佐伯忍と出会います。佐伯忍は、洋二郎以外の家族が馬鹿にして取り合わなかった、徳子さんが『空飛ぶ円盤』を見たという話を熱心に聞き、徳子さんは、忍を是非洋二郎の嫁にと考えます。
ところが、忍の可憐さを洋太郎も見初め、自分の妻にしようと画策を始めます。洋太郎には比呂子というバーのホステスをしている浮気相手がいて、相手を妊娠させ、結婚を迫られます。妊娠を知った洋太郎はすぐに女から逃げ出します。洋太郎の不始末の後始末に徳子さんも関与し、その結果、比呂子が男と駆け落ちした季子の娘であることがわかります。
一方、洋二郎は、洋太郎が忍と付き合えるように残業を言い渡され、あるいは複数デートのとき置いてきぼりを食らうなど、兄と妹から阻害されます。そこを助けてくれるのが総務課で洋二郎に仕事を教える28歳の沢田三沙子です。三沙子と比呂子は同じアパートに住み、比呂子の相談相手でもあります。比呂子は、自分の相手が従兄弟であったことを知り、堕胎を決意します。そして忍に洋太郎とのことを打ち明けます。
内容は相当どろどろした作品です。お互い関係が入り組んでいて、現実はこんなに複雑なドラマはなかなかないと思いますが、そこは源氏鶏太、うまく纏めました。おばあさんを主人公にしたことで、どろどろの部分が少し薄まった、ということかも知れません。最初はもっといろいろなエピソードを盛り込むつもりで、第1章にはいろいろと伏線を張っているのですが、伏線のみで終わったと思われるエピソードもあるようです。なかなか面白い作品なのですが、流行作家時代の作品だけあって、丁寧さは少し足りないのかも知れません。
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