万事お金

さわりの紹介

「その前に、君の恋人の話を聞かせてくれんかね。」
「それよりも、重大な話の方を先に。」
「いやいや、わしのいわんとしている重大な話というのは、君の恋人の話に関連があるかも知れないのだ。」
 豊年太郎は、妙な顔をして、
「仕事の話ではないんですか。」
「わしにとっては、仕事の話なんだが、君にとっては、あるいは、プライベートの話になるだろうな。」
「私には、わかりませんが。」
「いや、やがて、わかるだろう。だから、君の恋人の話を、先に。」
「そうですか。では・・・・・。」
 豊年太郎は、音羽サクラとは二年越しの恋人同士であったことから、サクラの家庭の事情を話し、
「私たちは、来年ぐらい、結婚するつもりでいたんですよ。」
「いい話だよ。いかにも庶民的で、この大東京の片隅に、ひっそりと、しかも、清く美しく咲いた花、という感じだ。」
「実は、私も、そのように思っていたのです。本来なら、私たちは、とうに結婚していた筈なんです。ただ、私の月給が、世間の標準よりも、あまりにも低かったために。」
 山盛社長は、手を振るようにして、
「わかっている。それをいうな。先を続けてくれたまえ。」
「ところが、昨夜になって、サクラが、それこそ、寝耳に水の突然さで、私との結婚をあきらめてくれ、といい出したんです。」
「うんうん。」
「その理由たるや,自分んとこは、ひいおじいさんの代から貧乏であった、もう貧乏には、飽き飽きした。だから、この際、お金持と結婚したいから、というんです。」
 山盛社長は、またしても、うっかり、
(よく、わかる。当然のことだよ)
 と、いいかけたのだが、豊年太郎が、それをサクラにいわれたときの口惜しさを、今一度、胸の中で噛みしめているような無念そうな顔をしていることに気がつくと、その言葉を、急いで飲み込んでしまった。
「そこで、私は、お金なんかよりも愛情の方が、いかに大切かを強調したんですが、ダメなんです。」
「うんうん。」
「あげくの果てに、自分が、そういうお金持と結婚するのは、ある意味で、この私にも、お金持の娘と結婚出来るチャンスをあたえて上げるためだ、なんていい出すんですからねえ。」
「しかし、なかなか、頭のいい娘らしいな。」
「いや、バカですよ。」
「君、そんなバカな娘なら、あきらめてしまえよ。」
「それが、どうしても、あきらめ切れないんです。」
「女女しすぎるようではないか。」
「自分でも、そう思うのですが。」
「ダメか?」
「ダメです。」
「しかし、いくらダメでも、仕方がないのではないか。やっぱり、あきらめることだ。わしは、社長として、君にそれをすすめる。そのかわり、わしは、君に、お金持の娘を紹介してやるぞ。だったら、文句は、ないだろう?」
「・・・・・・・。」
「わしは、一ついい口を知っているんだ。その口というのは、ひょっとしたら、君の恋人の相手よりもお金持かも知れんぞ。」
「せっかくですが、社長。」
「まア、話を聞きたまえ。そして、君は、君を裏切った女よりも大金持になって、その女を見返してやれるのだ。」
「・・・・・・・。」
「ちょっと、痛快ではないか。」
「残念ながら、社長。」
「何んのことだ。」
「社長の知っておられる口というのは、どの程度のお金持か知りませんが、サクラの相手というのは、年は四十歳ぐらいですが、二十億円とか三十億円とかを持っているというんですよ。」
「三十億円!」

Tの感想・紹介

「万事お金」は、1962年より1963月にかけて週刊誌「サンデー毎日」(毎日新聞社)に連載された長編小説です。

 源氏鶏太の作品でよく言われるのは、金額(例えば給料)をよく書くということです。これは、現在から見れば、書かれた当時の給料の水準がわかるという意味が有りましてありがたいことなのですが、源氏自身が元々住友に勤めたサラリーマンで、お金の重要性を常々感じていたことの現われ、ということが出来ると思います。また、彼の作品には「お金」がテーマというべき作品がいくつかあるのですが、それも、彼のお金に対する感覚の現われと申し上げて良いと思います。

 「万事お金」は、お金について書いた作品の内でも、もっともストレートにお金を巡る喜劇を描いています。こういった内容の作品は一つ間違えると大変下品な作品に仕上がる所ですが、源氏は登場人物を非常に戯画化することにより、通俗的でやや品はないが、一方において楽しい作品に仕上ていると思います。

 登場人物は、主人公の豊年太郎、その恋人で大金持ちの弓矢八万太郎と結婚しようとする音羽サクラ、サクラの母親と父親、太郎の勤めている大新宿電気工事株式会社の社長である山盛社長、会社の取引先である中堅会社肝甚工業社長の肝甚要太郎とその2号に生ませた娘で、太郎の見合の相手となるウメ子、そして新宿の安バー「まるまる」のママなどです。

 登場人物の名前からみても、戯画的ユーモア小説であることは明白で、話の流れもその通りです。太郎の勤める会社は、毎月資金繰りに苦しんで、50万円の手形を町金で割って、従業員の給与を集めているような会社で、彼の給料も低いです。そのため、二年越しの恋人サクラとも結婚出来ないような状況でした。そんなサクラを見初めたのが、総資産が20億とも30億ともいわれるヤクザな高利貸、弓矢八万太郎でした。サクラは必ずしも八万太郎を愛していた訳ではないのですが、母親が強欲にも娘を玉の輿に強引に乗せようとします。母親思いのサクラは、親の指示に従い、太郎と別れて、弓矢八万太郎と結婚することを承諾します。

 太郎はサクラを忘れることが出来ず、あらゆる機会を捕まえてはサクラを取り戻そうと努力しますが、一方で、山盛社長は、豊年太郎と肝甚工業社長の娘・ウメ子を結婚させようとします。肝甚社長は自分と二号との間の娘ウメ子が不憫で、結婚の時、1000万円の持参金をつけることを約束しています。山盛社長は、太郎とウメ子とを結婚させて、持参金の半分を自分の会社の資本金として投資して貰おうという腹があります。ウメ子は、貧乏な小説家の卵という恋人がいるのですが、太郎と結婚すると見せかけて、父親からさっさと1000万円を引出したいと狙っているのです。

 所詮は通俗風俗小説ですから、最後は大団円に終るのですが、そこに至る登場人物の行動は喜劇的と言うしかありません。登場人物が皆欲深く、あるいはお金に翻弄される人達ですから。もちろん「お金」が社会生活にとって不可欠なことは言うまでもありません。そして、お金によって買える幸せがあるのも一面の真実です。しかし、それがいかに人間の心を醜くするものか、ということもまた逆の真実でしょう。そういったお金の魅力と魔力をどうカリカチュアライズさせるか?。その源氏鶏太の回答が「万事お金」だと言うことが出来ます。

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