大安吉日
さわりの紹介
林田は、三人を奥のテエブルへ案内した。有紀は、当然のように曾我と並んだ。雄平には、まるで、見せつけられているようだった。
(こんな爺いが、有紀のような若い女を-)
と、雄平は腹を立てていた。
が、曾我は、からだの肉が引き締まっていて、当分、士にそうも無いほど、血色もいい。そのくせ、助兵衛爺的ないやらしさは、少しもなかった。ちゃんとした、紳士に見える。雄平の想像していた曾我は、もっと、精悍な男であった。底光りするような鋭い目つきをしているように思っていた。冷たい印象を期待していた。が、目前の曾我は、むしろ、おだやかな人柄に見える。
この男に会うために、今日まで、自分が苦労して来たことを考えると、雄平は、裏切られたような気がした。かねて考えていた、対決というような激しい気分になれないのである。
(この男は、偽者で、本ものの曾我は、別にいるのではあるまいか)
しかし、曾我は、そんな雄平の思惑など、まるで問題にしていないように、
「早速、商談に入りましょうか」
「商談?」
「武蔵工業の株のことですよ。あなた、こんど、こちらにくるについて、まかされて来たんでしょう?」
ちゃんと見抜いているのかと、雄平は、油断のない顔になった。
「そうです」
「今夜、ここで、きめてしまいましょう」
「いくらで、譲って頂けますか」
「ご希望は?」
「それは、先に、申し上げたはずです」
「五十万株については二百八十円で、あとの五万株は三百十五円?」
「そのとおりです」
有紀は、聞いているのかいないのか、わからぬような顔をしている。が、雄平にとって、その有紀の存在が、目ざわりで仕方がなかった。いや、曾我と並んでいる、ということが我慢がならないのである。
林田は、向こうからこちらのほうを見ていた。その唇許には、微笑がひろがっていた。ほかに、客が二組あるのだが、雄平たちの席からはなれていた。
「恩地さん、質問を許してくれますか」
「どうぞ」
「この株の売買がうまくいったら、武蔵工業から、いくら貰えるのですか」
と、曾我は、普段の顔で言った。
「いくらだ、とお思いになりますか」
「百万から二百万のあいだでしょう?」
「その見当です」
「では、それだけ、こちらから出してもいいですよ」
冗談じゃない、あなたからは、別に、いただきたい金がありますよ、といいたいのをこらえて、雄平は、
「おことわりします」
「どうしてですか」
「私は、金のために裏切者には、なりたくない性分なんです」
「賛成です」
有紀は、ちらっと、雄平を見た。が、曾我は同じ表情で、
「では、こんど、あなたが、こちらへくるについて、まかされた値段は?」
「さっきもいったように-」
「いや希望でなしに、まかされた値段のことです」
「それをいったら、その値段で、譲ってくださいますか」
「相談に乗ります」
「三百五十円です」
「昨日の相場ですね」
「ただし、それより十円さがることに、百五十万円に三十万円ずつプラスされるんです」
「なるほど、で、あなたの理想は?」
「三百三十円です」
「三百四十円でどうです?」
曾我は、すこしも、ためらわないでいった。あんまり、あっさりと曾我が折れて出たので、かえって、雄平のほうが、驚いていた。
Tの感想・紹介
「大安吉日」は、1956年に「サンデー毎日」(毎日新聞社)に連載された長編小説。サンデー毎日は、源氏鶏太を流行作家として、押しも押されぬ地位にならしめた「三等重役」を発表した舞台であり、本作も大変な意欲作で源氏鶏太の代表作の一つである。
主人公、恩地雄平はインチキ経済雑誌の出版社、太陽経済社の社長で31歳。いわゆるリャク屋と呼ばれる企業ゴロである。雄平は、大学卒業後唯のサラリーマンになることを潔しとせず、太陽経済社に入社した。その太陽経済社の前社長、増田大三が死亡した後、あとを継いで社長となった。雄平はすれっからしの小悪党であるが、前社長の未亡人に毎月二万円を律儀に払うような、純情な面も持ち合わせている。このような単純であるが、正義漢であり、女に惚れると夢中になるような男を主人公に据えることによって、源氏鶏太は、弱肉強食の資本主義社会の仕組みを明らかにするとともに、人生の面白さを描こうとしている。
この雄平が東亜機械工業株式会社の乗っ取り劇を目撃したのは、全くの偶然であるが、その結果追い出された桜井社長をみて、乗っ取り劇の背景を探ろうとする。東亜機械工業には雄平にあこがれる梶原牧子がいる。雄平は牧子の友人の謎の美女、高浜有紀に一目惚れをし、有紀が東亜機械工業の乗っ取りに深く関与していることを知り、その背景を明らかにするのである。東亜機械乗っ取りの黒幕が、有紀のパトロンである曾我と云う男であり、曾我は、これまで幾つもの会社をそうして手に入れて来た。
雄平は曾我の次のターゲットが武蔵工業であることを知り、武蔵工業側に立って、乗っ取りを阻止する。乗っ取りを阻止したとき、敵方の曾我より「味方になって頂きたいのです。なぜなら、私に、今、いちばん必要なのは、人材なのです。金の力でいろいろの会社を掌握しましたが、そうなると、目立ってくるのが人材の不足です。(中略)これからは、今日までに掌握した会社を育成する時代だ、と思っています」といわれ、曾我の傘下に入り、高浜工業の社長になる。この作品に描かれたような露骨な乗っ取り劇は最近はあまり見かけることが無いが、ある意味では、日本の高度成長期の活力を示しているように思う。
タイトルの「大安吉日」。これは高浜工業の社長に就任することが決まった雄平が、有紀より曾我に内緒ならば関係してもいい、と言われ、僕は間男にはなりたくない、と言って、有紀を殴り未練を捨てる。その話を聴いた東洋経済社の部下達が「そういうよくない女を嫌いになれたということは、社長にとって大安吉日のようなものです」というラストの部分から来ている。
ラストをタイトルに持ってきていることは、連載開始時にストーリーの展開の骨格が決まっていたことを意味し、それだけに、内容も緊密に書かれている。
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