向日葵娘

さわりの紹介

 大阪化学工業株式会社の女事務員たちは、朝出勤すると、先ず、更衣室に集まるのであった。更衣室には四十数人分の更衣箱が、壁際に二段に積み重ねてある。その箱の中に、ハンドバッグや何んかをいれて、さっさと事務室へ出かけていく者もあるが、それはたいてい部屋の掃除をしなければならぬ、比較的新しく入社した女事務員たちであって、すこし古参の連中は、お化粧をなおしながら、始業時刻のギリギリまで、ペチャクチャと喋り散らかしているのであった。近代ビルディングの中の近代女性による井戸端会議である。
 節子さんが更衣室に入っていったときには、十人ぐらいの女事務員が、そのペチャクチャをはじめている真ッ最中であった。いつもなら、映画の話、お洋服の話、男社員の下馬評・・・・・、であるのだが、今日は、専らお茶くみストライキに話題が集中していた。
 「ねえ、男の人たち、今日からは自分でお茶をいれなければならんので、困っているわよ」
 「ほんまに、いい気味だわ」
 「ねえ、すこしは女のありがたさを、思いしった方がええのよ」
 「そうよ、これで、男たちも、ペシャンコやわ」
 「断然、あたしたち、負けないわよ」
 「何よりも団結が大事よ。女性万歳!」
 と、口々に勝手放題をいっている。自信満々であった。したがって、軽薄を極めていると、節子さんに感じられてしかたがなかった。しかし、こんな先輩たちに反対しようとしているのだ、と思うと、節子さんの胸は、やっぱりふるえてくるのであった。
 節子さんは足音を忍ばせるようにして、更衣室から出ていこうとした。
 「ちょいと、藤野さん」と、うしろから呼びとめられた。
 振り向くと、厚生課の石井英子さんが、唇許に皮肉めいた微笑をたたえていた。
 英子さんは自分では、大阪化学工業随一の美人だ、と信じこんでいた。したがって、会社の内外に、ボーイフレンドの多いことも、随一なのである。三日に一度は、男から夜の交際を誘われる。そんな場合、英子さんはたいてい、OKと返辞をする。それもひとつの美人税みたいなもんであろう、とあきらめているつもりであった。慈善行為のつもりであった。しかし、英子さんは近頃になって、節子さんの存在が、目触りでしかたがなかった。何故なら、男社員たちの人気が何となくこの新入女事務員の上に集まりかけているような気がしてならなかったからである。
 「はい」と、節子さんは答えた。
 「あんた、昨日、ストライキの決議をするとき、弁慶さんのためとかいうて、反対みたいな口ぶりやったけど、大丈夫でしょうね」
 十数人の女事務員たちは、そのとき、急にピタリと口を閉じて、節子さんの四方八方から、いっせいに注視した。その返答によっては、ただごとではすまされぬ、といった凄まじい気配がそこらにみなぎっていた。
 「あたし・・・・」と、節子さんは答えた。
 彼女が今、どんなに一所懸命になっているかは、その頬がさっと紅潮してきたことでも、明らかであった。そして、足許がガクガクする思いでさえあった。しかし、節子さんはとうとう思い切って、いってしまった。
 「ストライキには、加わらないつもりです」

Tの感想・紹介

「向日葵娘(ひまわりむすめ)」は、昭和27年の「婦人生活」1月号より12月号まで連載された、源氏鶏太初期の代表的長編の一つです。

源氏鶏太は、昭和26年、「英語屋さん」・他で第25回直木賞を受賞しました。また、その年の8月より、代表作「三等重役」の連載が始まり、一躍流行作家となりました。翌昭和27年は、長編小説の連載が4本、他に短編を年間15本書くという状況でした。その4本の長編小説は、「向日葵娘」以外は、「緑に匂う花」、「明日は日曜日」、「坊ちゃん社員」です。当時源氏は、まだ、住友系列の「泉不動産」の総務部次長でした。仕事はそれほど忙しくはなかったのかもしれませんが、この素晴らしい創作意欲には驚かされます。

内容は昭和20年代後半の会社を舞台に、一人の女性社員の活躍を描くというものです。

主人公、藤野節子さんは、大阪は北浜の北浜ビルディングの三階にある、大阪化学工業株式会社の庶務課に勤めている新入女事務員です。まだ入社して1箇月ばかりで、社内の内情も良く知らず、朝9時から夕方5時まで「弁慶さん」の指示にしたがって、夢中になって働いています。

「弁慶さん」は、本名日立一平、でも5尺7寸5分、二十貫と偉丈夫な為、誰ともなく「弁慶さん」と呼ばれています。弁慶さんはお茶が大好きで、1時間に1杯はのむ。節子さんは、弁慶さんにお茶を入れるのが楽しみでした。

ところが、ひょんな事で女事務員たちは、お茶くみを拒否する決定をし、お茶くみストライキに突入します。節子さんは、この決定に納得がいかず、自分一人だけでも弁慶さんにお茶を入れてあげようと心に決めました。しかし、この行為は、「スト破り」だ、としてまわりの女性陣から非難を浴びせられ、打たれたのでした。これを助けてくれたのは勤続20年のオールドミス・山野直子さんでした。

この「お茶くみストライキ」の解決で節子さんは社内で一躍名をあげました。これが面白くないのが、石井英子さん一派でした。節子さんに対して、ライバル心を剥き出しにして、対立します。しかし、節子さんは持ち前の明るさと天真爛漫な心持で、一つ一つ解決し、最後は英子さんの弟の事故のとき、親身に世話をしたことにより、英子さんのわだかまりをときます。

節子さんの影になり、日向になって、助力するのが弁慶さんです。そして、二人が恋中になることを示して本篇は終わります。

映画は、昭和28年3月公開。東宝の作品で、制作が藤本真澄、千葉泰樹監督、長谷川公之脚本。白黒。藤野節子さん役は有馬稲子が、弁慶さん役が三船敏郎であった。


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