夫婦の設計

さわりの紹介

「希久子がこの間、いっていたよ」
相当アルコールの入った雄吉は、ニヤニヤ顔でいった。
「何を、でしょうか」
彼は、雄吉といっしょの場合、安心して飲んで帰ることが出来るのだが、しかし、度をはずして飲むようなことはなかった。その点、雄吉は、好きなように飲み、好きなように酔うのである。これまた、彼が相手だと安心していられるのであろう。
「お兄さん、あたし、あんまり幸せ過ぎて、一生この幸せが続くかどうか、時々は、心配になってくることがあります、とさ」
「・・・・・・・・」
「僕は、阿呆臭いことをいうな、といってやったよ」
「阿呆臭い?」
「だって、そうだろう? 新婚時代のような心がけで一生を過ごせたら、それは聖人か君子のような人だ」
「・・・・・・・・」
「そんな人間なんて、めったにいるもんじゃアない」
「・・・・・・・・」
「そのうちにどうしてもお互いの鮮度が落ちてくる。しぜん、わがままというか、どうしても地が出てくる」
「・・・・・・・・」
「僕たちを生んでくれた両親だって、あの年で、時々は飽きもしないで喧嘩をしているんだ」
「・・・・・・・・」
「もっといい例がある」
「僕たち夫婦だよ。結婚して三年目なのに、もう月に二度くらい大喧嘩している」
「本当ですか」
「君に嘘をいっても仕方がなかろう?」
「そりゃアそうでしょうが」
「夫婦喧嘩の原因なんて、いくらでもある」
「・・・・・・・・」
「僕は、酒が好きだ。で、つい飲んで帰る。調子に乗って、午前様になることがままある。そういうとき、ふくれっ面で迎えるんだよ。そうなれば、こっちだって、いってやりたくなる」
「・・・・・・・・」
「男なんて、いつだって外では、いのちがけで働いているんだ、嫌な思いに堪えねばならんことがしょっちゅうだ。たまには酒でも飲んで、気分転換しないことには身体が持たんし、また、会社での厭な思いをそのまま家庭に持ち込むことになる。アパートでいつものらくらしている女房とは違うんだぞ、とね」
「・・・・・・・・」
「しかし、そういわれて、おとなしく黙っている女房なんて、先ずいないね。後は、お察しにまかせる」
「・・・・・・・・」
「尤も、夫婦は、たまに喧嘩をするからいいのであって、喧嘩をしない夫婦なんて、どうかしているんだ。仲直りの味を知らぬお気の毒な夫婦だともいえると思うんだ」
「・・・・・・・・」
「希久子だって、今は、夢みたいなことをいっているが、そのうちにきっとそういう女房になるね」
「そうでしょうか」
彼は、不安そうにいったが、まだ、それほどの実感がある訳でなかった。しかし、理屈としては、わかるような気がしていた。

Tの感想・紹介

「夫婦の設計」は、昭和42年、「婦人倶楽部」に連載された。

昭和20年代後半から40年代前半にかけて、源氏鶏太は当時のトップクラスの流行作家であった。新聞、雑誌に数多くの連載小説を書いたが、婦人雑誌に婦人向けの作品もよく書いている。現在、女性向の雑誌は、ターゲットの年齢層を細分して、対象年齢ごとに細かに発行されているが、当時の婦人雑誌は、主婦を中心とした幅広い読者を想定した雑誌であった。そのような広い読者層を想定して、作者は、新婚の夫婦と3年目の危機を迎えた夫婦を中心とした小説を書いたものと思われる。

時代は当時の現代。昭和40年代初めと考えられます。主人公の広田勝則の給料が45,000円、一般家庭ではテレビ、冷蔵庫、洗濯機は当たり前の時代です。しかしながら、本篇のなかではそのような時代の状況はほとんど描かれません。登場する人物の心理的な綾が、主として会話で書かれて行きます。決して暗い小説ではありませんが、昭和30年代まで源氏鶏太が得意としていた、誇張と風刺によって笑わせるというスタイルではなく、夫婦の愛情のあり方について比較的真っ当なスタイルで書いて行きます。

登場人物は、広田勝則と希久子夫妻。新婚六ヵ月の夫婦と、希久子の実兄で結婚三年目の桑原雄吉と曜子夫妻。それに希久子と雄吉の父親である桑原晴久。それに雄吉夫妻の関係にひびを入れるバー「スコット」のホステス洋子と、「スコット」から「バラ」に変わるホステス京子。
広田勝則と義兄の桑原雄吉は、一緒によく飲みに行きます。そこで、雄吉は、倦怠期に入った自分たちを例に挙げて、妻たちの変化を義弟に教えます。そして、夫婦仲が冷えるにつれ、バー「スコット」のホステス洋子と親しくなり、浮気に至ります。曜子は義理の妹の希久子に愚痴をこぼし、ついには「スコット」に乗りこみます。曜子の嫉妬が彼女をそこまで追いこみます。ここで洋子と会い、浅はかな知恵で雄吉のことを聞き出そうとして失敗し、喧嘩になります。帰ろうとすると、雄吉とばったりと出会い、雄吉から平手打ちを食らいます。それまでの雄吉・曜子夫妻の内面の葛藤が爆発します。その結果として曜子は家出。雄吉は離婚も考えます。勝則・希久子夫妻は、兄夫妻の危機を解決すべく努力しますが、喧嘩を盛り上げようとする登場人物も出、なかなかまとまりません。しかし、双方とも落ち着いてくると、お互い反省し、もとの鞘に戻ります。一方、勝則は、ホステス京子に浮気をしていないのに、奥さんにいいに行くと言われて、50,000円もの大金を要求されます。しかし、勝則は希久子に何も無いことを説明し、納得してもらいます。これで大団円。

男女関係がよりオープンでカジュアルになった今日から見ると、夫婦の関係の悪化の仕方が一寸リアリティ不足という感じがします。逆に言えば、夫婦の古典的な倫理観が一般に通用していた時代の作品として、非常に面白いものがあります。


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