愛の重荷

さわりの紹介

 一か月ばかり過ぎた。その間に、原沢は、私のアパートに五度も来ている。私は、当然拒否すべきであったろう。いや、そのつど、必ず拒否したのである。しかし、その拒否は、結局、うわべだけのものになってしまった。そして、原沢の方は、寧ろ私のそういう拒否を愉しんでいる気配がないではなかった。いつも征服者のような満ち足りた顔で帰って行くのである。
 そのくせ、その後、私との結婚のことは一度も口に出さなかった。勿論、私の方からもそれを口にしなかった。そのことで原沢がいい気になっていないとはいい切れないだろう。もう私という女の弱みにつけ込んで、これと結婚とは別だ、と思っているのかも。しかし、今の私は、それであっても仕方がないと思っていた。すべては自業自得のことなのである。
 こうなると私に待たれるのは、財部恭介の帰国であった。財部恭介は、パリへ着くとすぐに手紙をくれた。それは愛の手紙とはいえなかった。帰国が予定よりも長びきそうだと書いてあった。しかし、私は、財部恭介が私に手紙をくれたというだけで満足だった。嬉しかった。もしかして、その手紙を胸に抱いて寝たら財部恭介の夢を見るかも知れぬと思った。が、財部恭介は、夢の中に現れてくれはしなかった。十日ほど過ぎて財部恭介は、また手紙をくれた。そして、その手紙の中に、
 「昨夜、美江の夢を見たよ。」
 と、書いてあった。
 その一言が私を有頂天にした。私は、はっきりと財部恭介を愛しているもう一人の自分を感じた。
(それなら原沢さんは、どうなのだ)
 私は、自分にそう反問してみる。愛していないといったのでは嘘になる。といって、愛しているともいい切れないのである。その私が原沢のくる日がいつもより遠のくと、ふと待つ気になるのだ。
 そんなある日、突然に財部恭介から電話がかかって来た。
 「まア、どうなさったの?」
 私は、信じられぬようにいった。が、同時にちらっと原沢の方を見ていた。原沢は、席にいなかった。
 「君の顔を見たくなって急に帰って来たんだよ。」
 「いつですの?」
 「昨夜。会いたいんだ。」
 「・・・・・はい。」
 「どうしたんだ、何だか気乗りしないようだが。」
 「そんなことはありません。あんまり突然だったんで嬉しくって。」
 「ならいい。どうだろう。この前のホテルへ直接行ってくれないか。」
 「はい。」
 「僕は、ちょっと用事をすまして行くから八時頃になると思うんだ。ホテルへは、僕から電話をしておく。」
 「わかりました。」
 「では。」
 財部恭介は、電話を切った。私は、受話器を戻しながら夢心地でいた。
(財部さんがお帰りになったんだわ)
 しかも、私の顔を見たくなって急に、といってくれた。しかし、次の瞬間、財部恭介の留守中に重ねた原沢との情事を思い出していた。まさに、情事というべきであったろう。
 今の私は、最早、財部恭介に愛される資格に欠けているのだ。当然、断るべきであったのだ。いや、会ったら、何も彼も告白して、財部恭介との縁を断つべきなのだ。そのことによってのみ、私は、まだ救われるかもわからないのである。
 しかし、私にはその自信がなかった。心は、仕事をはなれて、今夜のことに飛んでいた。あの夜のことを思い出し、波が寄せてくるように汗ばんでくるようであった。

Tの感想・紹介

「愛の重荷」は、1967年4月号より翌年3月号にかけて月刊誌「マドモアゼル」(集英社)に連載された長編小説です。

 主人公、江口美江は24歳のOLです。親兄弟のない天涯孤独の身の上です。四畳半一間のアパートに住む、源氏鶏太の作品で女性を主人公とした作品によく見られる「幸薄き」女性です。彼女は、同じ課に勤務する原沢卓雄から求婚され、幸福感と不安が交錯した気持ちでいます。何故ならば、原沢は地方の素封家の一人息子で一流大学を卒業し、社内でも将来を嘱望されている存在であるのに対し、美江は天涯孤独であり、余りに身分が違いすぎるので、原沢の両親が結婚に反対するのは明らかであると思われたからです。

 一方、この若い恋人たちには強い味方もありました。原沢の母方の叔父で、有名なグラフィックデザイナーである財部恭介です。恭介は40歳を過ぎても独身ながら、周囲には常に複数の恋人を置いて、華やかで考え方も自由な魅力的男性です。恭介は、原沢の両親が二人の結婚にどんなに強く反対しても、二人の結婚を支持し、両親を説得すると言い、更には、万一原沢が両親の圧力に屈して美江と結婚しないようなことがあれば、自分の現在の女性関係を清算し、美江と結婚するとまでいってくれました。

 原沢も、「僕の両親がどうしても僕たちの結婚を許さないといったら、二人で勝手に結婚してしまおう」と、強くいってくれたので、この言葉を信じた美江は、両親に呼ばれて田舎に帰る原沢の求めに応じて、処女を捧げます。しかし、田舎の両親の強い反対にあった原沢は、気持ちをぐらつかせてしまう。彼の心情の変化を察した美江は、自分から原沢に別れを告げ、その直後に現れた財部に身を任せます。

 しかし、原沢の交際復活の要求を拒否できず、一方で、財部との愛も真実です。結局、−女が、同時に二人の男を愛してはいけないのであろうか。私はそんなことはないと思う。いや、そう思いたいのだ、といったほうが当っているかも- という文章で作品は終ります。

 この作品は、明朗ユーモア小説の源氏鶏太としては異色な作品ではあります。このような「愛」の持つ不条理性や本質的な「罪」は、古くから文学的命題として取り上げられてきたものですが、風俗小説の主題という立場で見たとき、昭和40年代前半には、二人の男と同時に関係を持つ女、という存在が、社会的に現実感が出てきたということを示しているのだと思います。流行風俗作家であった源氏鶏太としては、そのような社会の変化に敏感にならざるを得なかったのだろうと想像出来ます。

 そういう社会学的興味がこの作品にはありますが、小説の面白さという視点でみると、昭和40年代に発表されたという事実があったとしても、もの足りないものです。その理由は、この作品が完結せず、一種のリドルストーリーとして終っているからです。主人公の江口美江は、原沢と財部という二人の男と関係をもちますが、その後の修羅場が描かれない。源氏鶏太は性愛に関して極めて良識的な考え方だった人で、仮にこのような当時としては特殊な状況を描いた場合、女性の心理や行動を適切に想像して的確に描くということが出来なかったのではないかと推定しています。

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