青空娘

さわりの紹介

 小野有子は、その丘の上に登ることが、大好きだった。うれしいときも、悲しいときも、その丘にのぼってみる癖が、いつからともなく、彼女についてしまっていた。
 いや、いつからともなく、といったのでは、うそになる。有子は、それを自分で知っていた。
 あれは、今から三年まえ、高等学校にはいってからまもなくであった。その日も、きょうのように、突き抜けるような青空であった。その青空に向かって、有子は、
「おかあさーん。あたしのおかあさーん。有子のおかあさーん」
と、声を振り絞るように叫んだのである。
 しかし、青空は、なんとも、答えてくれなかった。そして、彼女は、東京の母でない、別の母の面影を空想で描いて、気がつくと、ほおをぬらしていたのである。

 海抜六、七十メートルぐらいの丘なのだが、そこへ登ると、なんでも、一望のもとに見える。しかし、有子が、この丘が気に入っている最大の理由は、青空が近くなる、ということであったかもしれない。
 有子は、空を見上げることが好きだった。ことに、青空を見上げていると、なんともいえないような力強さをおぼえるのだ。あんな青空のような娘になりたい、と思う。たとえ、曇っている空を見上げても、彼女は、その空のかなたに、青空のあることを信じて疑わぬ娘になりたい、と努めていた。青空には、いつも太陽が輝いている。今にして思えば、それは三年前に、この丘に登って、有子のおかあさーん、と叫んだその日からの彼女の悲願のようなものであったろうか。
 しかし、有子は、この丘とも、きょうかぎりで、別れなければならないのである。

 彼女は、しみじみと、ながめていた。あそこが学校、本町通り、停車場、その停車場の向こうに、五月の陽光にきらめく瀬戸内海が見えていた。いくつもの島が、重なり合うように見えていた。
 有子の視線は、最後に、自分の家の屋根にくぎづけになった。大きなサクラの木があるので、すぐ、見当がつくのである。有子は、そのサクラの木の下で、赤もうせんを敷いて、おじいさんと、おばあさんと三人で、お花見をしたことを思い出した。わざわざ、お弁当をつくって、満開の花をながめながら、それを食べたのであった。どんなに楽しかったことか・・・・・。
 しかし、そのあばあさんは、この一月になくなってしまった。もし、おばあさんさえ、今も元気でいてくれたら、有子も、あるいは、東京の家へ行かなくてすんだかもしれないのである。

 おばあさんがなくなってから、おじいさんはすっかり、衰えてしまった。それも、有子が、東京へ行かなければならなくなった、一つの原因でもあったのである。有子がちょうど、この町の高校を卒業した、ということも、東京行きを決定する理由にもなった・・・・・。
 有子は、今はなごりの青空を見上げるように、丘いちめんにはえている若草の上に、あおむけになった。両手を組んで、頭の下に置いた。気も遠くなるような空の青である。あたりには、だれもいない。かすかに、町の騒音が、下のほうから伝わってくるようだが、そのほかには、なんの物音も聞こえなかった・・・・・。

Tの感想・紹介

 「青空娘」は、月刊誌「明星」(集英社)の1956年7月号より翌年11月号にかけて連載された長編小説です。そして、そのストーリーは、「明星」の読者を相当に意識したものとなっています。

 主人公の小野有子は、日興電気の重役をしている父、小野栄一とその会社の女事務員だった町子との間に生まれた私生児です。栄一は、有子を自分の娘として認知していますが、瀬戸内海に面したとある田舎町に住む両親(有子にとっては祖父母)に預けて育てます。母親の町子は、有子を生んだあと結婚して満州に渡り、戦後引き上げてきたのですが、居所は分りません。栄一には東京に正妻・達子がおり、栄一と達子の間には、兄・正治、姉・照子、そして弟・弘志がいます。

 有子の祖母が亡くなると、有子と祖父は、東京の家に引き取られます。しかし、達子は、夫の浮気の結果である有子に辛く当たり、女中として遇します。栄一は仕事に忙しく、有子に目が届きません。有子は、その境遇を我慢して過ごしていますが、唯一の母の顔写真を、照子に引き裂かれたことを期に、家を飛び出します。

 そういう有子の境遇に手を差し伸べてくれる人もいます。まずは、高校時代の恩師・二見。彼は美術教師でしたが、有子と前後して上京し、広告の絵などを描いています。照子の友人で有子に惹かれる広岡、そして、上京のときに列車の中で知り合った、東京と大阪で喫茶店を経営している真代などです。

 家を飛び出した有子は、このような手を差し伸べてくれる人によって助けられますが、直ぐに悪役によって、つかの間の幸福を壊されて行きます。東京から大阪に移り、最後には故郷に戻ります。故郷では、実母の町子が有子を訪ねて来たことが分り、実母の住む東京にまた戻ります。東京では、広岡の助力もあって、母親が見つかり、広岡とも結ばれる予感で大団円です。

 主人公の有子は、重役令嬢でありながら、これでもかこれでもかというぐらい不幸が襲ってきます。それを王子様が救ってくれるという構図で、「青空娘」はシンデレラ系物語ということができます。当時の芸能雑誌「明星」の主たる読者は、中高生と働き始めた若い女性たちで、有子の不幸な境遇は、自分の境遇と共通するところがあり、感情移入が容易だったろうと思われます。源氏鶏太は、そういう読者層を喜ばせるための仕組みを上手く使って仕上て行きました。

 映画化は、1957年10月、大映(東京撮影所)にて。監督・増村保造、脚本・ 白坂依志夫、撮影 ・高橋通夫、音楽・小杉太一郎、美術・柴田篤二などのスタッフに、若尾文子( 小野有子)、菅原謙二(二見桂吉)、 川崎敬三(広岡良輔)、東山千栄子(広岡静江)、信欣三(小野栄一)、 沢村貞子(小野達子)、穂高のり子( 小野照子)、三宅邦子(三村町子)ほかのキャストでした。

 また、テレビ化もされ、1972年10-12月、TBS、「夏に来た娘」というタイトルで水沢アキが主役を演じました。. 

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