銀座立志伝

さわりの紹介

「どうだね。」
 橋本は、催促するようにいった。が、一実は、まだ迷っていた。それを見ると、橋本は、あきらめかけたように、
「どうしても嫌だ、というのなら無理にとはいわぬが。」
「それより、あたしの方こそ、お聞きしたいことがあるんですけど。」
「いってみたまえ。」
「橋本さんが、何故そのようなことにおこだわりになるのか、です。」
「こだわっているわけではない。が、わしは大株主の一人として、本当のことを知っておきたいだけなのだ。そのことなら、さっきもいった筈だ。」
「ということは、橋本さんは、目下の処、社長側でも、専務側でもない、ということですの?」
「そう。ただ、あの会社をすこしでもよくしたいだけだ。そのことは、要するに株主であるわしの利益にもなるわけだ。わかるだろう?」
「わかります。」
一実は頷きながら、
(この橋本さんって、想っていたよりも大人物らしいわ)
と、あらためて、感じさせられていた。
 そして、橋本のいうことをそのまま信じていいようだ、とも。OL経験のある一実には、会社勤めの辛さの一つに、社内の派閥の波に翻弄されることがある、とわかっていた。その派閥争いのために、会社がよくなることはめったにない。たいてい、逆である。結果として、悪が栄えていく、ということだって、すくなくないのである。悪が栄えて、ついでに、会社の業績もあがっていくのならそれでもいい。が、悪が栄えて、会社の業績が落ち、ためにそこの社員たちの生活が苦しくなっていく、ということは世間に有りがちなのである。それでは困るのだ。会社を辞めなければならなかった一実には、そういうことが実感として、よくわかるのであった。
(もし、あたしがここで聞かれるがままに喋って、それによって、K商事の派閥争いが解消されるとしたら・・・・)
 一実は、いつか、そういう気になっていた。勿論、自分の喋ることが、直接、そんな大きな役目を果すとは考えられない。しかし、橋本には橋本の考えがあるだろうし、ここで橋本を信じることは、一実の立場として、必ずしも悪いことではないような気がしていた。

作品の話

 「銀座立志伝」は週刊誌「女性セブン」(小学館)に1963年5月5日号から12月18日号まで33回にわたり連載された長編小説です。

 作品の内容は、会社が倒産して失業し、かねてから銀座のホステスも悪くないと考えていた寺沢一実の、ホステスとしての出世物語です。

 源氏鶏太は、サラリーマン小説を沢山書いていますが、会社の中の仕事ぶりはほとんど登場せず、アフターファイブのバーや飲み屋での会話が、物語の進行に重要な役割を果すことが多いです。このようにバーのシーンが多いのは、源氏さんが会社の中での会議や事務・営業などのやりとりは、結局非文学的な行為だと思っていたことと、自分自身が飲み屋の造詣が深いことにあったと思います。文壇の酒豪番付に長年横綱として君臨していたそうです。

 そういうわけで、源氏鶏太はバーでの人間模様を書くことにより、アフター・ファイブのサラリーマンをよく書いていたわけですが、この作品では、銀座のバーで働くホステスの目で見たサラリーマンの様子が描かれています。その意味で本篇もまたサラリーマン小説です。

 22歳の寺沢一実は、勤めていた田所電気が倒産して失職したため、銀座のバー「東京一」にホステスとして勤めはじめます。一実はホステスとしての才能に恵まれていたようで、初日から日給の5倍以上のチップを稼ぎます。一実は、客であるK商事の志田から、対立する派閥の竹内らの言動を監視するように頼まれ、K商事の派閥抗争に巻き込まれます。結局一実は社長派、専務派の両方の情報を、大株主の橋本に流すという三重スパイとして働き、その身の処し方が橋本に感謝され、銀座の雇われママまで出世します。

 この作品で見えて来るのは、男達の下らなさです。夜の銀座をホステス側から描くとき、勧善懲悪の世界を描きつづけた源氏鶏太といえども、バーに出入りする男に爽やかな熱血児を主要登場人物として選ぶことは出来なかったようです。

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