意気に感ず

さわりの紹介

「東沢さん。」
 と、口調をあらたにしていった。
「何んだ。」
「おっしゃることは、いちいちご尤もですし、胆に銘じました。」
「当然のことだ。」
「私は、東京へ帰ったら三十万円を皆川佐樹子に返します。」
「そうだよ。」
「それでは契約違反だとか何とかいって騒がれても、私は、絶対に東田物産へ移りません。あくまで今のまま神保物産に残って一所懸命働きます。」
「よくいったよ、志田君。それでこそ君は、わしが見込んでいた通りの男であった。若子だって、そう思うだろう?」
 東沢大介は、ニッコリして、若子の方を見た。
「思うわ。」
 若子も亦、嬉しそうに答えて、
「あたし、やっぱり晩ご飯にご招待したいわ。いいでしょう、東沢さん。」
「ああ、いいとも。志田君、今夜は、この若子のアパートでご飯をいっしょに食べてやってくれたまえ。」
「有りがとうございます。が、その前に私は、東沢さんにお願いがあります。」
「何だね。」
何んとしてでも、もう一度、神保物産へ戻って頂かねばなりません。」
「あのことなら、さっき、はっきり断ったではないか。」
「しかし、私は、東沢さんのお話を聞いて、そのご意見の通りを実行する決心をしたのですよ。こうなったら、東沢さんにも私のいうことを肯いて頂かねばなりません。」
「おや、君は、開き直る気かね。」
「残念ながら私は、男として、開き直らざるを得ません。」
「しかし、いくら開き直ってもわしの決心は変わらないからね。」
「東沢さんがさっきからおっしゃったことは神保物産のために忠勤を励めということでしょう?」
「そうだ。」
「ということは、東沢さんは、今でも神保物産の運命を気にしていらっしゃる。」
「まア・・・・。」
「しかし、今や、その神保物産は危機に瀕しています。事毎に東田物産にしてやられているのも、一つには、内部に東田物産に通じている奴がいるからでしょう?」
「と、思う。」
「老社長は、三顧の礼を以て、東沢さんをお迎えしたいといっていられます。」
「・・・・・・・・」
「人間ならこの際、意気に感ず、の心境になるべきでないでしょうか。」
 東沢大介は、苦笑している。さっきとすっかり立場が逆になってしまったようだ。しかし、そのことを別に不愉快に思っているようではなかった。寧ろ、頼もしそうに志田英吉を見ているのである。同じことが若子にも言えたかもわからない。若子は、惚れ惚れとして、今や情熱を込めて喋りまくる志田英吉の横顔を見ていた。

作品の話

 「意気に感ず」は、「週刊現代」(講談社)の1964年1月1日号から12月24日号まで連載された長編小説です。単行本は1965年に講談社から出版されました。

 源氏鶏太は、短編小説も沢山発表しましたが、本質は、長編小説を得意とする長編小説作家でした。彼の長編作品の発表の舞台は、新聞、週刊誌、月刊誌がほとんどだったのですが、一般的な傾向として、月刊誌に発表された作品には比較的駄作が多く、週刊誌や新聞小説に傑作が多いという傾向があります。「意気に感ず」は、高度経済成長が始まったころの日本のサラリーマン向けの週刊誌に連載された作品ということもあって、当然ながら傑作になる要素を含んだものです。

 神保物産営業部員、志田英吉はライバル会社の東田物産からスカウトを受けます。給料を今の2倍の5万円出し、そのほかに契約金として30万円出すという好条件です。しかし、神保物産を退社して東田物産を設立した元営業部長の東田を好きになれず、また現在は強い競争相手になっている東田物産に移籍することを潔しとしなかった志田は、スカウトに来た皆川佐樹子に、一晩ベッドを共にしたら移籍すると言います。勿論入社を断るための口実です。しかし、佐樹子はひるみません。自分の純潔を捧げて、志田をスカウトすることに成功します。

 自分の移籍を潔く割り切れない志田は、会社に退職願を出すことができないまま、社長から、東田物産にやられてじり貧の会社を立て直すために、前に総務部長をやっていた東沢大介を副社長として招聘するための使いとして九州出張を命じられます。志田の後を追うように、佐樹子も博多のホテルに姿を現します。そして、その夜志田のカバンから、社長から東沢大介あての親書が消えてなくなります。志田英吉は、佐樹子が親書を盗んだのではないかと悩みます。佐樹子との恋を取るか、愛社精神に生きるか、人生意気に感ずるサラリーマン、志田英吉は悩まずには居られません。

 東沢大介はこの招聘を受けて神保物産に乗り込み、東田物産に通じていた社員を止めさせます。また、東田物産に対しても手を打ちます。佐樹子は東田物産を辞め、志田英吉との恋に生きようとします。

 小説の枠組みとしては、勧善懲悪もので、源氏鶏太の本流をいく作品なのですが、一方で、源氏がスタイルを変え始めることを模索している時期の作品でもあり、その工夫もいくつかあります。主人公のライバルを、ミステリアスな美女で、主人公の恋人のような存在である皆川佐樹子にしたことは、従来の源氏作品の設定とは一寸違います。そういう新しい取り組みがありながら、神保物産の競争相手が東田物産しかないような極端な単純化。またビジネスのスタイルも、商社契約を結んでいるメーカーの取り合いだけ、という感じで、せっかくのよいプロットを生かし切れていない嫌いがあります。
 そのほか、若子の使い方など、作品のディーテイルに首肯しかねるところがいくつもあり、せっかくの作品があまり成功していない感じがして残念です。

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