さわりの紹介

 かりに、男女間における優位、ということを考えるなら、今の父に対して、義母の立場が、まさに、それなのではあるまいか。
 その後、父も、義母も、私に、会社を辞めろとはいわなくなっていた。私も、そのことでは、口をつぐんでいる。私は、今までとは別の、母ひとりの写真を、写真屋で、大きく引き延ばして貰っている。こんどは額に入れて、壁にかけるつもりだった。
 それだからといって、私が、最近、殊に、亡くなった母が慕われてならぬ、というのではなかった。いわば、私の、義母への嫌がらせなのだ。こんなことを繰返していたら、ますます、義母だけではなしに、父からも、うとんじられるだろう。私から、父の九〇パーセントを奪った義母に、更に、残りの一〇パーセントをも奪われてしまうのではあるまいか。
(しかし、その方が、却って、いいのだわ)
 何故なら、いつかの日記にも書いたように、私は、父を憎み、義母を憎んでいる。今や、父と義母を憎むことが、私の生きがいのようになっている。一〇〇パーセント憎んで、一〇〇パーセント憎まれたら、そのときこそ、私は、本当に、何ものにもとらわれぬ娘になり切ることが出来るだろう。きっと、悲しいに違いない。泣き明かすこともあるだろう。が、それでいいのだ。私は、そういう星の下で生まれた女なのだから。
 義母は、毎日、出歩いている。夜の十一時過ぎに、酒気を帯びて、自動車で帰ってくることもあった。しかし、そういう義母に対して、父は、何もいわないのである。もちろん、私も、いわない。私は、ただ、黙って、見ているだけにしている。そのくせ、私は、義母が帰ってくるまで、絶対に寝ないことにしているのだ。

 三日ほど前、私は、表で、自動車の停る音を耳にした。私は、二階の自分の部屋のカーテンを、そっと、細目に開いて、身体を隠すようにしながら、下を覗いた。
 自動車から降りて来たのは、すこし、酔っているらしい義母であった。扉は、すぐ、バタンと閉められた。しかし、車中には、誰か、もう一人、いるような気配がした。義母は、振り向いて、その車中の人に、何か、いったようだ。
 自動車は、すぐ、動き出した。義母は、それをしばらく見送っていた。それから、森閑としている周囲を見わたした。私のいる二階も見上げた。しかし、私が覗いていることには、気づかなかったようすだった。義母は、何か、考えている。ハンドバックの中から、鏡を取り出して、自分の顔をうつしはじめた。ためつ、すがめつして、眺めているのである。これから、家の中へ入るというのに、何んの必要があって、そういうことをするのであろうか。
 そんな義母の姿は、門灯の光の中で、地上に影を落としながら、浮かび上がるように見えていた。

 私は、その夜に限って、階下に降りて行った。いきなり、笑顔で、義母にいった。
 「お帰りなさい、お義母さん。」
 父と何か話していた義母は、私の珍しいお天気加減に、おどろいたようであった。父までが、ほう、という顔で、私を見ている。
 「ただ今。これから、京子さんを呼びに行こう、と思っていたところなのよ。お土産があるわ。」
 義母が、浮き浮きしていった。
 「どうも、そんなにおいがしたんで。お土産って、何?」
 私は、無邪気にいった。
 「あててごらんなさい。」
 「シュウクリーム。」
 「ご名答。」
 「わッ、大好物だわ。」
 「でしょう?だから、買って来てあげたのよ。」
 「嬉しいわ。お父さんも、お上がりになるんでしょう?」
 「ああ。」
 「あたし、お茶を入れます。」
 私は、すぐ、台所へ立って行った。しかし、音を立てて燃えるガスの青い焔の色を見つめながら、私は、すこしも、笑っていなかった。唇を噛みしめて、難しい顔をしていたに違いない。
(・・・・・すると、あの自動車の中にいたのは、いったい、誰なのだろうか)

Tの感想・紹介

 「鏡」は、昭和32年5月号から33年6月号まで、「婦人朝日」に連載された長編小説です。源氏鶏太はサラリーマン・ユーモア小説で一世を風靡した作家ですが、この作品はOLを主人公にしているものの、彼の得意の快男児が悪人をやっつける勧善懲悪でもなければ、戯画的な表現もありません。主人公の宮本京子の視点で全篇が描かれ、トーンは徹底してシリアスです。登場人物のエゴのぶつかり合いにも一定のリアリティがあります。

 昭和32年の時点で源氏鶏太は45歳。この頃、源氏は流行作家の最先端を行っていたわけですが、そんな時代にあっても、自分の書きたい作品と読者が喜ぶ作品との相克に悩んでいたのではないかと思われます。そういう中で、いわゆるサラリーマン・ユーモア小説と一線を画した作品を発表しようとし、源氏のその意志に乗ったのが、「婦人朝日」誌だった。そんな気がします。

 主人公は宮本京子23歳。父親と義母と女中と暮らしています。実母とは死別しており、父親は義母と再婚しました。その時長年勤めていた女中の杉に暇を出し、新たな女中を雇い入れています。京子はこの義母を憎んでいます。客観的に見て憎む理由は明確ではないのですが、その義母をかばう父親も憎んでいます。

 京子は社内恋愛中でしたが、恋人の田所が盛岡に転勤になります。その後釜と今度結婚退職する細川恭子の後任として、二人の新入社員が入社し、その教育係として京子が任命されます。彼女の勤める総務課には岩本成子という28歳のOLがおり、四年前京子が入社した時の教育係でした。成子は、現課長と深い仲であった時期があり、また現在も細川恭子の結婚相手と関係があります。

 一方、京子の義母は、事業に失敗してすっかりやる気を失っている父に替わって、喫茶店を経営しはじめ、そこで島田という会社の社長と仲良くなります。この二人の関係を京子は気づきます。一方、父親が杉と関係していたことも知ります。お互いに秘密を持った家族です。こういう仮面の家族に居たたまれなくなった京子は、盛岡の田所の元に走ります。しかし、田所は盛岡で新しい恋人を作っており、京子は東京に戻るしかありませんでした。

 京子が東京に戻ると同時に、義母は家を出ていきます。これで京子の心中は少しは穏やかになったのでしょう。事態は進行するけれども、解決する方向には進みません。とりあえず、大団円を想像させるようなラストは用意されていますが、本当に京子が幸せかは疑問なところです。

 これだけシリアスに作品をまとめてあるのですから、源氏お得意のご都合主義的表現がもっと少なければ更によいと思います。尚、タイトルの「鏡」は、登場人物の鏡像的関係をいっているのでしょう。宮本京子と義母、岩本成子と細川恭子、少なくともこの二組は、お互いが対称的です。鏡像関係にある人たちを登場させる。そこがタイトルの源だと思うのですが、本当でしょうか。


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